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アメリカ同時多発テロで自衛隊初の「戦争支援」 小泉官邸で見た混乱と決断

失敗だらけの役人人生㉓ 元防衛事務次官・黒江哲郎が語る教訓

黒江哲郎 元防衛事務次官

「テロとの戦い」で海自艦派遣

 その後、日本政府内では対応策の実施に向けた準備が急ピッチで進められました。テロ行為を非難する国連安保理決議も出され、我が国も各国と協調して対応する姿勢を鮮明にしました。米国はそれまで既に何度もイスラム過激派のテロの標的となっていたこともあり、本件に対しては大規模な軍事行動によって報復するだろうと予測されました。

 特に、前々からテロリストの訓練キャンプが存在すると言われていたアフガニスタンが標的として取り沙汰されていました。政府内では、テロ発生直後から米国の軍事行動に対してどのような支援が可能か検討されていましたが、そうした支援の根拠になるような法律はなかったため新規立法も視野に入っていました。

 テロ発生からおよそ2週間後の9月24日、総理は訪米してブッシュ大統領やジュリアーニNY市長らと会談しました。私も随行し、貿易センタービルやペンタゴンなどテロ発生現場も視察しました。2週間経っても現場には焦げ臭いにおいが漂っており、破壊と炎上の凄まじさがうかがえました。テロの現場を目の当たりにし、「世界が変わってしまった」という思いにとらわれました。

拡大2001年9月24日、米同時多発テロ事件でビルが崩壊したニューヨークの世界貿易センター付近を視察する小泉首相(右下)=朝日新聞社

 冷戦を勝ち抜き唯一の超大国として君臨していた米国のニューヨークとワシントンという二大政経中枢が、ほんの一握りのテロリストによる無差別攻撃に遭って3000人近い犠牲者を出したのです。このことは米国の圧倒的な軍事力を持ってしても防ぎ切れない新たな脅威が出現したことを示すとともに、世界に安全な場所はもはやないということを強く認識させました。既に地下鉄サリン事件の洗礼を受け、911同時多発テロ事件で20名を超える邦人の死者・行方不明者を出した我が国にとっても決して他人ごとではなく、国際社会と足並みを揃えて「テロとの闘い」に関わるべきだとの機運が高まりました。

 翌10月にはテロの脅威に対してあらゆる手段を用いる用意があるとする国連安保理決議に基づき、テロリストの引き渡しを拒んだタリバーン政権下のアフガニスタンに対し米国など有志国連合が軍事行動を開始しました。我が国も湾岸戦争の失敗を教訓として迅速に対処し、異例の速さで新規の時限立法としてテロ対策特措法を成立させました。

 当時、有志国連合の艦艇はインド洋においてテロリストや武器の移動、あるいは麻薬などのテロ資金源の輸送を防ぐため海上阻止活動を実施していました。テロ対策特措法は、この活動を実施している有志国連合の艦艇に対して洋上で給油支援を行う権限を海上自衛隊に付与するものでした。同法の成立とともに、海上自衛隊艦艇は速やかにインド洋へ派遣されました。この活動は、史上初めて自衛隊が「戦争支援」を行うものでした。

拡大2004年3月、「テロとの戦い」でインド洋へ派遣され、英軍艦に洋上給油をする海上自衛隊の補給艦「ときわ」の乗組員=朝日新聞社

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筆者

黒江哲郎

黒江哲郎(くろえ・てつろう) 元防衛事務次官

1958年山形県生まれ。東京大学法学部卒。81年防衛庁に文官の「背広組」として入り、省昇格後に運用企画局長や官房長、防衛政策局長など要職を歴任して2017年退官。現在は三井住友海上火災保険顧問

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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