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制服組・背広組の空前の一体感 「防衛庁の天皇」が主導、省への昇格が実現

失敗だらけの役人人生㉖ 元防衛事務次官・黒江哲郎が語る教訓

黒江哲郎 元防衛事務次官

「省」と「庁」はどう違うのか

 防衛庁は旧総理府の外局として設置されましたが、その位置づけの見直しについては過去にも議論されたことがありました。防衛庁創設からちょうど10年後の1964年(昭和39年)には、省移行法案が閣議決定までされながら国会に提出されないままに終わるという出来事がありました。

 この時には、前年に自民党総務会でも省移行決議がなされていたのですが、翌年に臨時行政調査会が省移行は緊急性に乏しいとの見方を示したこともあり、軽武装・経済復興優先の路線を採ってきた当時の政府・与党は国民世論との関係で時期尚早と判断したものと思われます。公式には、会期末が近く審議時間がとれないとの理由で国会提出は見送られ、その後の国会にも提出されることはなく、省昇格は立ち消えとなりました。

 ところで、「省」と「庁」とでは何が違うのでしょうか。例を一つ挙げると、各省の大臣は自分の省の案件について内閣総理大臣に対して閣議を求めることが出来ますが、防衛庁長官にはその権限がない(内閣法第4条)ので、閣議が必要な場合には防衛庁の親元に当たる内閣府(以前の組織なら総理府)の長である内閣総理大臣に依頼しなければなりません。

拡大朝日新聞社

 依頼を受けた内閣府の長たる総理は、内閣の首長たる総理に対して閣議を求めることとなります。このほか、府省令の発出(国家行政組織法)、財務大臣に対する予算要求(財政法)、行政財産の管理(国有財産法)、物品の管理(物品管理法)等の場合にも同様の手順が必要となります。

 他方、内閣府の関与は形式的なものに止まり、防衛庁の原案が内閣府によって変更されることはありませんでした。また、総理府の外局として大臣庁がたくさん存在した時代にはそれらの庁においても同様の手続きがとられていたので、特に防衛庁だけが違和感を持つことはありませんでした。多少煩雑ではあったものの業務上の実害はなかったため、ボトムアップ的に省移行を求める動きは起きにくく、1997年(平成9年)の行政改革会議の議論に乗り遅れたのもこの辺に理由があったように思われます。

 しかし、省庁再編により国務大臣を長とする外局組織が防衛庁だけになると様相が変わりました。特にこの時期、自衛隊は国連PKOや国際緊急援助活動などの海外活動に参加するとともに、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件を通じて災害対応でも能力を発揮しており、自衛隊の活躍ぶりと「庁」という位置づけがいかにもアンバランスだとの印象を与えるようになりました。

 郵政民営化により、国家公務員全体の人員数の四割を防衛庁・自衛隊が占めるようになると、そんな大組織が「庁」に過ぎないといういびつな組織建てが益々際立つこととなりました。さらに、諸外国においても、国防を担う組織を他の国家機関よりも格下に位置付けているような例はありませんでした。

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筆者

黒江哲郎

黒江哲郎(くろえ・てつろう) 元防衛事務次官

1958年山形県生まれ。東京大学法学部卒。81年防衛庁に文官の「背広組」として入り、省昇格後に運用企画局長や官房長、防衛政策局長など要職を歴任して2017年退官。現在は三井住友海上火災保険顧問

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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