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強硬演説の習近平主席と中国共産党の行方~完成された統治システムに綻びも

真意が読み解き難い習主席演説。米国の対中圧力が強まる中で日本は……

武田淳 伊藤忠総研チーフエコノミスト

 7月1日に行われた中国共産党の創立100周年記念式典における習近平国家主席の演説は、既に様々なメディアが報じた通り、予想以上に刺激的な内容だった。

耳を疑った「世界一流の軍隊」という言葉

 まずは、金正恩総書記の演説かと耳を疑った「世界一流の軍隊」という言葉である。よくよく聞くと、その必要性はあくまでも国家主権や安全、発展の利益を「守ること」であり、「中華民族の血には他人を侵略し覇権を追及する遺伝子はない」とのことであるが、穏やかな話ではない。

 さらに習主席は、中国に圧力をかければ中国人民の「血肉で築かれた鋼鉄の長城の前に打ちのめされる」としたほか、未来を切り開くためには「偉大な闘争が必要」、「複雑な国際情勢がもたらす新たな矛盾と新たな課題を深く理解し、あえて戦い」という風に、決戦を前に士気を鼓舞するが如く意気込みを示した。

 報道によると、習主席は5月末の国内の会議で「謙虚で、信頼され、愛され、尊敬される中国のイメージづくり」に努力するよう指示を出したそうである。この本意は、戦狼外交と形容される高圧的な姿勢を改めるということではなく、イメージ戦略を示したものに過ぎないのであろうが、演説の激しさからは、それすらも放棄したように感じられる。

 台湾問題に関しても、強気の姿勢に変わりはない。統一の実現は中国共産党の「歴史的な任務」で「中華の人々全体の願い」であることを確認、「いかなる台湾独立のたくらみも断固として打ち砕く」と宣言、周囲の懸念を一切顧みることなく中台統一を目指す意気込みを改めて示した。

 一方で、「覇権主義と強権政治に反対する」としつつ「協力を堅持し、対立をやめ、開放を守る」と対立回避の意志表示ともとれる部分もあった。そもそも、1時間余りの演説のうち、冒頭で触れたような過激な内容は後半の一部に過ぎない。大部分は、共産党100年の歴史を振り返りながら「中華民族の偉大なる復興」を連呼しナショナリズムを鼓舞すること、共産党の実績をアピールし常に人民とともにあることを強調、一党独裁の正当性を訴えることに終始していたと言える。

拡大humphery/shutterstock.com

マルクス主義から現実路線に転じた100年

 かように習演説の真意は読み解き難いが、理解を深めるため、まず中国共産党100年の歩みを簡単に確認しておきたい。

 毛沢東らが中国共産党を結成した際、目指したものは、習演説によると「マルクス主義の中国化」である。マルクス主義とは、やや乱暴に解釈すれば、格差を産み出す資本主義社会を否定し、階級がなく資本は共有され必要に応じて分配される、いわば理想郷的な「共産主義社会」を目指すものである。そして、その過程に社会主義があり、この段階では階級社会が残り、資本家や外国勢力から社会を守るために、まず強力な国家権力が必要であり、生産力を高めるため国家の計画による経済運営も必要だと考える。

 共産党の規約に掲げられている「毛沢東思想」とはまさに中国版のマルクス主義に他ならず、中国共産党が資本家や外国勢力から社会を守るために強力な国家権力の構築を進め、資本の集中と計画経済による生産力の拡大に邁進(まいしん)してきた原点はここにある。そして、その目指す先は共産主義社会の実現ということになる。

 しかしながら、文化大革命の失敗により「毛沢東思想」は事実上棚上げされ、混乱期を経て鄧小平による改革開放路線へ方向転換する。すなわち、排除すべき海外勢力の力を借りただけでなく、一部が先に豊かになることを許容する「先冨論」が唱えられ、所得格差をも容認した。この極めて現実的な方針転換が、その後の目覚ましい経済発展につながったことは周知の通りである。

拡大poo/shutterstock.com


筆者

武田淳

武田淳(たけだ・あつし) 伊藤忠総研チーフエコノミスト

1966年生まれ。大阪大学工学部応用物理学科卒業。第一勧業銀行に入行。第一勧銀総合研究所、日本経済研究センター、みずほ総合研究所の研究員、みずほ銀行総合コンサルティング部参事役などを歴任。2009年に伊藤忠商事に移り、伊藤忠経済研究所、伊藤忠総研でチーフエコノミストをつとめる。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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