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[5] 歌い継がれるパルチザンの魂 それは恋の歌~「さらば恋人よ」イタリア

伊藤千尋 国際ジャーナリスト

拡大歴史を感じさせるボローニャの街=2019年、筆者撮影

ボローニャは2千人の戦士の名を刻み、哀悼を捧げ続ける

 パルチザンと言っても、日本ではイメージが浮かびにくい。どんな人々がどんな生活をしていたのだろうか。

 パルチザンの活動の舞台はイタリア北部の一帯だった。中でもイタリア中北部の街ボローニャは「レジスタンス都市」と呼ばれる。第二次大戦中にとりわけパルチザンの活動が活発で、ナチス・ドイツ軍だけでなくファシストの黒シャツ旅団を追い出して市民の力で街を解放した。

拡大枢軸国として同盟を続け、親交も重ねたムッソリーニ・イタリア首相とヒトラー・ドイツ首相=1934年6月22日、イタリア・ベニス
拡大黒シャツ隊と呼ばれたイタリア国防義勇軍の結成20周年式典。ムッソリーニ首相に向かって敬礼する様子=1943年2月

 まずはここにお連れしよう。

 首都ローマから列車に乗って2時間走ると、早くもボローニャに着く。中央駅を出ると石畳の道に赤レンガの建物だらけだ。屋根までも赤い瓦である。このため「赤い街」と呼ばれる。広場に面した建物は回廊になっていて、古い造りが歴史を感じさせる。

拡大ボローニャ市庁舎=2019年、筆者撮影
拡大ヨーロッパ最古の大学、ボローニャ大学の解剖学教室=2019年、筆者撮影

 中心部にある市役所を訪れると、正面の壁に小さな顔写真がたくさん並んでいる。戦争中に戦死したパルチザンの戦士たちだ。多くは若者や中年の男性だが、女性や少年、白髪の老人もいる。顔の下には名前が刻まれている。写真が残っていない人のためには、写真の替わりに花輪に囲まれた星と名前だけが刻まれている。

 説明書きがあった。「ナチスの暴力によって虐殺された大勢の子どもたち、女性たち、男たちに対し、そしてすべての人々に、ボローニャは深い哀悼と謝意をささげる。彼らの死は市民の独立と人類の平和と社会正義にかなった社会の到来のため、かけがえのない証言、警告となろう。自由のため崇高に戦った彼らを忘れまい」。

拡大市庁舎の壁に掲げられた、亡くなったパルチザンの人々の写真=2019年、筆者撮影
 掲げられた人々の数は2000人を超す。ボローニャで第2次大戦末期にパルチザンに参加した人々は1万4425人で、そのうち戦死したのは2059人、銃殺されたのは2350人、強制収容所に入れられて死んだのは829人という記録が残る。

 パルチザンに参加した4割もの市民が殺されたのだ。「生きて帰れない」と歌われたのも無理もない。市役所前の広場は、ドイツ軍に捕らえられたパルチザンの戦士が銃殺された場所だ。

子どもため、次世代のため、人間の尊厳のため

拡大ボローニャの墓地にあるパルチザンの墓(Fabio Caironi / Shutterstock.com)
 パルチザンの活動は死と隣り合わせだった。20歳でパルチザンに加わり、山にたてこもったのが小説家イタロ・カルヴィーノだ。「言葉では言い尽くせない危険と困難をかいくぐった。牢獄と逃亡を体験し、何度も死にそうになった」と、後のインタビューで語っている。

 彼の小説『くもの巣の小道』(福武書店、米川良夫訳、1990年)にパルチザンの描写がある。「みながみな、てんで違った恰好をしていて、いろいろの銃やら薬莢帯やらをぶらさげているのだ。それは兵隊と言えばそう思えなくもない。……軍服も靴もぼろぼろなら、髪も髭もぼうぼうに伸ばしたままで……」と、まるで敗残兵か野盗のような姿だ。映画「七人の侍」の浪人たちのようでもある。

 ボロは着ていても心は錦だった。「たとえぼくら自身を解放してくれることはなくても、ぼくらの子供たちを解放して……はればれとした、悪者なんぞのあり得ないような人間性をつくりあげる役には立つんだ……われわれは自分自身を取り戻すために、彼ら(注・ナチス側)は奴隷であり続けるために。これが闘いの意味なんだ」と、その存在意義を述べている。

 パルチザンに参加した人々は、次の世代のために人間性に満ちた社会を作ろうと、捨て石となる覚悟を持っていた。

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筆者

伊藤千尋

伊藤千尋(いとう・ちひろ) 国際ジャーナリスト

1949年、山口県生まれ、東大法学部卒。学生時代にキューバでサトウキビ刈り国際ボランティア、東大「ジプシー」調査探検隊長として東欧を現地調査。74年、朝日新聞に入社し長崎支局、東京本社外報部など経てサンパウロ支局長(中南米特派員)、バルセロナ1949年、山口県生まれ、東大法学部卒。学生時代にキューバでサトウキビ刈り国際ボランティア、東大「ジプシー」調査探検隊長として東欧を現地調査。74年、朝日新聞に入社し長崎支局、東京本社外報部など経てサンパウロ支局長(中南米特派員)、バルセロナ支局長(欧州特派員)、ロサンゼルス支局長(米州特派員)を歴任、be編集部を最後に2014年9月、退職しフリー・ジャーナリストに。NGO「コスタリカ平和の会」共同代表。「九条の会」世話人。主著に『心の歌よ!』(シリーズⅠ~Ⅲ)『連帯の時代-コロナ禍と格差社会からの再生』『凛凛チャップリン』『凛とした小国』(以上、新日本出版社)、『世界を変えた勇気―自由と抵抗51の物語』(あおぞら書房)、『13歳からのジャーナリスト』(かもがわ出版)、『反米大陸』(集英社新書)、『燃える中南米』(岩波新書)など。公式HPはhttps://www.itochihiro.com/

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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