特集・戦犯遺骨の米軍秘密文書(下)
2021年08月03日
日米開戦から80年となるこの夏、戦争責任とナショナリズムについて深く考えさせられる貴重な米公文書に出会った。日本降伏後の1948年12月23日、米軍が日本の戦争指導者としてA級戦犯7人を死刑に処したその日のうちに火葬し、太平洋上空から散骨したという「報告書」。そして、そうした対応を現場に指示した「マッカーサー元帥の命令」による書簡だ。
連合国軍最高司令官として日本の占領にあたっていたマッカーサーが抱いたであろう、敗戦国で勝者に戦犯として裁かれた刑死者が美化されぬようにという切迫感がにじむ。この文書の読み解きと、文書の発見によってA級戦犯の亡骸がどう扱われたかを初めて詳しく知った遺族の思いを、3回にわたり報告する。
筆者が論座で2019年に連載した「ナショナリズム 日本とは何か」の番外編としてお読みいただければ幸いだ。
米軍による散骨の報告書は、日本大学の高澤弘明専任講師が米公文書館で発見した。高澤さんを訪ねてコピーをいただき、東条のひ孫、英利さん(48)に連絡を取った。記事を書くときは相手の言い分を聞くのが記者の所作。今回の場合の相手は、本来は遺骨を受け取る立場にある遺族ではないかと考えた。
東条は1884年生まれで東京出身の軍人。父同様に陸軍に入り、1937年には満州国の実権を握る関東軍で参謀長となった。能吏ぶりからカミソリ東条と呼ばれ、大将当時の41年に首相になるが、軍を抑えきれずに対米開戦。敗戦後、連合国による東京裁判で48年にA級戦犯として死刑を宣告され、翌月に執行された。
先の戦争の犠牲者で、毎年終戦の日に日本政府が行う全国戦没者追悼式で対象となるのは約310万人。うち旧日本軍のの軍人・軍属の戦死者は約230万人、空襲などで亡くなった民間人は約80万人にのぼる。日本の植民地当時に軍人・軍属として戦死した朝鮮半島や台湾の出身者も含まれる。
東京に住む英利さんには6月、ご自宅近くの喫茶店で会った。東条家代々の長男として名に「英」の字を継ぐが、東条の遺骨の行方は知らされていない。米軍が「横浜の東約30マイルの太平洋上空」でまいたという今回の米公文書の話は、初耳だったという。
文書を示して、感想を聞く。「戦後は勝者も敗者もない、という考えは米軍にはなく、遺族への配慮は一切なかったんじゃないか」と述べつつ、「戦場となった世界各地には遺骨が戻っていない英霊の方々がいらっしゃる。曽祖父は日本の海に帰されたと思えば本望ではないでしょうか」。思いの外淡々とした答えだった。
「ひ孫の世代なので、どうしても客観的になるんですよ」という落ち着きぶりに甘え、遺骨が帰らない東条家は東条をどのように弔ってきたのかを尋ねてみた。
処刑の前に「曽祖父はもう完結していたんじゃないか」と英利さんが語るのは、降伏翌月の1945年9月に戦犯として米軍に逮捕される直前の自決未遂だ。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください