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自民党に連立拡大論が浮上 衆院選後の政権の形は?~オール大連立もありか

自民党一党独裁に終止符を打った1993年政変の当事者・武村正義氏の経験と教訓

曽我豪 朝日新聞編集委員(政治担当)

小沢さんの非自民連立構想に目が覚めて

武村 ところが、これは私が評価するところなんだが、小沢一郎さんがオール非自民で細川さんを首相に担ぐと言い出した。私もそこで目が覚めたわけです。ただ、初めて細川さんからその話を聞いた時は、思わず私は反発して、ええと、何と言ったんだっけな……。

――『武村正義回顧録』(御厨貴、牧原出編 岩波書店)によると、「それは謀略じゃないの」と言った、とあります。

武村 そうそう、謀略。そうしたら細川さんは、椅子から半分立ち上がって「そんなことないです」「とにかく小沢さんに会って下さい」と言った。そこで、その日の夕方、全日空ホテルまで小沢さんに会いに行きました。話を聞いて、謀略と思ったのは間違いだと分かり、私も小沢さんの言う幅広い連立に頭を切り替えて行ったのが事実です。小沢さんは、私が細川さんが首相になることに反対していると思ったらしく、「それなら首相は武村さんでもいいんだ」と言いましたがね。

編集部注:武村氏が細川氏から「細川擁立論」を聞き、小沢氏に会いに行ったのは衆院選から4日後の7月22日だった。

――興味深い調査結果があります。衆院選直後に実施した朝日新聞の世論調査ですが、どういう連立の形を望むか聞く質問に対して、「自民党中心の連立」を望む声が56%と半数を超え、「自民党を除く野党中心の連立」は33%しかありませんでした。

武村 そうですか。自民党を連立政権から外すという発想は、主流ではなかったんですね。小沢さんが火を付けた非自民連立という考え方は、今から思えば自然に思えるけれども……。

――小沢さんに会って「細川首相」を確認した時、武村さんは「1週間待ってくれ」と言っていました。それはなぜですか。

武村 謀略という考えは撤回しましたが、盟友だと思っていた細川さんを首相に担ぐというのは、価値のある大きなことだという思いがあり、関係者とも相談、議論をしたうえで決めたいという気持ちでした。1週間には特段の意味があったわけではありませんが。自民党と組むというカードを捨てることの重さも意識したんだと思います。自民党と相談しようとは思いませんでしたが。自分の頭を切り替えるために時間が欲しかったのでしょうね。

拡大連立で合意した非自民8党派。会談に先立ちポーズをとる各党の首脳。右から2人目が武村正義氏=1993年7月29日、東京・永田町のホテルで

まとまりを欠き、反応が鈍かった自民党

――小沢さんから細川首相擁立案を聞いた後、新党さきがけの田中秀征さんの提案で「改革特命政権」という旗印をつくります。これが帰趨を決めたということですか。

編集部注:新党さきがけと日本新党は7月23日、「政治改革政権の提唱」を発表した。統一会派「さきがけ・日本新党」の当面の最優先の行動目的を「本年中の政治改革の実現」とし、「政治改革を断行する政権」(政治改革特命政権)の樹立を提唱。そのための条件を列挙し、条件を受け入れる側と連立をするとした。

武村 自民党が衆院選の結果について素直に反応、反省しなかったのです。過半数を割ったという深刻な事実に対して鈍感で、党全体でまとまりを欠き、中心になる人物がいなかった。塩川正十郎さんらが私たちとの交渉の窓口だったが、(塩川さんが)自民党を代表する実力者かと言えばそうではない。

編集部注:塩川正十郎氏は当時、自民党の政治改革推進本部長代理。武村氏は自民党を離党する前、同本部の事務局長だった。二人とも同じ派閥(清和会)にいた。

――連立に向けた政党間協議は、何より交渉責任者の力量がカギを握ります。今回も、自民党がもし過半数割れしたら、二階俊博幹事長がその責任者足りうるかが焦点になるでしょう。1993年の自民党はそこに問題があったのですか。

武村 私は自民党時代、政治改革を求める若手の議員とユートピア研究会をつくっていましたが、そこには三塚派(清和会)の議員が多かった。それもあって塩川さんら三塚派の議員が私たちとの交渉に当たったと思うが、それはあくまで人脈で、党全体を代表するものではない。私と細川さんは、自民党にも政治改革特命政権の条件を示しましたが、確たる反応はありませんでした。条件というより、我々との連立そのものが自民党の頭にないと思うしかありませんでした。

 それにしても、どうして自民党はあんなに鈍かったのだろうね。その間隙(かんげき)を縫って、小沢さんが大胆な提案をしてきたわけでね。反応していてくれば、自民党との連立に進んだと思います。でも、私が後藤田正晴さんを担いで日本新党、さきがけと共に連立政権を組む案を持ちかけても、自民党が真剣に考えてくれると思えなかった。

編集部注:自民党は衆院選敗北の責任をとって宮澤喜一総裁が辞任。新総裁選びに入った。7月25日に渡辺美智雄氏と橋本龍太郎氏が名乗りを挙げ、後藤田正晴氏が立候補を否定。26日には河野洋平氏の名前が浮上し、30日に総裁に就任した。この間、非自民6党派は26日に新党さきがけ・日本新党「政治改革政権の提唱」を受諾。28日には武村氏と細川氏が自民党本部まで足を運び、「残念ながら時間切れです。今回は一緒にできません」と“最後通牒”をしている。

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筆者

曽我豪

曽我豪(そが・たけし) 朝日新聞編集委員(政治担当)

1962年生まれ。三重県出身。1985年、東大法卒、朝日新聞入社。熊本支局、西部本社社会部を経て89年政治部。総理番、平河ク・梶山幹事長番、野党ク・民社党担当、文部、建設・国土、労働省など担当。94年、週刊朝日。 オウム事件、阪神大震災、など。テリー伊藤氏の架空政治小説を担当(後に「永田町風雲録」として出版)。97年、政治部 金融国会で「政策新人類」を造語。2000年、月刊誌「論座」副編集長。01年 政治部 小泉政権誕生に遭遇。05年、政治部デスク。07年、編集局編集委員(政治担当)。11年、政治部長。14年、編集委員(政治担当)。15年 東大客員教授

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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