メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

緊急事態宣言下で開かれる東京五輪・パラリンピックを巡る政治的構造と本質

外交・政治の一手段であり、いいビジネスであるスポーツの祭典の周りで起きていること

三浦瑠麗 国際政治学者・山猫総合研究所代表

 4月下旬から断続的に発出される緊急事態宣言のもと、首都圏では無観客で開催されることが決まった東京五輪・パラリンピック。予定されていた都内小学校等の児童による観戦も、全員分のチケット確保が難しくなったという理由で中止されることになった。ぎりぎりまで有観客の可能性を探りながら、最後に折れるというのは、菅義偉政権のコロナ対策に共通した形ともいえる。

首相官邸に入る菅義偉首相=2021年7月19日、首相官邸

少し様子が違う緊急事態宣言

 だが、今回は少し様子が違った。もともとは感染者数が病床をひっ迫させるのではないかと思われる手前で宣言を出し、医療提供体制を立て直すのが政権のやり方だったはずだ。ところが、ゴールデンウィーク潰しの東京に対する“先制”緊急事態宣言(3回目)のときは、アルファ変異株への恐れから態度を突如変更、ワクチン効果で重症者を抑え込めているはずの今回は、デルタ変異株への危機感が前面に出た形での宣言となった。

 だが、アルファ株が東京に入ってきた結果はどうだったのか、現状がワクチン効果を打ち消すほどの医療的危機なのかについて、いずれも検証されてはいない。

 専門家のシミュレーションというのは、幾つもの前提を積み重ねたうえで成り立っており、前提が少し揺らいだだけで、結論には巨大な振れ幅が生まれる。ただ、多くの国民は、「誤差」という概念になじみがない。仮に昨年の第1波の時に、「今後1年半で1万4千人から42万人のあいだのコロナ死者が出るだろう」とコミュニケーションをしたら、一体なんだそれは、という反応が返ってくるに決まっている。切れ目がなく、ほぼ無限のシナリオがある未来に対するリスクコミュニケーションは難しい。

現在の医療供給体制では夏を越せない?

 そんななか、一つだけ明確に伝わっているメッセージがある。それは、現在の医療提供体制では、この夏さえも越せないらしいということだ。西村康稔経済再生担当相や分科会のメンバーの発言によれば、重症患者用の病床がひっ迫しなくても、中等症や軽症用の病床はひっ迫することが予想されるらしい。

 国民がこのメッセージから受け取るのは、「ワクチン効果は高齢者などの重症化を防ぐのみで、日本においてはワクチンを打っても社会経済活動を正常化できるわけではない」ということだ。とすれば、ほとんどが無症状、ないしは軽症ですむ若者にとって、副反応が強い(若い人ほど強いらしい)ワクチンを打つインセンティブがあまり感じられなくなってしまう。

 その結果、ワクチンの接種率は頭打ちとなり、正常化がますます遠のいてしまうことが予想される。まずは、感染予測や医療崩壊シミュレーションの前提をすべて明らかにしたうえで、物事を根本から見直すようにしてもらわねばならない。

Ned Snowman/shutterstock.com

オリンピックをめぐる二層構造の政治

 さて、人々の暮らしや命がかかっている緊急事態宣言が、こうも軽々しく出されるようになった背景には、やはりオリンピックがある。政治サイドからすれば、オリンピックが期日のある予定として控えていたがために、かえって「正常化」を言い出しにくくなったという構図である。

 オリンピックをめぐる政治は今、二層構造になっている。上の層は、IOCや諸外国、ワクチンメーカーなど海外のアクターと日本のアクターとの間で展開される政治。下の層は、政府と分科会や東京都、野党の間で展開される国内政治であり、それぞれにメディアが介在する。

 こうした二層の政治は、どちらかといえば普通の国際政治であり、国内政治だ。オリンピックがナショナリズムの発露や国威発揚の機会としてしばしば利用され、多額の利得やステークホルダーが絡む大規模なイベントであるがゆえに、政治化されるということだ。

 国民は政治の主人公とされながら、この二層の政治のどちらにも本格的には参加しておらず、世論調査や街頭インタビューなどで垣間見られる「気分」を、メディアが代弁しているに過ぎない。そのかわり、政治の外側に広大なネット言論空間が広がっており、二層の政治に対して、各自が様々なやり方で意見を述べ、少数のアクティビストが境界をまたいでリアルに行動している。重要なのは、国民の大半はあくまで受け身だということだ。

会見に臨むIOCのトーマス・バッハ会長=2021年7月17日、東京都江東区

アクティビストが主張する「腐敗」言説

 アクティビストの主張で、もっともシンプルに説得力を持つのが、いわゆる「腐敗」言説である。IOCから日本政府まですべてが腐敗しており、権力者や資本の都合の良いように都市が開発されてしまうのだという、いかにも分かりやすい言説だ。彼らは国境を越えてオリンピックを阻止するために連帯して行動しているため、それぞれの分野でそれぞれのアジェンダを持ってはいるが、「No Olympics!」においては連帯が可能である。

 安倍晋三前首相がいみじくも「反日的な人」と名指したのは、こうした運動を実際にはもっと大きな広がりを持つものとして拡大解釈しているせいではないかと思う。彼らの反権力的志向は確かだから、日本的に言えば「左翼」という単純な塊として、安倍さんなどには理解されるのだろう。

 けれども、オリンピック廃止論は、

・・・ログインして読む
(残り:約2621文字/本文:約4782文字)