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「仕方がなかった――」万能の言葉が歪める戦争責任 九大生体解剖事件から問い直す

劇作家・古川健が描き出す「組織と個」

石川智也 朝日新聞記者

終戦ドラマ「しかたなかったと言うてはいかんのです」より=NHK提供拡大終戦ドラマ「しかたなかったと言うてはいかんのです」より=NHK提供

「無責任の体系」に抗して

 脚本を担当したのは、劇団チョコレートケーキの劇作家・古川健。これまでもアウシュビッツ、731部隊などのテーマに切り込んできたが、ここ数年、集団や組織の中の「個」という、現代に通じる問いを中心に据えた作劇が目立つ。日本の集団的意思決定場面で毎度毎度あらわれる「無責任の体系」の追究でもあり、まさに、「仕方がなかった」という総括で自足してしまいがちの、個々人の戦争責任を問い直すことへのこだわりが見える。

 今年2月に上演した『帰還不能点』では、日米開戦前夜の1940年に国が設立した「総力戦研究所」の一期生たちを取り上げた。

 戦前の中央省庁や陸海軍、日銀などの中枢にいた少壮エリートだった研究生たちが真珠湾攻撃の4カ月前、“模擬内閣”を組織し、それぞれの出身母体から持ち寄った極秘資料を駆使して対米戦必敗の予測を導き出していたことは、史実として知られる。フィクションとして自由に人物造形した今作では、同期の三回忌を機に戦後久々に再会した彼らが、やはり自分たちの「責任」に向きあう。

舞台『帰還不能点』より=劇団チョコレートケーキ提供拡大舞台『帰還不能点』より=劇団チョコレートケーキ提供

 開戦後の戦局の推移を正確に見通していた一同は「アメリカと戦争して勝てるわけがなかった。馬鹿馬鹿しい」と軽口を叩き、戦時中のこの国の指導者たちの言動を他人事のように批評していたが、死んだ同期が戦前の落とし前をつけるために自らを罰していたことを知る。それまで「俺たちに戦争は止めようがなかった」「仕方がなかった」と言っていた面々が、開戦を防ぐため自分たちにできたことが本当になかったのか、苦悩し始める。

劇団チョコレートケーキの劇作家・古川健拡大劇団チョコレートケーキの劇作家・古川健

 古川は「鳥巣にしても総力戦研究所の一期生にしても、自分の『やったこと』だけでなく『やらなかった』ことも含めて自らの過去に葛藤する姿を描くことにこそ、意味があると思っています」と語る。

 「個々人の責任は、自分がどうあるべきだったか問い続けることでしか取りようがないし、いまの時代を生きる私たちが自分になぞらえて教訓を得るにしても、そこにしか手がかりはない。遠い過去の話を敢えてこの時代に問う意味も、そこにあります」

 「その意味では、戦争を描くにしても、単に日本が痛い目にあって大きな被害を受けました、という側面だけでは済まない。そう思っています」

 心底からの「戦争はこりごりだ」から戦後をスタートした日本にとって、記念日ジャーナリズムが伝えてきた3月10日と以降の大都市空襲、6月の沖縄選終結、二つの原爆忌、ソ連参戦、そして8月15日でクライマックスを迎える1945年のできごとは、集合的記憶(social memory)として刻み込まれてきた。

 一方で、7月7日(盧溝橋事件)、7月28日(南部仏印進駐)、9月18日(柳条湖事件)、12月8日(真珠湾攻撃)という日付は、社会的記憶喪失(social amnesia)の地平に追いやられている。なぜこの戦争を始めたのか、なぜ止められなかったのか、その過程の検証や共有は、まさに、いまなお未解決の日本の課題でもある。

 自分は巻き込まれただけだ、命令に従っただけだ、仕方がなかった――。これは責任の減殺を酌量する理由にはなっても、罪そのものを無化できるのだろうか。

 第2次大戦の戦犯訴追について米英仏ソ4カ国が締結したロンドン憲章では、上官の命令を理由に人道上の罪は免責されない、という国際法上の重要な原則が初めて打ち出された。これはナチス幹部を裁いたニュルンベルク裁判の根拠となり、戦後の国際人道法を前進させるエポックになった。

 人は組織人である前に人間であり、ヒューマニズムという普遍的倫理に従うなら、場合によっては自分の職能を裏切らねばならないときがある。ホロコーストの蛮行を主導したアドルフ・アイヒマンが法廷で「自分は命令に従っただけだ」と官僚答弁と弁明を繰り返す様子に、ハンナ・アーレントは「凡庸な悪」を見いだす。この「悪」は、陳腐で表層的で害意が見えず、無自覚であるがゆえに底無しに広がって世界を荒廃させかねない、とアーレントは言う。

新時局の態勢の中心となるべき人物を育成するという総力戦研究所が開設され、その入所式が1941年(昭和16年)4月1日に行われた。中央奥に近衛文麿首相の姿が見える=朝日新聞DBより拡大新時局の態勢の中心となるべき人物を育成するという総力戦研究所が開設され、その入所式が1941年(昭和16年)4月1日に行われた。中央奥に近衛文麿首相の姿が見える=朝日新聞DBより

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筆者

石川智也

石川智也(いしかわ・ともや) 朝日新聞記者

1998年、朝日新聞社入社。社会部でメディアや教育、原発など担当した後、特別報道部を経て2021年4月からオピニオン編集部記者、論座編集部員。慶応義塾大学SFC研究所上席所員を経て明治大学ソーシャル・コミュニケーション研究所客員研究員。著書に『さよなら朝日』(柏書房)、共著に『それでも日本人は原発を選んだ』(朝日新聞出版)、『住民投票の総て』(「国民投票/住民投票」情報室)等。ツイッターは@Ishikawa_Tomoya

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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