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イチローの大リーグ最多安打記録を横目に…防衛大綱で首相官邸詰めの日々

失敗だらけの役人人生㉔ 元防衛事務次官・黒江哲郎が語る教訓

黒江哲郎 元防衛事務次官

拡大朝日新聞社

2017年まで防衛省で「背広組」トップの事務次官を務めた黒江哲郎さんの回顧録です。防衛問題の論考サイト「市ケ谷台論壇」での連載からの転載で、担当する藤田直央・朝日新聞編集委員の寸評も末尾にあります。

変わらぬ軍事大国ロシア

 1976年(昭和51年)に初めて「防衛計画の大綱」(51大綱)が策定されてから19年後の1995年(平成7年)、冷戦終結を受けて国際環境の安定化にコミットしつつ防衛力のコンパクト化を図った07大綱が策定されました。この07大綱を皮切りに、テロなど各種の事態に実効的に対応することを目指した16大綱、「動的抑止」としてプレゼンスオペレーションの考え方を宣言した22大綱、防衛費を増勢に転じて中国・北朝鮮の脅威に対応しようとした25大綱、そして先進技術の導入などにより新たな戦い方への対応を目指す現行の30大綱と、平成時代30年の間に五つの大綱が策定されました。これは、国際安全保障環境と国内政治・経済事情が、ポスト冷戦期において極めて流動的に推移したことの表れだと言えます。

 07大綱策定の翌年の1996年(平成8年)、戦後初めて防衛庁長官(臼井日出男氏=編集部注)の訪ロが実現し、秘書官だった私も随行しました。その際、かつて我が国の脅威だった旧ソ連製の戦闘機Mig-29とSu-27が我々の目の前でデモフライトを行いました。ちょっと前なら考えられなかった事で、私はその後の西側諸国とロシアとのスムーズな関係改善を疑いませんでした。

※イメージです

拡大2018年、ロシア軍の対独戦勝記念パレードでモスクワ上空を編隊飛行するSu-30SMと、一回り小さいMig-29=朝日新聞社

 ところが、そのわずか2年後の1998年(平成10年)に英国国防大学(RCDS)に留学し、さらに英国防省で短期研修を受けた際には、欧州が大国ロシアとの関係構築に苦労している状況を垣間見ることとなりました。RCDSへ講演に来た駐英ロシア大使は、アジア通貨危機の直撃を受けてロシアが深刻な財政危機に見舞われている状況を紹介した上で「ロシアは大国であり世界経済に与える影響も大きいのだから、世界各国はロシアを支援すべきである」と言い放ちました。外交の世界では珍しくないレトリックだったのかも知れませんが、私には大国意識丸出しの尊大な言い方に聞こえました。

 さらに、英国防省の対ロ信頼醸成の担当部署で研修を受けた際には、ロシアの大国意識(とNATOへの警戒心)が信頼構築を妨げているという愚痴を聞きました。これらの経験を通じ、ソ連は消滅しても依然として大国ロシアが存在していることを実感し、イデオロギー対立に終止符が打たれても国家間の複雑な地政学的競争関係は基本的に変わらずに残存しているのだという感慨を持ちました。

拡大モスクワの「赤の広場」で行われたパレードに登場したロシア軍の装甲車部隊=2015年。朝日新聞社

 英国から帰国後、1999年(平成11年)夏に運用局運用課長を拝命すると、国内外で発生する大規模災害や特殊災害、さらには「2000年問題」等に対処しながら21世紀を迎えることとなりました。その後、総理官邸に異動すると、半年もたたないうちに世界の誰も予想もしていなかった911米国同時多発テロが発生し、「テロとの闘い」が国際安全保障上の課題として急浮上しました。

 民間人などを無差別に攻撃するテロリストグループを相手とする闘いは、国家間の軍事紛争とは全く異なるもので対応は困難を極めました。この闘いを支援するため、自衛隊もインド洋での洋上給油やイラクでの復興支援など前例のない活動に取り組むこととなりました。

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筆者

黒江哲郎

黒江哲郎(くろえ・てつろう) 元防衛事務次官

1958年山形県生まれ。東京大学法学部卒。81年防衛庁に文官の「背広組」として入り、省昇格後に運用企画局長や官房長、防衛政策局長など要職を歴任して2017年退官。現在は三井住友海上火災保険顧問

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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