細胞を培養して食品を生産する技術が急速に進展。世界の潮流に遅れないために日本は…
日本で「経済安全保障」に関する報道が増えている。海外でも、日本の経済安保政策動向に対する関心は高い。ただ、そこで焦点が当てられているのは、半導体やIT製品を巡るサプライチェーン、あるいは国内防衛産業基盤の維持やコロナ禍を受けた医薬品の開発・供給体制の話となっている。
ここで見落とされている重要な分野が、人々の生活に直結する経済安全保障上の課題である「食料安全保障」だ。
もちろん、食料安全保障を巡る問題は従来から指摘されてきた。しかし、食料安保を語る上で前提とされていた諸条件をひっくり返すような、まさに「ブレークスルー技術」として現在急速に台頭しつつある「細胞農業」については、まだ広く知られていない。
本稿では、まず「細胞農業」がどのような技術かを紹介し、その社会的影響について説明する。次に「食料安全保障」の定義を確認し、細胞農業がどのように食料安保に貢献しうるかを説明する。続いて、各国が食料安保を「経済安全保障」として捉え始めている現状を分析する。細胞農業を食料安保政策の一環として取り組んでいるシンガポールとイスラエルの最新状況について紹介しつつ、最後に日本の現状と今後取るべき政策を提言したい。
井形彬(いがた・あきら)
多摩大学ルール形成戦略研究所客員教授・事務局長
米国シンクタンクのパシフィック・フォーラムSenior Adjunct Fellowや、国際議員連盟の「対中政策に関する列国議会連盟(IPAC)」経済安保政策アドバイザーを兼務。その他様々な立場から日本の政府、省庁、民間企業に対してアドバイスを行う。専門は、経済安全保障、インド太平洋における国際政治、日本の外交・安全保障政策、日米関係。
吉富愛望アビガイル(よしとみ・めぐみ)
多摩大学ルール形成戦略研究所 細胞農業研究会事務局広報委員長
欧州系投資銀行のクロスボーダーM&Aアドバイザリー部門でアナリスト職務に従事。国内最大かつ唯一の細胞農業のルール作りに関する業界団体(細胞農業研究会)の事務局広報委員長として、培養肉等の細胞農業食品に関するルール作り・広報活動に従事。2020年にはForbesの「30 UNDER 30 JAPAN(世界を変える30歳未満30人の日本人)」に選出。
細胞農業とは、動物や植物などから細胞を取り出し、生体外で培養(成長)させて資源を生産する技術だ。食品・毛皮・革製品・木材など様々な用途に使うことができるが、なかでも細胞培養で食品を生産する技術の開発は急速に進展している。
こう書くと、「豆腐バーガー」のように、植物性の原料を使い「肉のような」味や食感を再現する「植物性代替肉」を思い浮かべる読者もおられるかもしれないが、それとは根本的に異なる。細胞培養による肉は、あくまでも動物の細胞を増やすことで作られ、本物の肉と同じ動物性たんぱく質によりできている(下の図1をご覧いただければイメージできるだろう)。
この細胞農業により作られた肉は、一般的に使われる統一した呼称がまだなく、「人工肉」や「純肉」、「クリーンミート」や「エシカルミート」といった様々な呼ばれ方がされている。本稿では便宜上、畜産物の細胞からなる食品を「細胞培養肉」、水産物の細胞からなる食品を「細胞培養シーフード」、細胞農業により作られた食品全般の総称として「細胞農業食品」という呼び名を使用する。