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質の高い議員を選ぶために 衆議院選挙に「予備選挙」の導入を

小選挙区制の弊害是正へ「質の改革」が最優先。定数だけが問題ではない

登 誠一郎 元内閣外政審議室長

小選挙区制導入25年 弊害の改善は急務

拡大小選挙区制の導入を柱とした政治改革関連法案について、細川護煕首相と野党・自民党の河野洋平総裁のトップ会談が1994年1月28日夜に開かれ、修正のうえ成立させることで合意した。日付が変わった共同記者会見で、合意書に署名する河野総裁(左)と細川首相=1994年1月29日午前0時50分、国会内
 衆議院に小選挙区比例代表並立制が導入されてから25年が経過し、制度自体としては定着しつつあるが、他方で、この制度下では死に票が多く政権党が圧倒的に有利である、あるいは党内での候補者の絞り込みの手順が不透明で、真に有能な候補者が党内の選別で振り落とされるなどの批判もあり、中選挙区制への復活を求める声も少なくない。

 筆者は、中選挙区制にもそれなりの問題があり、小選挙区制と比較して一長一短であるので、直ちに中選挙区制に戻すことは支持できないが、現在の小選挙区制の仕組みには相当の改善が必要と痛感する。

 その最大の問題点は、冒頭に書いたように現行の制度では、国民の代表として真にふさわしい人が選ばれない可能性、逆に言うとふさわしくないような人が選ばれる可能性が少なからずあるということである。

 それは、支持政党の候補者は、党内の密室における協議により一人しか提示されないので、支持政党を主な基準として投票対象を決める場合には、選択肢が一つしかなくなり、その候補者が本当に議員にふさわしいか否かの判断を行いにくい。

拡大1990年12月28日、自民党が小選挙区制など政治改革基本要綱を決めたことを受け、海部俊樹首相の呼びかけで与野党党首会談が個別に行われた。首相は「国会決議にもかかわらず定数格差是正は中選挙区制では至難。選挙制度の根源的改革が必要」と協力を要請。野党側は「40%の得票で80%の議席が取れるのは憲法違反」などと反発し現行制度で定数是正に取り組むべきと主張した
拡大1991年11月19日、小選挙区比例代表並行制の導入断念に対する批判が相次いだ自民党総務会。中央は口火を切った後藤田正晴・前政治改革推進本部長代理。右は加藤六月政調会長。海部内閣で、中選挙区を廃止して小選挙区制と比例代表制の併用型とする改革案を伊東正義本部長と後藤田氏が中心に進めたが、改革慎重派や党内異論から廃案となり、海部内閣退陣(11月5日)につながった

 1990年代に政治改革の一環として小選挙区制の導入が議論されたときに、この制度の難点として指摘されたのは、①候補者目線の立場から、1位になれなければ当選できないことであり、②有権者目線の立場からは、選択肢が狭く、しばしば支持したい候補者がいないことであった。

 長期間にわたる討議の結果選択された救済策は、①の立場の候補者目線の救済であり、具体的には比例代表との重複立候補による惜敗率での復活当選の制度である。この復活当選制度は、小選挙区制を用いている世界の多くの国々の中でも日本だけが採用している「敗者復活制度」であり、後述の通り大きな弊害をもたらしている。

拡大1993年6月14日、宮沢喜一首相の私邸につめかけ直訴する「政治改革を実現する若手議員の会」の議員たち。首相は「今国会で必ず政治改革を実現させます」と言い続けたが法案は成立せず、改革はいったん断念に追い込まれた
拡大1994年11月21日、衆院選挙に小選挙区制を導入するための区割り法(改正公職選挙法)案などの関連法が参院本会議で可決、成立した。これにより、衆院の選挙制度は戦後初めて小選挙区を基調とする制度に改められた

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筆者

登 誠一郎

登 誠一郎(のぼる・せいいちろう) 元内閣外政審議室長

兵庫県出身。東京大学法学部卒業後、外務省入省(1965)、駐米公使(1990)、ロサンジェルス総領事(1994)、外務省中近東アフリカ局長(1996)、内閣外政審議室長(1998)、ジュネーブ軍縮大使(2000)、OECD大使(2002)を歴任後、2005年に退官。以後、インバウンド分野にて活動。日本政府観光局理事を経て、現在、日本コングレス・コンベンション・ビューロー副会長、安保政策研究会理事。外交問題および観光分野に関して、朝日新聞「私の視点」、毎日新聞「発言」その他複数のメディアに掲載された論評多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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