メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

[3] 美しき誤解が生んだ雄大な歌の世界~「アムール河の波」ロシア

伊藤千尋 国際ジャーナリスト

拡大中ロ国境を流れ、ロシア・ハバロフスクに至ったアムール川。ここでの川幅は1.5~2キロあり、冬は完全に結氷する=2004年11月18日

「ロシアのアマゾン」 アムールは4300キロの大河

 このような歌詞を見れば、アムール川に行って壮大な川の流れをこの目で見たくなるではないか。日本からそんなに遠くはない。と言っても、すぐに行ける場所ではない。

拡大結氷したアムール川には、対岸を行き来する人たちによって川面に道が出来る=2006年1月、ハバロフスク
 ユーラシア大陸の地図を広げてみよう。モンゴル高原東部のロシアと中国との国境地帯を流れるシルカ川とアルグン川は、合流点からアムール川と名を変えて東に流れる。中国とロシアとの国境線をなし、ロシアのハバロフスクで北東に流れを変えてオホーツク海に注ぐ。全長4300キロ余りもある世界8位の大河だ。

 とはいえ、川の大半が秘境のような地域である。川を身近で見られるのはハバロフスクくらいだ。ノンフィクション作家の林郁さんは、『大河流れゆく-アムール史想行』(朝日新聞社、1988年)でこう書く。

「丘をくだり、アムールの岸辺に立つ。長大な黒っぽい水面がさざ波を立てて東へ動いている。中国で黒竜江と呼ばれるように、なるほど空を映さない黒水、黒い竜のイメージだ。岸の砂地には、短い夏の太陽と水浴を楽しむ男女が群れている」

 林さんはここで、「アムール川のさざなみ」を口ずさんだという。「アムール河の波」の別名である。

拡大ハバロフク市内の「アムールの浜」と呼ばれるアムール川に設けられた水泳場。日曜日、多くの市民が短い夏を楽しもうと日光浴や水遊びの人たちが繰り出し、にぎわっていた=1967年6月
拡大アムール川畔でコウラ干しする人々。立っているのは寝る場所がないのではなく、焼きたいところを太陽の方へ向けているからだ=1965年、ハバロフスク

 しかし、街中より大自然の中で見る方がより迫力をもって感じられるだろう。だれか本格的な自然の中でこの川を見た人はいないだろうか、と考えて思いついたのは江戸時代の探検家、間宮林蔵だ。

間宮林蔵が歩いて測量―大動脈・大自然・川幅は数十キロ

 間宮林蔵は、樺太(サハリン)から間宮海峡をわたってシベリアに上陸し、アムール川沿いを歩いて測量した。彼の足跡を追った北海道新聞の記者、相原秀起さんが『追跡 間宮林蔵探検ルート―サハリン・アムール・択捉島へ』(北海道大学出版会、2020年)を書いている。その記述を追おう。

 相原さんは、アムール川の河口の街ニコラエフスクナアムーレから車に乗り、フェリーでアムール川を渡っている。「アムール川の色は薄茶色を帯び、真ん中まで来ると波立ってきた。波しぶきをなめると、ちょっと塩味がした。大型の貨物船が上流へと向かう。アムール川は今もロシア極東の物流の大動脈である」と書く。

拡大北海道稚内市の宗谷岬に近い浜辺に立つ「間宮林蔵 渡樺出港の地」の石碑。間宮はここから2度、樺太に渡った=2021年7月、筆者撮影
拡大北海道稚内市の宗谷岬に立つ間宮林蔵の立像=2021年7月、筆者撮影

 ニコラエフスクナアムーレの昔の名をニコラエフスクという。1920年に日本軍の守備隊と日本の居留民の700人を超す人々がロシア赤軍に惨殺される尼港事件が起きた地だ。日本海軍がすぐに出動しようとしたが、あまりに不便な場所なのですぐには行けなかった。

 相原さんによると、アムール川で洪水が起きたら下流に押し寄せるのに月単位の日数がかかるという。流域面積があまりに広いためだ。川幅は河口でさえ20キロに及ぶ。中流となると洪水のさいには数十キロになることもあるという。

 周辺の森には体長3メートルもあるアムールトラが生息し、森は「ロシアのアマゾン」と呼ばれるほど広大だ。「アムール河の波」の歌がもたらす雄大なイメージを裏付ける記述が続く。

拡大厳冬のアムール。地中の泥炭が燃え、漂う煙が夕日で赤く染まる=2006年1月、ビロビジャン
 それにしてもキュスはどこでアムール川を見たのだろうか。地図を見ると、キュスがいたウラジオストクとアムール川はずいぶん離れている。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

伊藤千尋

伊藤千尋(いとう・ちひろ) 国際ジャーナリスト

1949年、山口県生まれ、東大法学部卒。学生時代にキューバでサトウキビ刈り国際ボランティア、東大「ジプシー」調査探検隊長として東欧を現地調査。74年、朝日新聞に入社し長崎支局、東京本社外報部など経てサンパウロ支局長(中南米特派員)、バルセロナ1949年、山口県生まれ、東大法学部卒。学生時代にキューバでサトウキビ刈り国際ボランティア、東大「ジプシー」調査探検隊長として東欧を現地調査。74年、朝日新聞に入社し長崎支局、東京本社外報部など経てサンパウロ支局長(中南米特派員)、バルセロナ支局長(欧州特派員)、ロサンゼルス支局長(米州特派員)を歴任、be編集部を最後に2014年9月、退職しフリー・ジャーナリストに。NGO「コスタリカ平和の会」共同代表。「九条の会」世話人。主著に『心の歌よ!』(シリーズⅠ~Ⅲ)『連帯の時代-コロナ禍と格差社会からの再生』『凛凛チャップリン』『凛とした小国』(以上、新日本出版社)、『世界を変えた勇気―自由と抵抗51の物語』(あおぞら書房)、『13歳からのジャーナリスト』(かもがわ出版)、『反米大陸』(集英社新書)、『燃える中南米』(岩波新書)など。公式HPはhttps://www.itochihiro.com/

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

伊藤千尋の記事

もっと見る