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有事法制と安保法制 反対、激論、そして決断した政治家たち 

失敗だらけの役人人生㉘ 元防衛事務次官・黒江哲郎が語る教訓

黒江哲郎 元防衛事務次官

拡大首相官邸で記者会見する首相当時の小泉純一郎氏(03年、左)と安倍晋三氏(17年、右)=朝日新聞社

2017年まで防衛省で「背広組」トップの事務次官を務めた黒江哲郎さんの回顧録です。防衛問題の論考サイト「市ケ谷台論壇」での連載からの転載で、担当する藤田直央・朝日新聞編集委員の寸評も末尾にあります。

総理のイニシアティヴ

 前回まで二回にわたり、行政官の先輩達が信念を持って情報本部の創設や防衛庁の省移行に取り組まれた例を紹介しました。今回は、政治家の信念、特に総理大臣のイニシアティヴで成就した事例として有事法制と平和安全法制を紹介します。

 防衛省にとって、自衛隊の行動に関する法制度を整備することは前身の防衛庁時代からの長年の課題でした。昭和29年に防衛庁設置法が制定されて防衛庁が創設された際、自衛隊の行動に関する手続きや権限を定めた自衛隊法も同時に制定されました。しかし、自衛隊法が定めていたのはあくまで骨格で、実際に何か事が起きて自衛隊が行動する場合に必要となる様々な細部事項は不明確なままでした。

 このため、外敵の侵略を排除するため行動している自衛隊の戦車が赤信号に遭遇したら止まらなければならないのか、といった議論が生じました。これはいささか誇張された設問ではありましたが、平素の国民生活を律している様々な法制度と有事における自衛隊の行動との関係はきちんと整理する必要がありました。

 しかし、戦後の日本社会には軍事に関連する事項への忌避感が根強く存在し、「有事に必要な自衛隊の行動権限を整備すべきだ」などと言おうものなら即座に「軍国主義の復活」といったレッテルを張られるような雰囲気が支配的で、必要な検討はなかなか進みませんでした。このような政治的に機微な課題を前進させることが出来るのは、政治家の決断以外にありませんでした。

動き出した有事法制研究

 1984年(昭和59年)、長官官房法制調査官室に勤務していた私は、いわゆる有事法制研究の第二分類のとりまとめの作業に関与していました。法制調査官室は、防衛庁関係の法令の解釈や法令案の立案に当たる部署で、現在の文書課法令審査に当たります。

 有事法制研究は、1977年(昭和52年)に時の総理(福田赳夫氏=編集部注)の了承の下に、防衛庁長官の指示によって開始され、「自衛隊の任務遂行に必要な法制の骨幹は整備されているものの、なお残された法制上の不備はないか、不備があるとすればどのような事項か等の問題点の整理」を目的として、「立法の準備ではない」という前提付きで行われていたものでした。防衛庁の研究においては、対象の法令を第一分類(防衛庁所管法令)、第二分類(他省庁所管法令)及び第三分類(所管省庁が明確でない事項に関する法令)に分け、第一分類については既に1981年(昭和56年)に研究成果が取りまとめられて公表されていました。

拡大有事法制研究について伝える1981年4月23日の朝日新聞朝刊1面

 私は、第二分類の法令の中で運輸省や警察庁の所管法令を担当し、各省庁と議論・調整しながら成果の取りまとめに当たりました。当時はマスコミ・世論の批判が強く、調整過程においては各省庁も警戒心を隠しませんでした。ある省庁(私の担当ではありませんでした)から真顔で「自衛隊って違憲なんでしょ?」と言われたなどという噂が流れるほどでした。それでも1984年(昭和59年)秋には、道交法との関係で自衛隊車両を緊急車両とする、海上交通安全法の手続きの迅速化を図る、戦死者に備えて墓地・埋葬法の特例措置を設けるなどといった第二分類の研究成果をとりまとめることが出来ました。

 ただ、この成果はあくまでも研究にとどまり、具体的な立法作業は一切行われませんでした。また、有事における国民の避難誘導や民間船舶・航空機の運航統制など所管省庁が明確でない事項に関する法令を対象とする第三分類については、一応内閣官房がとりまとめることまでは決まっていましたが、研究はほとんど進みませんでした。

拡大有事法制研究について伝える1984年10月16日の朝日新聞夕刊1面

 しかし、冷戦が終わると、瀬戸際戦術をとる北朝鮮の核・ミサイル問題の顕在化や地下鉄サリン事件、911米国同時多発テロ事件の発生などにより、国民の間に不安感が広がりました。それと同時に、危機対応組織としての自衛隊に対する期待感が高まり、有事法制を巡る意識も前向きなものに変化して行きました。

 特に、北朝鮮の核・ミサイル危機の際に対米支援措置に関する法制が欠けていることが露呈し、1998年(平成10年)に周辺事態安全確保法が整備されたのですが、これにより我が国自身の有事法制が積み残しになっていることが改めて浮き彫りとなりました。政府・与党関係者の危機感は深まり、2000年(平成12年)に自民・自由・公明の与党三党が「法制化を目指した検討を開始」するよう政府に要請しました。

 これを受けて2001年(平成13年)には総理(森喜朗氏=編集部注)が国会で「与党の考え方を踏まえて検討を開始する」ことを表明しました。この方針は次の総理にも引き継がれ、政府内で検討作業が本格化しました。内閣官房副長官(事務)の下、内閣官房安危室が中心となって、911米国同時多発テロを受けたテロ対策特措法の立法作業と並行しながら、関係省庁との調整を進めました。

拡大2001年に施政方針演説を行う森嘉朗首相=国会内。朝日新聞社

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筆者

黒江哲郎

黒江哲郎(くろえ・てつろう) 元防衛事務次官

1958年山形県生まれ。東京大学法学部卒。81年防衛庁に文官の「背広組」として入り、省昇格後に運用企画局長や官房長、防衛政策局長など要職を歴任して2017年退官。現在は三井住友海上火災保険顧問

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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