2021年07月22日
北欧の歌で日本に知られているものといえば、まず「ソルヴェイグの歌」だ。高校の音楽の教科書に載ったことがあるし、NHKの「みんなのうた」では歌詞を変え「みずうみ」として紹介された。
ノルウェーの作曲家グリーグの代表作、組曲『ペール・ギュント』の1曲である。女性がソプラノの高く澄んだ声を張り上げて歌う悲痛なメロディーと純情な歌詞に心打たれる人は多いだろう。
ノルウェー語の歌詞の英訳から重訳してみよう。
冬は過ぎ 春も去った
春も去った
夏もまた去っていった
かくてその年は過ぎゆき
また年が経ていく
しかし、私はかたく信じている
あなたは再び帰ってくると
そのときあなたは、
待ち続けている私を見つけるだろう
私があなたに約束したように
待ち続けている私を見つけるだろう
そう、私が約束したのだから
そのときあなたは待っている私を見つけると
あなたは待ち続けている私を見つけるだろう
去って行った夫を待つ女性のひたむきな気持ちが胸を打つ。春が過ぎ、夏を越え秋も去り、冬になっても、さらに翌年、その翌年になってもただひたすら待ち続け、気の遠くなるような年月が過ぎていく。それでも帰りを信じて待っている健気な姿が目に浮かぶ。
初演はその9年後。劇中の音楽を担当したのがグリーグだった。その第4幕、名高い「アニトラの踊り」のしばらく後にこの歌が出てくる。
(連載第1回「鳥の歌」はこちら。第2回「歓喜の歌」はこちら)
『原典による イプセン戯曲全集 第2巻』(未来社、1989年)の『ペール・ギュント』を読み通してみた。細かい字が2段組みで183ページある。日本には縁遠い北欧の自然や北欧の民話を知らないと理解できないことが多く、読むのに骨が折れる。途中で何度も辞書をひいた。
面倒だと思う人には、詩人の川崎洋氏のわかりやすい文章による絵本『ペール・ギュント-グリーク音楽物語』(評論社、1991年)がある。読めば大筋がつかめる。
「ソルヴェイグの歌」に限って言えば、一途な女性の心という一点でわかりやすい。妻を放ってあてのない旅に出た放蕩な男を、ソルヴェイグという女性はおばあさんになるまで40年間も、ひたすら待ち続けたのだ。気の遠くなる忍耐力を感じる。
『人形の家』は1879年、『ペール・ギュント』はその3年前に初演された。この3年間に、イプセンの心境に何か変化が生まれたのだろうか。いやいや、両方に共通するテーマがあるのかもしれない。
まずは『ペール・ギュント』の筋を紹介しよう。
怠け者でほら吹きの放蕩息子ペール・ギュントは知人の女性の結婚式に行き、讃美歌集をハンカチに包んだ参列者の可愛い娘ソルヴェイグに会う。ペールは、結婚を嫌がって蔵に閉じこもった花嫁を蔵から出して山に連れて行く。花嫁は実はペールの元恋人だった。このため花嫁略奪だと村中が大騒ぎになった。しかし、ペールは今やソルヴェイグを愛している。捨てられた形の花嫁は泣く泣く村に帰った。山中でペールは、魔王の娘を気に入って自分は王子だと嘘をつき、山奥の魔王の館に入り込む。ウソがばれて逃げ出したが、村に戻ると花嫁をかどわかした罰で全財産を没収された。
ここまでが第1幕と2幕だ。
失意のペール・ギュントにソルヴェイグは森の小屋でいっしょに暮らそうと優しく声をかける。母親の死を看取ったペールは家を出る。中年になって奴隷貿易で財産を築いたペールは、アフリカのモロッコで知り合った男たちに富を奪われる。砂漠をさまよううちに泥棒が隠した宝を見つけたが、遊牧民の娘アニトラにすべて奪われる。愕然とするペール・ギュント。
このとき故郷の小屋で、中年になったソルヴェイグが歌う。いつかあなたが帰ってくるのを待っていると。これが「ソルヴェイグの歌」だ。
以上が第3幕と4幕である。このあと最後の第5幕になる。
世界を放浪したはてに老いたペール・ギュントは乗っていた船が難破し、無一文になって故郷に帰って来た。森の小屋で待っていたのは、年老いたソルヴェイグだ。罪悪感に苦しむペールに、彼女は「あなたは私の一生を美しい歌にした。あなたは私の愛の中にいた」とおおらかに声をかけて抱きしめた。彼女が「お眠り、いとしい私の子」と静かに子守唄を歌う中、ペールは安らかな永遠の眠りにつく。
いったいこの物語は何を言いたいのだろうか。
自分を好きになってくれた女性を放って好き勝手に世の中をさまよった男が、最後に女性のもとに戻って来る。その間、女性はただただ40年も待ち続け、戻ってきた男に文句の一言も言わず心から歓迎する。あまりにも身勝手な男と素直に受け入れる女性。どう理解すればいいのだろうか。
物語のカギは、ソルヴェイグが肌身離さず手にしている讃美歌集だろう。テーマは「赦し」ではないか。どんな放埓な人間でも、最後には救いがあるという宗教的なものだ。辛い人生も最後は報われるという結末に、フランスの作家デュマが書いた『モンテ・クリスト伯』の「待て、そして希望せよ」という最後の言葉が重なる。
それにしても『ペール・ギュント』と『人形の家』では、「ひたすら男を待つ女」と「男から自立する女」で対象的だ。どう理解すればいいのだろうか。それは、この時代にイプセンがなした業績を見れば理解できる。
当時のノルウェーの演劇といえば勧善懲悪で凝り固まっていた。善い行いをすれば幸せになり、悪い行いは不幸を招くという常識的な発想だ。そこにイプセンはくさびを打ち込んだ。彼の作品は、「非常識で不道徳だ」とさんざんけなされた。彼は時代の殻を打ち破りたかったのだ。日本の新劇もイプセンから始まったと言われる。
ソルヴェイグとノラに共通するのが、自己の明確な意志を持ち、行動で示す、凛とした女性だ。ソルヴェイグだって男に頼ってはいなかった。彼女は森の小屋に住み、ペール・ギュントから仕送りを受けることなく、経済的に自立して生きてきた。そのうえで、最後は寛容にもバカな男を赦し、優しく包み込むのだ。最後の場面が象徴するように、二人の関係は愛する男女というよりも母親と赤ん坊のようである。
ペール・ギュントを読み通して、私の頭に浮かんだのは、映画『男はつらいよ』の主人公、寅さんだった。
やくざな男があちこちさまよい、最後は家に帰って来て妹をはじめ家族にやさしく迎えられる。ペール・ギュントは北欧の寅さんではないか。ソルヴェイグは寅さんの妹のさくらを彷彿とさせる。
スカンディナビア半島の西部、ノルウェー海に面したノルウェー王国の、そのまた西部にある港町がベルゲンだ。この国第2の都市である。湾の奥まった場所にある港には、海に面した石畳の道に沿って三角屋根で4階建ての可愛い木造の建造物が軒を並べる。ブリッゲン地区という。
ブリッゲンとは「埠頭」の意味だ。ここは中世に大きな経済的影響力を持ったドイツのハンザ同盟の国外拠点の一つで、14世紀頃にドイツから来たハンザ商人たちが商館を開いて発展した。当時の繁栄を今に伝えている。正面の間口は狭いが、路地に入ると奥行きの深さに驚く。「うなぎの寝床」と呼ばれる京都の町屋に似ている。縦長に長屋のようになっており、革や刺しゅうなどの工房、画廊などが並んでいて、ユネスコの世界文化遺産に登録されている。
港の広場には魚市場のテントがぎっしりと並ぶ。屋台の上にはタラやニシンなどの魚、オイルサーディンの缶詰が山積みだ。大ぶりのサーモンやエビが山盛りで、その場でサンドイッチにして食べられる。パンからはみ出たサーモンを舌で追う。新鮮でおいしい。
市の中心部には市庁舎や美術館が立ち並ぶ。電車で坂を上って20分ほど歩くと、エドヴァルド・グリーグ博物館がある。グリーグが晩年の22年間を暮らした家だ。
広い庭にはグリーグが作曲するさいにこもった赤い屋根の小屋がある。中には窓に向かって机が一つ、アップライトのピアノが当時そのまま壁際にある。庭の200人収容のコンサートホールでは夏にコンサートが開かれる。
この一帯をトロルハウゲンという。トロルの丘という意味だ。トロルとは北欧の妖怪で、『ペール・ギュント』の魔王の館にも出てくる。
見わたす海は大きく内陸に入り込んでいる。ノルウェーの海岸地帯はほぼすべてフィヨルドだ。氷河が削り取った谷に海水が入り、内陸の奥深くまで海が侵入する。
フィヨルドの入江を、現地では「ヴィーク」と呼ぶ。人は「イング」だ。ここからフィヨルドの住民を「ヴァイキング」と呼ぶようになったという。北欧の海賊として知られる。北欧の神話に「ヴァイキングに行く」という表現があり、探検や略奪などを意味するという指摘もある。花嫁の略奪婚もしばしばあった。
戦士として名高いヴァイキングだけに男優先の社会だったが、英国で出版された『GODS & GODDESSES in THE DAYLY LIFE of the VIKINGS』を見ると、当時の他の世界よりは女性の地位が高く、女性は土地や財産の所有権を持ち、夫から虐待されれば離婚を主張することもできたという。
ヨーロッパ本土でもっとも深くて長いソグネ・フィヨルドに船で行ってみた。
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