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ペンペン草も生えない不毛の地…なるか防衛情報の縦割り打破

失敗だらけの役人人生㉕ 元防衛事務次官・黒江哲郎が語る教訓

黒江哲郎 元防衛事務次官

情報組織統合への制服組の反対

 調査第1課に配属されて情報実務を経験し、初めて例の「調別」すなわち陸幕調査部調査第二課調査別室の力量を知ることとなりました。調別はいわゆる電波情報を収集・分析する機関で、戦略的に極めて価値の高い情報成果を生み出していました。そこで、この実務経験と米国での調査結果とを突き合わせつつ防衛庁内の情報関係部署を情報本部に統合するプロジェクトに着手しました。当初は庁内に存在する全ての情報関係部署を一元化しようという案からスタートしましたが、予想通り組織を吸い上げられる各幕の反対は強烈でした。

 前職の運用課で統合運用を担当していたので、「統合」という語に対する各幕の拒否反応は知っていたつもりでしたが、情報部門は運用部門の比ではありませんでした。ある人からは「運用部門で統合の種をまけば芽くらいは出るが、情報部門はペンペン草も生えない不毛の地だ」と言われました。最初はその言葉さながらの厳しい議論が延々と続きました。

※イメージです

拡大2010年、日本国内=朝日新聞社

 当時、軍事情報の収集や分析、さらには政策決定者に対する報告に関しては、様々な問題がありました。各自衛隊は様々な情報収集器材を運用してそれぞれが関心を有する情報を収集し、分析していましたが、報告先は各幕僚長や部隊指揮官にとどまっており、その成果が他の自衛隊との間で共有されたり、あるいは大臣や総理に報告されたりすることは稀でした。様々なソースから得られる情報がクロスチェックされる機会も乏しく、分析成果の質の向上につながることもありませんでした。

 また、国内外の種々の公刊資料を分析したり海外地域・諸国事情を分析したりする部署は内局はじめ各自衛隊にそれぞれ存在しており、非効率な業務運営が行われていました。例えば、米国が年次国防報告を発表すると、それぞれの部署が一斉に翻訳にかかりきりになるといったことが見られました。これらの問題は、情報組織が各幕僚長や部隊指揮官の下に置かれて、彼らのために活動している以上、ある意味当然の事でした。

 他方、国際情勢の流動化が進む中で、総理や大臣といった政策決定レベルにとって軍事情報の重要性は増加していました。調別が収集したソ連機の交信情報がソ連を窮地に追い込んだ大韓航空機撃墜事件の例はその典型でした。自衛隊の各部隊や機関が収集・分析している軍事情報を総理や大臣へ日常的・継続的に報告するためには、総理や大臣との距離が従来以上に近いところへ情報組織を置く必要があります。

 このため、新たな統合情報組織に関する我々の当初案は、自衛官の最高位で大臣や総理に対する補佐機能を有する統幕議長の下に全ての情報部門を集約する、というものでした。自衛官である統幕議長の下に置くことで、組織を手放す各自衛隊側の反発を和らげたいという考慮も働きました。

拡大2013年、電子情報収集を担う防衛省情報本部の大井通信所=埼玉県ふじみ野市。朝日新聞社ヘリから

 加えて、内局や各自衛隊の情報部門を大規模な統合組織に集約することで、情報部門に勤務する自衛官や事務官の処遇を改善しようという意図もありました。従来のように内局や各自衛隊に小規模な情報部門が点在する形態では、情報部門の最高位ポストといってもたかが知れていました。

 情報分析には一定の経験が必要なので、ひとたび情報部門に勤務すると長期勤務となりがちですが、いかに長期間勤務してスキルアップしても到達できるポストには限界があるとしたら、情報部門で働く職員の士気はなかなか上がりません。しかし、これを集約して大規模なものにすれば、規模に見合った高いランクのポストを設けることとなり、より高い地位に就ける可能性も出て来るので、ベテランの情報関係者の士気高揚につながることを期待したのです。

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筆者

黒江哲郎

黒江哲郎(くろえ・てつろう) 元防衛事務次官

1958年山形県生まれ。東京大学法学部卒。81年防衛庁に文官の「背広組」として入り、省昇格後に運用企画局長や官房長、防衛政策局長など要職を歴任して2017年退官。現在は三井住友海上火災保険顧問

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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