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帝王・キャラウェイ高等弁務官と闘った魚屋の「ウシ」

映画「サンマデモクラシー」が問う”沖縄の自治”

阿部 藹 琉球大学客員研究員

 5月15日、沖縄県那覇市にある映画館「桜坂劇場」で、映画の試写会があった。その名も「サンマデモクラシー」(7月17日より ポレポレ東中野ほか全国順次公開)。アメリカ統治下の沖縄で、魚屋の「ウシ」が「帝王」と呼ばれて恐れられたキャラウェイ高等弁務官に真っ向勝負を挑んだ「サンマ裁判」を入り口に、デモクラシーを勝ち取るために闘った一癖も二癖もある沖縄の“偉人”たちを描いた痛快な冒険譚である。アメリカ統治下の1959年、沖縄で最初に開局した古参のテレビ局である沖縄テレビ放送のプロデューサーで、沖縄テレビ界でその名を知らぬ人はいない山里孫存(やまざと・まごあり)さんの監督作品だ。

 沖縄で5月15日といえば、“復帰の日”である。

 戦後27年続いたアメリカの施政権下から、1972年5月15日に沖縄は日本に“復帰”した。 それから50年という節目を迎える来年に向けて、沖縄ではテレビも新聞も“復帰50年”を考える企画が目白押しだが、この節目の日にお披露目された「サンマデモクラシー」はあらゆる意味で規格外の作品だ。

那覇市での「サンマデモクラシー」のメディア向け試写会那覇市での「サンマデモクラシー」のメディア向け試写会

 物語の舞台はアメリカの統治下にあった1963年の沖縄。日本本土から輸入され沖縄の食卓でも人気があったサンマには、琉球列島米国民政府の高等弁務官布令に基づき輸入関税がかけられていた。しかし、物品税法を定めたその布令の品目の中に、「サンマ」の文字はなかったのだ。にもかかわらず関税を支払わせられていたことはおかしいと、那覇市牧志で魚卸売業を営む玉城ウシが、琉球政府を相手取り、支払った税金の還付を求めて訴訟を起こしたのだ。

 担当した弁護士は「ラッパ」の異名を持ち「沖縄一うるさい」と言われた下里恵良。民衆のリーダーである瀬長亀次郎も立ち上がり、ウシの起こした「サンマ裁判」は法の正義だけでなく、沖縄の自治を問う闘いに発展する。――さぁ勝つのは「ウシ」か「帝王」と呼ばれた高等弁務官、キャラウェイか?

映画「サンマデモクラシー」より映画「サンマデモクラシー」より

沖縄に関心ない人に「圧倒的に面白い」ものを

 うちな〜噺家・志ぃさーさんによる落語にドキュメンタリー、再現ドラマに歴史映像、さらには活弁まで。あらゆる映像の演出手法をこれでもかと詰め込んで爆発しそうな物語を川平慈英さんのナレーションがぐいぐいと引っ張っていく。観客はアメリカ統治下でデモクラシーと自治を求める沖縄の闘いの真っ只中に放り込まれ、一緒に駆け抜ける。本土出身の筆者にとっては、故郷から遠く離れた沖縄という土地で自分が生まれる前に繰り広げられた人びとの運動だが、玉城ウシの、ウシの弁護士である下里恵良の、そして瀬長亀次郎の闘いの行方を夢中で追いかけた。

 それこそが「サンマデモクラシー」の目指したものだと山里監督は語る。

「サンマデモクラシー」の山里孫存監督「サンマデモクラシー」の山里孫存監督

 山里孫存監督 沖縄について知っている人、理解のある人にだけ届く作品を作っていてはダメだと思っています。これまであの手この手を尽くして沖縄に関する色々な番組を制作したけれど、まだ届かないという気持ちがある。2006年に沖縄の伝説の芸人・小那覇舞天の番組を作ったんですが(「戦争を笑え 命ぬ御祝事さびら!沖縄・伝説の芸人ブーテン」)、かなり工夫してエンターテイメント要素を入れて制作しました。ですが、本土の評論家の方から「本土の視聴者は沖縄戦の話になるとチャンネルを変えてしまう。この作品も面白かったけど途中でやっぱり沖縄戦の話になった。そこでチャンネルを変えられてしまう」と言われました。だから今回は“圧倒的に面白いもの”を作ろうと思いました。

 確かに圧倒的に面白い。映画の冒頭、カメラはウシを知っている人を探して(現在は建て直しのために取り壊された)那覇市牧志の公設市場に向かう。あの人も、この人もウシを知らず、「市場の生き字引き」と名指しされた人も首を傾げる。カメラと市場を彷徨い、ウシの親戚にたどり着くまでのワクワク感によって私は一気に映画の世界に没入した。どうやらこれも山里監督の狙い通りらしい。

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