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勝者なき都議選の歴史的意味~政権交代、自民復権、新党の次に吹く風は世代交代?

政治の混沌を終息させ秩序を再構築するべき時期に期待されるのは……

曽我豪 朝日新聞編集委員(政治担当)

平成以来の政治の三つのキーワード

 こうして見てくれば、今回の「勝者なき選挙」の実相は、日本政治を変動させ改革を促して来た「三様の風」がひと通り吹いた後の閉塞状況と言い得ると思う。

 なぜなら、「政権交代」「自民党復権」「新党」の三つは、三つ巴で互いに影響し合いながら、平成以来30年余りの間、常に政権の存亡と政党の変転とを決定付けるキーワードとなって来たからである。

 思い起こせば、平成の初めに志された政治改革の主眼は、戦後昭和期の古い政治のやり方や仕組みの刷新だった。

 外交と安全保障は米国に頼り、経済成長のパイを再分配しつつ選挙の票とカネを受け取るのが、かつての自民党長期政権の特性だった。だが、米ソ冷戦から地域紛争多発へと国際情勢が変化し、日本経済が低成長を余儀なくされる時代を迎えれば、それでは通用し難い。強固な指導力を求める政治主導と政権交代可能な二大政党制の構築が、政治改革の二大目標となった。

直線的に進まなかった二大政党制の構築

 ただ、二大政党制の構築は直線的には進まなかった。そもそも「政権交代」のさきがけとなった1993年の細川護煕非自民連立政権の誕生にしてからが、実際には「新党」との合作だった。

 この時の衆院選で議席を半減させる惨敗を喫したのは、分裂前の過半数を取り戻せなかった自民党でなく、本来なら非自民連立の主役となるべき野党第一党の社会党だった。代わりに連立政権協議を主導したのは、自民党を離党した小沢一郎氏らの新生党と武村正義氏らの新党さきがけ、そして細川氏が率いた日本新党など「新党」群であった。

 その後も二大政党制は変則の道を辿(たど)る。二度の「自民党復権」にしても、実は単独政権ではなく、一度目の1994年は社会党の村山富市氏を首相に担ぎ、新党さきがけを加えた「自社さ連立」により、二度目の2012年も野党期に提携を続けた公明党との連立により得たものだった。

 一方、非自民勢力は、解党と「新党」結成を繰り返した。

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筆者

曽我豪

曽我豪(そが・たけし) 朝日新聞編集委員(政治担当)

1962年生まれ。三重県出身。1985年、東大法卒、朝日新聞入社。熊本支局、西部本社社会部を経て89年政治部。総理番、平河ク・梶山幹事長番、野党ク・民社党担当、文部、建設・国土、労働省など担当。94年、週刊朝日。 オウム事件、阪神大震災、など。テリー伊藤氏の架空政治小説を担当(後に「永田町風雲録」として出版)。97年、政治部 金融国会で「政策新人類」を造語。2000年、月刊誌「論座」副編集長。01年 政治部 小泉政権誕生に遭遇。05年、政治部デスク。07年、編集局編集委員(政治担当)。11年、政治部長。14年、編集委員(政治担当)。15年 東大客員教授

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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