2021年08月20日
ハワイに行くとほぼ必ず見られるのが、夢かと思えるほど美しく雄大な虹だ。
スコールが降ったあとカラッとした青空に、大きく華やかなアーチを描く。ハワイ州の車のナンバープレートにも虹のマークが入っている。
虹を見ていると、どこからか曲が流れてくる。「アロハ・オエ……」。その物憂げな甘いメロディーを聞くと、楽園に誘われているような気分に浸る。
雨が誇らしげに断崖を横切り
森の中を静かに通り抜けていく
木の芽はふくらみ、
谷間にはレフアの花が咲き誇る
さようなら あなた さようなら あなた
可愛くて優しい人よ
去っていく前に
もう一度 抱きしめよう
また会える日まで
この場合、アロハは「さようなら」、オエは「あなたに」だ。アロハ・オエはつまり、愛する人に別れを告げる歌である。歌詞の冒頭で雨が断崖に降り注ぐが、別れを告げる恋人たちの目には雨のあとの虹が映っていただろう。
統一国家を築いたのはつい近年、1810年だ。君臨したのは「その名も偉大な」と歌われたカメハメハ大王だった。
女王の地位に就く前、王位継承権を得た翌年の1878年、彼女は馬に乗ってホノルルの反対側の海岸の牧場に遊びに行った。断崖を越えて山を下ったマウナヴィリ村にある、彼女の侍従が経営する牧場だ。
やがて帰る時間となり、馬に乗ってふと振り向くと、村の美しい娘が侍従の首にレイをかけながら別れの口づけするのを目にした。二人ともいかにも名残惜しそうだった。感動した王女が帰途、馬上でハミングしながら作詞作曲したのがこの歌だと伝えられる。
女王の座は短命だった。即位は1891年だが、2年しかもたなかった。彼女からハワイの支配権を奪ったのが、帝国主義に乗り出したばかりの米国だ。先住民が白人にだまされ、ひさしを貸して母屋を取られる流れだった。
その過程で入り込んだのが、アメリカから来たキリスト教プロテスタントの宣教師だ。15回にわたってハワイに押し寄せ、文字のなかったハワイの言葉にアルファベットを当てはめ、さらに英語教育を普及させた。
ハワイ王朝はこれを機会に欧米型の近代化を目指す。制定した憲法には王が君臨する立憲君主国だと明記した。とはいえ有能なリーダーはいない。
近代国家の運営のためにアメリカ人を大臣に任命した。アメリカ人の宣教師が教育大臣になり、アメリカ人の弁護士が法務大臣になった。
こうして生まれた政府はアメリカに有利な政策を実行した。アメリカ人判事が土地法を作り、外国人の土地私有が認められた。あっという間にハワイの土地の75%が外国人のものとなった。大半はアメリカ人である。もともと入会権を持っていたハワイ先住の農民は土地を失った。
アメリカはハワイに軍事視察団を派遣する。視察団が目を付けたのが真珠湾だ。アメリカ海軍は真珠湾を基地にすることにした。
カラカウア王は、米国の邪悪な意図に気づいた。このままでは米国の植民地になると考えた王は、奇策を思いついた。
そこでカラカウア王が考えたのが日本との連携だ。王は世界一周の航海に出た1881年、最初に日本に寄港して東京、大阪、京都や長崎まで訪れ、20日近くを日本で過ごした。
このとき、カラカウア王は大胆な行動をとった。日本の皇室とハワイの王室との縁組を申し出たのだ。
カラカウア王はアメリカ人の随行員に極秘のまま夜間、通訳だけを伴って明治天皇に至急の会見を申し入れた。伝統的な日本文化への敬意を表し、ハワイが今や米国の抑圧の下に苦しんでいる状況を説明した。その上で、王位継承者に連なるカイウラニ王女と山階宮定麿親王との婚儀を申し入れた。あらかじめ具体的な結婚相手の候補者まで特定して準備していたのだ。
当時のカイウラニ王女の写真を見ると、美しくて凛々しく聡明そうである。しかし、明治政府は王の申し出を拒否した。当時は欧米列強の仲間入りをすることしか頭になく、ハワイの先住民族を尊重する思考はなかったようだ。
カラカウア王はこの明治天皇との会見で日本人のハワイ移民を奨励した。明治政府もこれには同調し、ハワイへの官約移民が4年後に実現する。日本びいきの王の政策もあって、日本からの移民の数は増え、20年足らずでハワイの人口の4割を占めるほどに膨れた。
カラカウア王が病死したあとは妹のリリウオカラニ女王が継いだ。「アロハ・オエ」の作者である。彼女はインテリであり民族主義者でもあった。即位した直後、アメリカ人が来る前のハワイに戻そうと、新憲法を発布しようとした。
上陸した砲兵隊164人の武力を背景にアメリカ人は暫定政府の樹立を発表し、スティーブンス公使は暫定政府をアメリカの保護下に置くことを宣言する。ハワイ政庁に星条旗を掲げ、リリウオカラニ女王を退位させた。アメリカ人による無血クーデターだ。1893年のことである。
しかし、ハワイのアメリカ人たちはあとに引かなかった。暫定政府は組織を整えて政権を運営し、翌年にはハワイ共和国の成立を宣言して新ハワイ憲法を制定する。1894年7月4日、アメリカの独立記念日に合わせて。
翌年、王政派が反乱を起こすが、暫定政府軍に鎮圧された。リリウオカラニ女王は反乱の首謀者として逮捕され、イオラニ宮殿に幽閉された。女王廃位の署名を強制され、ハワイ王国はここに滅亡した。彼女が作った「アロハ・オエ」の楽譜が印刷されたのは、幽閉中の1895年のことである。
こうした中でアメリカでは、ハワイの支配を主張する共和党のマッキンリーが大統領に就任した。その下で起きたのが米西戦争である。アジアのフィリピンまでも戦場になると、太平洋の軍事拠点の必要性が強調された。戦争中の議会でハワイをアメリカに併合する案は簡単に議会を通過した。
アメリカは真珠湾の海軍基地としての機能を強化した。1900年にハワイはアメリカの準州となった。この間、アメリカはサモア、グアムも手に入れ、太平洋の各地に拠点を獲得する。太平洋は今やアメリカの海となった。アメリカにとって太平洋における邪魔者は日本だけとなった。ハワイに移民した日系人たちの受難が始まった。
第2次大戦で日本に勝利し太平洋の覇権を確立した後の1959年、アメリカはハワイをアメリカの50番目の州と認めた。ハワイの人々を白人と同様に見たからではない。冷戦の中でハワイの戦略的な価値を認めたからである。
こうした歴史を頭に入れたうえで「アロハ・オエ」を聴くと、また違った感慨がある。領土拡張に狂奔する白人の犠牲となったハワイ先住民が、自分たちが主人公だった時代の「ハワイイ」を懐かしむ、望郷の歌とも聞こえる。
ハワイは八つの大きな島を中心とした130の島から成るが、そのうち最も大きな島がハワイ島だ。先住民の遺跡が残された区域が保護区になっている。
木彫りのトーテムポールの柱が立つ家で会ったのは先住民のジミー・メデレスさん。口の周りに髭を蓄えた42歳の大柄な男性だ。ハワイ出身の相撲取りだった小錦さんを思わせるが、着ているTシャツには日本のアニメ「ドラゴンボール」の絵が描かれてほほえましい。
彼に連れていかれた場所は、火山の溶岩が流れて固まった地だ。一角が石垣で囲まれ、立札に「ホクリア」というこの地区の名前が書いてある。
ところが、警告にもかかわらず、聖地は白昼堂々と破壊されている。立札の向こうには日本の企業が作ったゴルフ場が広がっていた。
メデレスさんは言う。「日本の企業はゴルフ場を作る前に、住民ときちんと話し合うと説明していた。ところが聖地から私たちの祖先の骨を無断で大量に掘り出し、コンテナに積んで運び去った。抗議すると、誤ってやったことだと弁解したが、ブルドーザーで破壊したんだ。過ちでなく故意だ。彼らは私たちの文化を理解していない」
これって、墓荒らしではないか。あまりにひどい行為である。
「彼らは聖地の中に住宅を開発した。私の家族の墓はその下に埋まっている。裁判に訴えて私たちが勝ち、『壊した場所を元に戻すように』という判決が出たが、彼らは骨の一部を戻しただけだ。しかも頭を山に足を海に向けて埋葬すべきなのに、ばらばらに置いた」
「日本の企業はその後も聖地を壊し続けている。除草剤を使わないと約束しておきながらたくさん使い、しかも海に垂れ流している。聖地ばかりか海まで汚している。彼らはうそつきだ。日本人は祖先を大事にする民族だと聞いていたが、違うのか」
メデレスさんはコーヒーで名高いハワイ島のコナで生まれた。
「私は王家の一族の末裔で、ホクリアの聖地の神殿には私のへその緒も収められている。ハワイイ人としての正式な名前はモク・オハイだ。苗字は父方がプハラフアで母方はカフアヌイという。先祖代々、この地に住みつき、神殿と墓を守り、タロイモを生産するかたわら一族の歴史を伝えてきた。自分がハワイイ人であることに誇りを持っている」
地元の環境活動家チャールズ・フレアルティさんに詳しく経緯を聞いた。
ゴルフ場を造ったのは日本を代表する航空会社で、2001年に公聴会をしたさいに工事の非合法性や雨などで容易にがけ崩れが起きることなどを主張したが、容れられなかったという。海に流入した土砂は300エーカー(約1.2平方キロ)分にもなるという。
彼は「これが前例になれば組織的な環境破壊が進む。これだけ住民から抗議の声が出ているのに企業側は何も応えていない。地元と協調しようという姿勢ではない。一方で州政府側もなんら罰を課していない」と憤る。工事は私が訪れたときもなお続いていた。
「アロハ・オエ」の歌につきものなのが、踊りの「フラ」だ。日本ではフラダンスと言われてきたが、フラという言葉そのものがダンスを意味する。
「腰振りダンス」と揶揄されがちだが、むやみに腰を振っているのではない。手つきや体の動作で海や空などを指し示す。手の動作は一種の手話のようなものだ。動きが示す意味を知ってみると、なかなか味わい深い。
1998年にハワイの出版協会でベストな本に認定された『How To Hula』というハウツー本がある。序文で「フラはハワイの人々にとって大きな意味がある。赤ん坊が生まれたとき、自然の恵みに対して、祖先を敬う気持ちなどから踊ってきた。文字がなかったためフラによって島の歴史や自身の人生を表現した」と書く。
両手を体の前に出して手首を上げ下げするのは波の動きだ。前に出した両腕を回すのはうねる海を表す。左腕を水平に、右腕を立ててゆっくり動かすと風に揺れるヤシを表現する。左腕を前に差し出し右腕を頭の上で二度回すとそよぐ風になる。両手を膝の高さから次第に頭の上に持ち上げて円形をつくると日の出である。こうしてみると、仕草は日本舞踊に通じる。
「アロハ」の歌詞のときは、右に腰を振りながら少しずつ右に移動し、左腕を上げて右手を口元に当てる。次いで左に動きながらこんどは右腕を上げて左手を口元に。最後は両腕を前に差し出す。
本の末尾にはハワイ語の語彙集もあって、アロハは「さようなら」だけでなく「こんにちは」そして「愛」も表すという。奥が深い。
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