黒江哲郎(くろえ・てつろう) 元防衛事務次官
1958年山形県生まれ。東京大学法学部卒。81年防衛庁に文官の「背広組」として入り、省昇格後に運用企画局長や官房長、防衛政策局長など要職を歴任して2017年退官。現在は三井住友海上火災保険顧問
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
失敗だらけの役人人生㉗ 元防衛事務次官・黒江哲郎が語る教訓
2006年(平成18年)は、私にとって官邸連絡室、安危室と5年間続いた内閣官房勤務の最後の年でしたが、様々な出来事があって忘れられない1年になりました。その一つ目は、イラク派遣の出口戦略です。
自衛隊のイラク派遣は既に2年に及び、その間は陸自の宿営地に迫撃砲弾が撃ち込まれるなどずっと緊迫した状況が続きました。官邸幹部も現地の状況には神経質になっており、派遣期間中は毎日欠かさず事務担当副長官の下に内閣官房・防衛・外務各省の関係者が集まって情勢ブリーフィングが実施されていました。
余談ですが、宿営地に迫撃砲弾が撃ち込まれる事案が発生した際、統合幕僚会議事務局(現統合幕僚監部)の幹部自衛官がブリーフィングの席に模擬の手りゅう弾や迫撃砲弾を持ってきたのには驚きました。説明にリアリティがあったのは良かったのですが、私は官邸へどうやって持ち込んだのか心配になりました。もちろん火薬は入っていませんが、それでもかなりの重量で金属探知機のある総理官邸に持ち込むのは容易ではありません。防衛庁の事務方の誰かが余程うまく官邸の警備担当に話を付けたのだと思いますが、総理官邸に手りゅう弾と迫撃砲弾が持ち込まれたのは後にも先にもこの時だけではないかと思います。
※イメージです
サマーワにおける復興支援活動はテロの危険と隣り合わせの活動でしたが、陸自派遣部隊は規律正しい行動と地元住民との良好な関係の構築等を通じて一人の殉職者も出さずに任務を完遂しました。陸自によるインフラ復旧や医療、給水などの活動は、ODAや草の根無償支援などの経済援助と連携することで更に効果を高めることが出来ました。こうして派遣期間が2年になろうとする頃には、活動実績も積み上がって、インフラ復旧などもかなり進んでいました。さらに、サダムフセイン政権が倒れた後、多国籍軍を中心とする暫定統治機構がイラクの統治に当たっていたのですが、ようやく選挙や政権移譲が日程に上って来ました。
論座ではこんな記事も人気です。もう読みましたか?