次の総理に求められるのは、国民との対話を絶やさない姿勢だ
2021年08月05日
政府はまたも、緊急事態宣言での対応を強いられた。7月半ばから、東京都への4度目の発令に踏み切り、東京五輪を宣言下で開催。ところが感染状況は悪化の一途をたどったため、政府は東京と沖縄での宣言を延長するとともに、新たに4府県にも発令した。さらに、猛威は全国規模で広がり、まん延防止等重点措置の対象地域を拡大する事態となった。
これまでの1年半は単なる序章で、ついに「本番」が始まったかの如くだ。
本番の主役は紛れもなくデルタ株だ。このインド由来の変異ウイルスは、これまでのものより感染力や重症化リスクが極めて高いとする報告が各国の研究者から相次いでいる。単なる変異ではなく、新種のウイルスが発生したと考えるべきだ、とすら言う専門家もいる。
それほどのデルタ株の猛威だ。我々は、既にこの株の威力を目の当たりにしている。インドは、それまで比較的平穏に推移していたが、この株の出現でたちまち全土が医療崩壊の波に飲み込まれた。死者を火葬する場所にも事欠くほどだった。東南アジア諸国は、これまで感染封じ込めの優等生と目されてきたが、今やインドネシア等、世界の感染の中心に位置付けられている。
その猛威を振るうデルタ株がついに日本列島に上陸し始めた。我々が最も恐れるのは、事態がコントロール不能になることだ。感染が制御不能になれば、インドやインドネシアで起きたことは最早対岸の火事でない。デルタ株の蔓延は急速で、事態はあっという間に急展開する。我々は、その可能性を十分念頭に置いておかなければならない。
一部には、新規感染者数だけに目を奪われてはならない、との見方もある。高齢者のワクチン接種率が高まった結果、重症者の割合が抑えられている。都幹部は、「いたずらに不安を煽るべきでない」という。
今後の医療現場の逼迫は必至であり、政府はそれを踏まえ、今後は中等症などの患者は自宅療養を基本とし、入院は重症者と重症化リスクの高い患者に限る、とする新たな方針を決めた。つまり、この先、症状が余程重篤でない限り入院もできなくなる。
これだけの感染急拡大を前に、病床数が限られていることを考えれば、いずれ、入院できる者を限定するのも不可避化かとは思っていたが、この新方針を見て、正直、果たしてこれが機能するかと不安なしとしない。
というのは、この病気の怖さは、容体が短時間のうちに急変することにあり、今、症状は軽いと安心していても、それが次の時点で命にかかわるほどの危険な状態に急変することにある。そういう例はいくらでもある。そこで対応を誤れば命を落としかねないのだ。この方針で本当に大丈夫だろうか。
何より心配されるのが、緊急事態宣言の効果が薄れたことだ。これまで3回の宣言では、2週間もすれば事態は沈静化の方向に向かっていた。今回は明らかに異なり、2週間たった今、逆に感染者数が幾何級数的に増えている。
つまり、デルタ株の前に、これまでの対策が無力化したかのようだ。緊急事態宣言が効かなくなったとすれば、最早手の打ちようがない。全国知事会はロックダウンのような手法の在り方も検討すべしという。
政府には手詰まり感が広がり、頼みの綱はワクチンと、何かと言えばそればかり強調するが、今、我々が戦っているのは今日、明日の敵だ。何か月か先に接種率が目標を達成したところで何の意味もない。今の事態をコントロールできるかどうかが勝敗の分かれ目なのだ。
過去3回、それなりに顕著な人出の減少がみられたが、今回は明らかに減り方が少なく、場所によっては逆に増えているところすらある。我々の肌感覚で見ても、土日など、繁華街は黒山のような人だかりであり、三密回避、社会的距離の維持は一体どこへいったか、と思うほどだ。
国民の側に、緊急事態慣れや自粛疲れがあることは否定できない。既に、新型コロナが広がり1年半だ。その間、人々はほぼ間断なく自粛を求められてきた。最早、緊急事態は「非常事態」でなく「常態」だ。今更、宣言が発出されたところで、緊張感をもってこれを受け止めるとの雰囲気はどこを見てもない。自然、人流の減り方は芳しくなく、逆にウイルスにとっては格好の条件が整えられつつある。
政府がコロナ対応の目玉とする酒類提供の停止もここに来て綻びが目立つ。ある調査によれば、東京の飲食店の5割が自粛要請に応じていないという。これまで、色々不満はあっても、政府の要請には大半が協力してきた。それが今や、公然と自粛やぶりが行われ、町にはかつてない光景が広がる。
背景にあるのが協力金支給の遅れだ。店の側にも支払いの都合がある。家賃や賃金を払えなければ店をたたむしかなく、当てにした協力金がいつまでも支払われなければ店を開けるしかない、もはや政府の言うことを真に受けてはいられない、という。
オリンピック開催も、政府のメッセージを分かりづらいものにした。オリンピックでお祭りムードを盛り上げておきながら、他方で、緊急事態で自粛せよといっても国民は迷うだけだ。今は非常事態だ、国民はこれまでになく気を引き締め、感染防止を徹底してもらいたい、とのメッセージに統一できれば効果は格段に上がったはずだ。
緊急事態宣言のメッセージが国民に届かなくなったことを、政府の分科会の尾身茂会長は、危機感の共有がなされていないという。政府ばかり慌てても、国民は一向に応じない。では、どうしてこうなったか。
日本の対策は欧米と異なり、法律で強い措置を講じるのではなく、要請という緩やかな措置にとどめるところにその特徴がある。これが機能する前提は、政府と国民との間に信頼関係があることだ。信頼関係が揺らげば、政府がいくら要請しても国民はこれを受入れようとしない。
今、この信頼関係に揺らぎがみられるのではないか。ロックダウン云々の前に、今一度政治の根本に立ち返り考えてみる必要があるのでないか。政治に求められているのは何か。
緊急事態宣言の延長・拡大方針を発表した7月30日の記者会見で、総理は強いメッセージを打ち出してくるのではないかと期待した。しかし結果は外れた。質疑応答はともかく、冒頭発言は官僚がつくった作文の棒読みだった。数字が一杯ちりばめられ、細部にわたる説明が繰り返されたが、終わって心に残るものは何もない。
国民が聞きたいのは、そういう細かいことではなかっただろう。リーダーの決意、思いのたけこそを聞いてみたかった。
もし、今の事態がこれまでのような序章でなく本番なのだとしたら、今こそ、緊急事態を真剣に受け止め、国民一丸となってこれに対峙していかなければならない。もし事態がそれほど「緊急」であるなら、我々は今こそ、トップの強い決意のもと、改めて気を引き締め直す必要がある。
総理の本気度が言葉の端々に溢れ、国民に伝わってくるのであれば、国民は本気で行動を自粛するに違いない。何せ、感染がこれだけのスピードで広がっている。国民の側にもこれまでにない危機感がある。
要は、リーダーの側に、訴える力があるか、その気構えがあるか、その決意のもとに国民を引っ張っていこうとする気があるかなのだ。
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