深刻な政治全体へのネグレクト。政権運営の質の転換をするために何をするべきか
2021年08月26日
秋の総裁選に向けて自民党内の動きが激しさを増してきました。その後にある衆議院の解散・総選挙に向け、コロナ禍の日本は“政治の季節”に突入します。菅義偉政権の支持が下げまらず、衆院選での苦戦が予想される自民党。かたや、支持率が上向かない与党。有権者に有力な選択肢が示されないなか、政治はどこに向かうのか。このほど刊行された『こんな政権なら乗れる』(朝日新書)で対談した保坂展人・世田谷区長と中島岳志・東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授のお2人に、地盤沈下が著しい日本の政治を立て直すにはどうすればいいのか、政権運営の質を転換するために何が必要なのか、徹底的に討論していただきました。(聞き手 論座編集部・吉田貴文)
◇保坂展人さん、中島岳志さんが新刊『こんな政権なら乗れる』(朝日新書)に込めた思いを語っています。対談をお読みいただく前にご覧ください。(6分13秒)
保坂展人(ほさか・のぶと)
1955年、仙台市生まれ。世田谷区長。ジャーナリスト。96年の衆議院選挙で初当選。3期11年つとめる。2011年、世田谷区長に初当選。現在3期目。著書に『闘う区長』『88万人のコミュニティデザイン』など。
中島岳志(なかじま・たけし)
1975年、大阪府生まれ。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。大阪外国語大学卒業。京都大学大学院博士課程修了。著書に『中村屋のボース』『保守のヒント』『「リベラル保守」宣言』など。
吉田 菅義偉政権の低空飛行が続いています。新型コロナウイルスの感染が急増し、医療崩壊のリスクが高まるなか、一部の世論調査では支持率が危険水域とされる「30%割れ」を起こしています。東京五輪での日本選手の活躍で追い風が吹くという政権の思惑は完全に外れました。自民党内では、菅首相の自民党総裁としての任期満了に伴い、駆け引きが激化しています。野党でも秋の衆院選に向けて、いろいろな動きが予想されます。政治の現状をどう見ていますか。
保坂 自民党内では衆院解散や自民党総裁選をめぐり様々な駆け引きがあるようですが、私には現在の日本の状況を踏まえない「コップの中」の争いにしか見えません。いま日本は、コロナの感染爆発に見舞われ、惨憺たる状態にあります。にもかかわらず、政府・与党内は楽観主義や精神主義が支配的で、明確な方針が出せないでいる。感染拡大、犠牲者の増大を前にして、政治が言葉と方策を失っているのです。ただ、実は野党もそうなのです。
そこで8月12日、東京都の新宿区、世田谷区、中野区、杉並区の4区長、小金井市、多摩市の2市長で緊急提言を出し、政府や与野党に対し、次の衆院選の時期を決めてその間を「政治休戦」にし、全力をあげてコロナ危機の回避にあたるよう呼びかけました。
吉田 緊急提言では「政治休戦」を呼びかけたうえで、具体的提案として、感染爆発地へのワクチンの集中、▽自宅やホテルで療養する患者の診断やリモート診療など、保健所と医療機関が連携できる環境と制度設計、▽入院調整中に利用できる「酸素ステーション」の増設などが挙げられました。
中島 この緊急提言は大変重要な提言だと思います。停滞した政治状況に、大きな一石を投じました。提案を受け,動き出したものもあります。
現在の政治状況はと言えば、菅政権の支持率が危険水域に入りつつある一方で、野党第一党の立憲民主党の支持率も低迷しています。衆院議員の任期満了近くの衆院選ということで、民主党が政権交代を果たした2009年の麻生太郎政権末期に似ているという指摘もありますが、まったく違います。
当時は民主党の支持率が自民党を凌ぐ勢いをみせていました。だから、歴史的な政権交代という爆発的なことが起きた。今は、与党も野党も信頼されていないという状況。政治全体の沈没。踏み込んで言えば、国民の「政治へのネグレクト」が起きています。
吉田 政治へのネグレクトは深刻です。信頼されてない政府がどんなコロナ対策を打ち出しても、国民に響かず、効果が出ません。
中島 そんな時、与党内、あるいは与野党で不毛な「政局」をすれば、国民の政治へのネグレクトは加速するばかりです。国民が求めているのは、命の危機に対して、与党であれ、野党であれ、真摯に対応することです。そうした姿を示して、与党も野党も国民の信頼を回復することが今は大切です。保坂さんたちの緊急提言の狙いもそこにあります。
吉田 立憲民主党をはじめ、野党は「政治休戦」に理解を示していますが、政権側は菅首相の解散権を縛るとして、消極的な姿勢を見せています。今後の対応に注目ですね。ところで、保坂さんと中島さんはこのほど、『こんな政権なら乗れる』(朝日新書)を上梓されました。この時期にこのご本をお出しになったのはなぜですか。
もう一隻の船に必要なのは政権担当能力です。国民の多くはいまの立憲民主党に半信半疑です。やはり民主党政権の記憶が鮮明で、全幅の信頼を置いているわけではない。
保坂さんは民主党が政権交代を果たした2009年衆院選で落選。3・11を契機に世田谷区長になり、旧民主党系の国会議員が野党暮らしをしている間、自治体の長として実績を積み重ねてきました。野党がこの10年間示せなかった「もう一隻の船」を、保坂さんは見せてきたのです。
保坂さんは区長に当選されてすぐ、「5%改革」を宣言しました。「社民党の革新的な人がこれまでの区政がひっくり返すのでは」と構えていた区役所の職員は拍子抜けしたといいます。この5%改革をずっと積み上げてきたのが、この10年の世田谷区政でした。
リベラルな保守というのが僕の求める政治なのですが、その要諦は、グアジュアルな改革にあります。一気に変えようとする革命には、人間の理性への思い上がりがある。理性への過信をいさめ、長い歴史の中で培われた良識とか経験値を大切にしながら、徐々に変えていきましょうというのが保守です。
保坂さんの政治の進め方は、まさしくこのリベラルな保守に他なりません。2選目、3選目では、自民党の支持者も保坂さんを支持していることが象徴的ですが、私からみると保坂さんは良質の保守の政治家です。
野党側に欠けている、具体的な実績と、政権交代をした時にきちんと運営してくれるという安心感を、保坂さんは区長として積み上げてきました。保坂さんのあり方を基軸として、政権交代のあり方を考えたいというのが、この本をつくったひとつの狙いでした。
吉田 行政のトップとしての首長の経験は、政権交代に生かすことができるということですね。保坂さんご自身は国会議員の経験を振り返ってみていかがですか。
保坂 09年総選挙で私は11万6723票で最多得票をしながらの落選でした。ただ、社民党が国民新党とともに民主党と連立を組んで政権に参加したので、国会の外から幾つかの仕事にかかわりました。
実は、私が与党として国政に関与するのは二度目でした。1996年衆院選で初当選したのですが、当時、私がいた社民党は自民党、新党さきがけと連立を組んでいて、自民、さきがけの先輩議員と一緒に活動しました。民主党との連立政権では、社民党の中に「自社さ政権」の経験者がほとんどなく、執行部に連立の経験値が希薄だったのは残念でした。
2010年夏に辺野古問題が原因で鳩山由紀夫総理が辞め、菅直人政権になった時、私は「鳩山首相が辞任したので、閣外協力でも与党の一部に残るべきだ」と主張しましたが、賛同者はいませんでした。もしあの時、連立に戻っていれば、政権内のストッパー役となり、管首相が「消費税増税」「TPPもいいじゃないか」と言い出せなかったのではないか。そうすれば、参院選で民主党が予想を覆す大敗を喫することもなかったのではないかということを、ときどき思います。
連立の枠組みをどうつくり、維持するのかが、そこから導かれる戦略です。それを自民党は当初から理解していて、自公連立で公明党を飼いならしました。しかし、民主党は社民党とうまくやれず、連立から離脱させてしまった。最大の失敗です。もちろん、保坂さんが本で指摘されているように、社民党側にも問題がありましたが。両党とも連立への理解が不足していました。
吉田 保坂さんが政権運営の一端を「自社さ政権」で経験したというのは興味深いです。私はかつて自社さ政権を取材しましたが、政権運営に工夫をこらしました。自民3人、社民2人、さきがけ1人に割合でチームをつくり、多数決ではなく物事を決めていくというルールは秀逸でした。最大政党の自民党がごり押ししない仕組みで、まさしく連立の知恵でした。自社さ政権はもっと評価されてもいいと思うのですが……。
社民党が閣外協力した第2次橋本政権は、第1次橋本政権での仕込みが芽を出してくる時期で、情報公開法やNPO法が成立するなど、市民社会に根ざしたリベラルな制度が次々とできています。選択的夫婦別姓を推進する法制審答申もこのときに出ている。自社さのリベラル路線を不快に思い、対抗心を燃やしていたのが安倍晋三さんだったと思いますね。自社さの総否定を、ご自分の政権でなさろうとしたのではないでしょうか。
1年半あまり、与党議員として活動しましたが、自民、社民、さきがけという異なる政党の方々と法案をつくる作業は勉強になりました。この経験は与党から野党に転じた後にいきました。具体的には、超党派で児童虐待防止法をつくるとき、自民党から共産党まで呼びかけ人を集め、国会の法制局や調査室、国会図書館の調査機能を使って法案に落とし込む。大連立的な政策別合意形成の手法です。こうした手法は世田谷区政でも生きましたね。
吉田 二大政党による政権交代のある政治を追求してきた平成以降の日本政治ですが、中島さんは、そもそも日本は二大政党にならない、仮にいま政権交代があるとすれば、「1993年型」ではないかと本でおっしゃられています。ちょっと説明すると、この年の衆院選で自民党は過半数に届かず、非自民の野党8党派が連立した細川護熙政権に政権の座を譲っています。
中島 1993年7月の衆院選の興味深いのは、野党第一党だった社会党が負けたのに、政権交代が起きたという点です。
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