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培養肉と食料安全保障~台頭する細胞農業がもたらす経済安全保障上の可能性

細胞を培養して食品を生産する技術が急速に進展。世界の潮流に遅れないために日本は…

井形彬 吉富愛望アビガイル

細胞培養肉の「食料安保」の観点からの効用

 まず、細胞培養肉の生産には広大な農地は必要なく、狭い土地でも生産が可能だ。海外依存度が高い食品で細胞農業による生産が可能だと、国家戦略として意図的に食品生産拠点の国内回帰(リショアリング)を行うことが可能となる。

 狭い土地での生産が可能になれば、最終消費地に近い場所で生産することに経済合理性が出てくる。とすれば、食料生産の分散体制が自然と構築され、地産地消型の食料サプライチェーンになって行く。国内で消費される食料は国内で生産されるようになり、海外への食料依存度は減少する。

 細胞農業はサプライチェーンの強靭性(レジリエンス)強化にもつながる。例えば、自然災害等で一部の地域で食品生産ができなくなったとしても、地産地消型のサプライチェーンなので近くの工場で代わりに生産量を増やすという対応が比較的容易であり、供給体制が崩れにくい。加えて、畜産業で牛一頭を育てて出荷するまでに約21ヶ月かかるが、細胞農業では同じ量の可食部の肉を1ヶ月で生産できるため、柔軟且つ短期間で供給量を調整できる。

 細胞農業の生産過程が、畜産業と比べて自動化しやすいという特徴は、食料安全保障においても効いてくる。伝統的な畜産業では食肉処理や加工で複雑な手作業が生じるため、新型コロナなどのパンデミック下では生産が滞る場合がある。細胞農業食品だと、生産過程の大部分が自動化できるため、パンデミック下でも生産は止まりにくい。

 もっと言えば、細胞農業は日本に限らず世界全体にとっての食料安全保障にも寄与する。将来的に世界の人口増や開発途上国の経済成長により増加する食肉、その他動物性たんぱく質需要に対して、供給が間に合わなくなるという予測がある。農林水産省が2019年に出した「2050年における世界の食料需給見通し」によると、今後の人口増加によって、世界の畜産物需要量は 2015 年に比べ 2050 年に1.8倍まで増加する。

 これだけの需要増に伝統的な畜産業のみで応えることは、上述した資源効率性の相対的な低さからも、ほぼ不可能だ。このままでは、肉を口にできるのは、裕福な地域・国・人々のみという時代になりかねない。

 細胞農業によって、誰もが動物性たんぱく質を摂取できるようになれば、将来的な世界規模の食肉不足が生む紛争の火種を未然に摘むことができる。

 他方、長期的な細胞農業食品による食料安全保障の確保を考えた場合、細胞を増殖・分化させる際に栄養を与える「培養液」の主成分となるアミノ酸や、その生産に必要な糖分の原料となる穀物などの確保が課題となる。すなわち、(1)元となる動物細胞を国内で採取ができ、(2)この細胞を培養する施設が国内に十分な数だけ存在しており、(3)実際に細胞を増殖・分化させるのに必要な培養液の原料が国内調達できる――という三条件が、細胞農業によって食料自給率を向上させるには不可欠になる。

食料安保を経済安保と捉える米国

 こうした食料安保の重要性はどの国でもかねてから指摘されていたが、最近はより大きな「経済安全保障」の文脈で捉えられることが多くなってきている。

 例えば米国では、バイデン政権が2021年2月24日に『米国サプライチェーンに関する大統領令(EO14017)』を出した。ここには「米国は、経済的繁栄と国家安全保障を確保するためには、レジリエント(強靭性がある)で、多様、そして安全なサプライチェーンを必要としている」と書かれており、「地政学的・経済的競争」を含む様々な状況が「重要な製造能力、および重要な商品、製品、サービスの可用性と完全性を低下させている」と指摘する。また、同盟国やパートナーとのサプライチェーン協力が「集団的な経済安全保障・国家安全保障を促進し、国際的な災害や緊急事態に対応する能力を強化する」とも書かれており、大統領令の目的が経済安全保障の確保であることは明らかだ。

 この大統領令には、米国の4省庁に対して100日以内にグローバルサプライチェーンのリスク評価を行うように要請する内容が含まれており、これに基づき2021年6月には『レジリエントなサプライチェーン構築、米国の製造業活性化、幅広い成長の促進』と題された「100日レビュー」が提出された。中身は、半導体、バッテリー、レアアース、医薬品など、日本においても「経済安全保障」として語られているものだ。ただ、100日間で新たに把握できる内容は限られ、この文書は既存の政府対応のまとめのようなものとなっている。

 EO14017でより重要で包括的なレビュー結果が記されるのは、1年以内の提出が義務付けられている各省庁による『分野別サプライチェーン評価報告書』だ(Sec. 4)。今回の「100日レビュー」は商務省、エネルギー省、国防省、保健福祉省の4省庁がまとめたが、この「1年レビュー」には4省庁に加え、国土安全保障省、運輸省、農務省の計7省庁が含まれる。

 農務省に関しては、「農務長官は、適切な機関の長と協議の上、農作物および食品の生産のためのサプライチェーンに関する報告書を提出しなければならない」と規定されている。バイデン政権下では半導体やレアアースと同様、食料安全保障も経済安全保障上の問題として捉えられていると言えるだろう。

 行政だけでなく、立法府もこの動きに同調する。下院では現在、農業関連の予算法案である『2022年度農業・地方開発・食品医薬品局・関係機関歳出法案(H.R.4356)』の審議が進んでいる。この第777条には、部分的にでも中国政府により所有されている企業が米国で農地を買うことを禁止する措置を取るように農務長官に命じると同時に、すでに農地を持っている場合は、農務省の支援プログラムへの応募資格を剥奪(はくだつ)する内容が含まれる。

 この条項を追加したダン・ニューハウス下院議員は、米国内で「中国が農業独占することは、米国の国家安全保障と食料安全保障に対する直接的な脅威となる」と述べ、「米国は、国内の農業と食料供給を中国に依存するようになってはならない」と警鐘を鳴らす(参照)。

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