花田吉隆(はなだ・よしたか) 元防衛大学校教授
在東ティモール特命全権大使、防衛大学校教授等を経て、早稲田大学非常勤講師。著書に「東ティモールの成功と国造りの課題」等。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
国民に真摯に向き合わぬ政治 「対話の文化」の欠如が民主主義の成熟を妨げる
オリンピック、パラリンピック開催まで残すところあと1カ月を切り、関係者による準備が着々と進められている。パンデミックス対策で世界中が様々な行動制限を続け、これだけ国民が開催に不安を感じていながら、あくまで開催を強行しようとする政府、大会組織委員会の姿勢を見るにつけ、この国の政治の通弊を思わざるを得ない。
政府は、「国民と真摯に対話しようとの気がなく、ただ、自らの意志を押し通す」だけであり、一方、これを受けた世論も「初めは反発しつつも、いつの間にか反対の機運がしぼみ政府案を受け入れていく」という、いつも繰り返されるお定まりのパターンだ。しかし、こういうことが繰り返されていいわけがない。
思えば「モリ、カケ、桜」もそうだった。国会で長々と論戦が繰り返されたものの、論点は一向に定まらず、野党の力不足もあって、議論はすれ違い、いつの間にかうやむやになった。そういうことがあってはならないと思いつつ年を越したら、また同じことの繰り返しだ。それにしても、今回はまた露骨といえばあまりに露骨だ。
少し前まで世論調査で、国民の7~8割が五輪開催の中止または延期を求めていた。少なくとも政府には、そういう国民の声に真摯に向き合う必要があったが、実際には、政府は、「国民の命と健康を守る」「安全安心な大会の開催に努める」の決まり文句を繰り返すだけで、どう守るのか、どう安全安心なのか、国民には一向に納得がいかない。世論調査で、開催に不安を感じるとする声は、依然6割に上る(6月19日、毎日新聞)。
中止か開催かの議論も尽くされないまま、いつの間にか、議論が「有観客か無観客か」に移り、今はそれも過ぎ、収容人数が何人か、が議論されている。なしくずし的に既成事実が積み重ねられ、国民は、いつの間にか、それを受入れざるを得ない状況に追い込まれていく。
世論調査では、読売(6月4~6日)が、「中止」48%(5月、59%)、「観客数制限で開催」24%(同16%)、「無観客開催」26%(同23%)、FNN(6月19,20日)が、「中止」30.5%(5月、56.6%)、「観客数制限で開催」33.1%(同15.5%)、「無観客開催」35.3%(同26.3%)と、6月に入り「開催」が「中止」を上回る結果となっている。
確かにここまで状況が進めば、政府の分科会の尾身茂会長ではないが、「今から中止を唱えても現実的な議論にならない」。専門家はそれでも提言で、無観客が望ましい、現行大規模イベントの開催基準より厳しく、観客は開催地住民に限定、感染拡大の予兆ある場合無観客を考えるべき、と政府、組織委に申し入れた。しかし、あれは一体どうなったか。「自主的研究」として黙殺されただけだった。