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「君らはなぜそんなに尻込みするんだっ!」 大先輩の事務次官の一喝

失敗だらけの役人人生㉒ 元防衛事務次官・黒江哲郎が語る教訓

黒江哲郎 元防衛事務次官

アイデア尽きてガス欠状態

 この頃の防衛政策課は、安全保障・防衛政策の変わり目だったことを受けて多種多様な仕事を担当していました。以前からの主要業務だった日米間の政策協議の頻度と密度が飛躍的に増した上、PKO派遣や防衛交流・安保対話などの信頼醸成措置への取り組み、軍備管理・軍縮努力への協力、ミサイル防衛システムの検討などの新たな業務が目白押しでした。しかも私が担当していた51大綱の見直し作業には、それらの新しい業務の方向性がすべて流れ込んできていました。

 大綱見直し作業について言えば、前年に出された防衛問題懇談会の最終報告を庁内や政府内で調整して新たな大綱の文言に落とし込んでいくのは骨が折れました。さらに、これに関連して日米協議に陪席させられることもありました。前の連載(第18回=編集部注)で触れた情報本部設立準備のための弥次喜多道中の後ではありましたが、私の英語能力は依然として芳しくなく、協議に陪席しても貢献できないうえ、随行者の大事な仕事である公電の起案は私よりはるかに英語能力が高く通訳も兼ねていた後輩に任せきりでした。正直なところ、この時期の日米協議は重荷で、多大なストレスを感じていました。

※写真はイメージです

拡大2004年。朝日新聞社

 そんな日々を送りながら、ふと気がつくと1986年(昭和61年)に運用課に配属されたのを振り出しに調査第1課、計画課(旧計画官室)、そして防衛政策課と同じ局内を渡り歩いて9年目を終えようとしていました。今も昔もこの局にはやりがいのある仕事がたくさんありますが、同時に心身のストレスも生半可なものではありません。51大綱の見直し作業もあと一息の所まで来てはいましたが、4年間も続けてきたことで新たな発想も尽きた感じがしていました。

 今思えば、「ガス欠状態」だったのだと思います。この年の夏頃には、そのことを周囲に対しても口に出すようになっていました。周囲も上司も私の煮詰まった状況に配慮してくれて、8月についに防衛政策局を離れることとなりました。新たに任ぜられたのは防衛庁長官秘書官という全く未知のポストでした。こうして平成7年は私個人にとっても大きな転機となったのですが、この年はまだ終わりではありませんでした。

 秘書官に任ぜられて一か月も経たない9月4日、沖縄駐留海兵隊等に所属する3人の米軍兵士による少女暴行事件が発生しました。このおぞましい事件は、戦後長らく沖縄に課せられてきた米軍基地負担という同盟の負の側面をクローズアップすることとなりました。この事件を契機に、地位協定の見直し要求、さらには冷戦後における海兵隊の沖縄駐留の必要性そのものに対する疑問の声が高まりました。

 実は、この年の2月に米国防省は通称「ナイ・イニシアティヴ」と呼ばれた「東アジア戦略報告(EASR)」を発表し、冷戦後においても東アジアに10万人の米兵を維持するとしてアジア地域へのコミットメントの継続を宣言していました。この報告は、北朝鮮の第1次核危機に直面した日本や韓国に一定の安心感をもたらす効果がありましたが、基地負担に苦しむ沖縄県にとっては米軍基地の固定化・永続化につながる恐れを感じさせるものでした。米兵少女暴行事件はこうした懸念を増幅し、一気に反基地運動が盛り上がる結果につながりました。

拡大1995年10月、沖縄での米兵による少女暴行事件への抗議集会=沖縄県宜野湾市。朝日新聞社

 これを受けて9月28日には、沖縄県知事が米軍用地の使用に係る代理署名を拒否し、事態は国と沖縄県との全面的な対決の様相を呈しました。政府は米軍用地の使用権原を確保すべく機関委任事務に係る職務執行命令訴訟の手続きを進めながら、基地負担軽減のため米国との間でSACO(沖縄に関する特別行動委員会)を設置して沖縄県所在基地の返還協議を開始しました。

 このように、大規模災害や特殊な事件・事故に係る自衛隊への期待の高まり、朝鮮半島情勢の不透明化と日米同盟強化に向けた動き、沖縄県における切実な米軍基地負担軽減の要望などが交差する中で、この年11月28日に51大綱に代わる新たな防衛計画の大綱(07大綱)がついに決定されました。ベルリンの壁の崩壊から6年後の事でした。

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筆者

黒江哲郎

黒江哲郎(くろえ・てつろう) 元防衛事務次官

1958年山形県生まれ。東京大学法学部卒。81年防衛庁に文官の「背広組」として入り、省昇格後に運用企画局長や官房長、防衛政策局長など要職を歴任して2017年退官。現在は三井住友海上火災保険顧問

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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