[3] 美しき誤解が生んだ雄大な歌の世界~「アムール河の波」ロシア
伊藤千尋 国際ジャーナリスト

ロシアと中国の国境を流れるアムール川。氷で覆われていた=2004年11月15日、ロシア・ハバロフスク
シベリアの大地を流れる大河 自由と平和祈る絵巻物
「地球は青かった」の名言を残した人類初の宇宙飛行士、ソ連のガガーリン少佐が宇宙船で地球を回ったさい、地球の陰に入った間、「アムール河の波」を聴いていたという。生きて地球に帰る保証はまったくなかった時代だ。ともすれば落ち込みそうな精神を、この曲で鼓舞したのかもしれない。あるいは聴くだけでなく自分で歌っていたのかも……。
「アムール河の波」は一人で歌っても勇壮な歌だ。まして大人数の合唱で聴くと重厚さを感じる。大きな波が折り重なるように白いしぶきをあげ、逆巻いて流れる大河を目の当たりにする思いだ。雄大さを感じるロシア民謡の中でも、この歌はひときわスケールが大きい。「見よアムールに波白く……」とうたう歌詞は情景が鮮やかに浮かぶ。
あらためて歌詞を追うと、実に写実的な詞だ。
まるで絵巻物のような風景が描写される。歌詞はかなり長いので、その概要をたどり、筆者がこの歌の世界を再現してみよう。
広大なシベリアの大地を吹きつける強い風によって大河の流れは白波となり、ごうごうと音を立てて荒れ狂っている。やがて夜が明け、真っ赤な太陽が昇ってきた。朝日に照らされた小舟の船員は、木の葉のように揺れる船上で太陽に向かって歓声を上げた。彼らの喜びの歌声は岸辺にまで伝わり、沿岸の人々に幸せをもたらすかのようだ。
海を目指して一日中、下流に向かって舟を走らせていると、やがて夕方となり、太陽はシベリアの野に沈もうとする。斜めからの日差しによって川面のさざ波は黄金色に光ってきた。自由の河アムールが故郷の平和を守るよう、舟人たちは祈るのだった。

ロシア極東・ハバロフスクを流れるアムール川で氷塊が光りを放つ。あたりは川幅約2キロ。冬季に氷結した川面では所々で氷塊が突き出て、日を受けて透き通った光を放つ=2006年1月
軍楽隊長キュスが作曲。没後、詞がつき世界中に広まる
この曲の作曲者は、現在のウクライナで生まれたマックス・キュスだ。

マックス・キュス
当時のウクライナは帝政ロシアの支配下にあり、彼はロシア軍の兵士として日露戦争に参加している。日本海に面したウラジオストクを拠点とする東シベリアの連隊の軍楽隊長だった時に作ったのがこの作品だ。最初は曲だけで歌詞はなかった。
キュスが亡くなった後の1944年、ハバロフスク極東軍の軍楽隊の指揮者ルミヤンツェフが埋もれていた楽譜を見つけ、合唱曲に編曲した。同時にソリストのポポフに作詞を命じた。ポポフの原詩にヴァシリエフが補作した詞が今日、広く歌われているものだ。

日露戦争の後、1918年に日本がシベリアに出兵した当時のロシアの軍港ウラジオストク。停泊中の軍艦は(左から)中国の「海容」、日本の「三笠」、フランス艦、日本の「肥前」=朝日新聞特派員が撮影
第2次世界大戦後にハンガリーのブダペストで開催された世界青年学生祭典でモスクワの青年たちが歌い、世界に広まった。日本では合唱団白樺が日本語の歌詞をつけて歌い、ダークダックスなどが紹介した。歌声喫茶などで盛んに歌われて広まった。

コーラスグループ・ダークダックス
(連載第1回「鳥の歌」はこちら。第2回「歓喜の歌」はこちら。第4回「ソルヴェイグの歌」はこちら)