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文明史的転換点に立つ五輪後の日本~私たちが踏み出すべきはこの道だ!

取り戻そう、危機を受け止める「感性」と「強さの質」

超党派・古古コンビ(古川元久、古川禎久) 衆議院議員

 政治といえば、政権の動きや、与野党間のせめぎ合いに注目が集まりがちですが、現実には政党の枠組みを超え、政治家個人として協力して活動することも少なくありません。そうした動きもまた、政治をかたちづくる大切な要素になっています。
 その一例が、国民民主党の古川元久、自民党の古川禎久両衆議院議員です。名前が一字違いの2人は同い年で、18歳の時の東京大学の入試で隣同士になって以来の縁。その後、2人は与野党別々の道を進むも、一緒にさまざまな行動を始め、昨年には2人で主導して衆参両院での気候非常事態宣言決議を実現しました。
 同じ理念を共有し、日本の未来に強い危機感を持っているという「古古コンビ」に、五輪やコロナ禍を経た世界と日本の進むべき道について論じていただきました。今後、継続的にご寄稿いただきます。

(論座編集部)

 古川元久(ふるかわ・もとひさ)

 1965 年生まれ。東京大学法学部を卒業後、旧大蔵省に入省。その後、米国コロンビア大学大学院で国際関係論を学ぶ。96 年に衆議院議員に初当選し、当選8回。この間、内閣官房副長官、国家戦略担当相、経済財政政策担当相、衆院内閣委員長などを歴任。現在は国民民主党国会対策委員長。
 古川禎久(ふるかわ・よしひさ)

 1965年生まれ。東京大学法学部を卒業後、旧建設省に入省。衆議院議員政策担当秘書などを経て、2003年に衆議院議員初当選。当選6回。この間、法務大臣政務官、環境大臣政務官、財務副大臣、衆院財務金融委員長などを歴任。現在は北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長。

序:東京2020オリンピック大会から何を学んだか

 東京都を始め首都圏が緊急事態宣言下に行われたコロナ禍の中でのオリンピック。開会の翌日、テレビからはニュース速報のチャイムが響く。何事かと思って画面に目をやると、日本勢のメダル獲得の速報テロップが流れ、それは連日16日間続いた。ニュースの時間になれば、これまた連日、新型コロナウイルス感染者数が過去最多と医療現場のひっ迫を伝える。それは閉会後の今も続いている。

 東京2020大会は、人生をかけたアスリートたちが、今回は5年ぶりにその力を存分に発揮しメダルを競う特別な大会である。スポーツマンシップやオリンピック精神を否定できる者はいない。しかし、近代オリンピックは早い時期から政治的に国威発揚に利用され、しかもいつからか商業化されたことにより拝金主義がはびこり、美しさと醜さの表裏一体。また、参加選手には、LGBTや難民選手団、最貧国からは帰国を拒む失踪者、独裁政権から逃れようとする亡命者、そして人種差別への抗議など、オリンピックはまさに世界の縮図である。

 大会運営においてもさまざまな問題が突き付けられ、国民からの批判の声も上がる中での開催。結果は「人類がコロナに打ち勝った証」どころではなかったが、そうした状況を誰よりも理解するアスリートたち、ホストタウンやボランティアの皆さん、そして最終的には「やるからには成功して」と願う多く人たちからの見えない祈りによって、なんとかやりきることができたのだと思う。そして、アスリートたちがそれぞれに持つ物語は勝ち負けに関わらず、世界中の人びとの胸を熱くし、ときに勇気を与えてくれる一服の清涼剤となったのも事実であろう。

 パラリンピックを目前に控え、私たちは東京2020大会から何を学び、これからどこに向かおうとしているのかを考えたい。

Ⅰ.目指すべき「強さ」の質、それは最悪の事態を生き抜くこと

武道とスポーツ、「強さ」の違い

男子形の準決勝で演武する喜友名諒=2021年8月6日、日本武道館男子形の準決勝で演武する喜友名諒=2021年8月6日、日本武道館
 私たちが目指すべき「強さ」の質とは何なのか。そのヒントは、東京2020大会で初めて正式競技として実施された、沖縄に源流を持つ「空手」にあった。沖縄空手館の一角に、「長年修行して、体得した空手道の技が、生涯を通して無駄になれば、空手修行の目的が達せられたと心得よ」との先達の教えが掲げられている。つまり、常に最悪の事態を想定しながら、己の技を生涯かけて磨いていく、そしてそれを一生使わずに済むのが理想なのだという。ここがスポーツと武道の違いである。

 スポーツとはオリンピックがそうであるように、ある特定の日に試合とか競技が行われ、そこに向けてベストコンディションを作りこんでいく。そして決められたルールの中でベストパフォーマンスを発揮し、ゲームとして勝負を制するのがスポーツである。したがって今回のコロナ禍のような事態に陥れば当然、大会は延期や中止となり得る。一方、武道はその真逆で、最悪のコンディションの中、そこをどう生き抜いていくかを鍛錬する。けがや病気は勿論、戦う環境においてさえ最悪の事態はいつ訪れるか分からず、どんな状況においても発揮できる力を養い、精進し続けるのが武道である。

 実際、東京2020大会は延期になったが、昨年の騒動で図らずも見えてしまったのがアスリートたちの弱点である。オリパラ延期が決まる前、世界のアスリートたちから聞こえてきたのは「練習ができないのでベストパフォーマンスが発揮できない」、だから延期せよ。延期が決まったら、今度は国内から既に出場が内定している者の権利を守れ。コロナ禍で世界中が震撼する中、アスリートファーストの発言には釈然としない思いを持った。

池江、入江選手が見せた「人間としての強さ」

 そもそも、世の中なんて予定調和で動いているものではない。一人ひとりの人生も、そして社会システムも、不条理がいっぱいで、その中をどうやって理合を見つけて生きていくのか、誰もがもがき苦しみながら歩んでいるのが現実。どんな状況に置かれようとも発揮できる「強さ」が大事なのであって、条件の設定されたある瞬間における記録(金メダル)では、明日を生き抜くことはできないことは企業や国家も同じ。今の時代を冷静に認識するならば、武道的なる鍛錬の考え方にこそ、先の見えにくい明日を生き抜く「強さ」の質があるのだと思う。

 日本のスポーツ界の中には、野球のイチロー選手を始め、武道的なスポーツ道を極めるアスリートたちがいる。

 今回のオリンピックでも、「強さ」の質の違いを見せてくれた日本人アスリートたち。例えば、競泳の池江璃花子選手は、2019年2月に白血病を公表し、最悪の事態をも乗り越えオリンピックに臨んだ。「結果云々より、どん底まで行った人間がここまで上がってきたんだという成長」を見せてくれた池江選手は、コロナ禍を生きる人々に勇気を与えてくれたし、何より大会を楽しんでいるように見えた。ボクシングの入江聖奈選手は金メダルを獲得し、現役続行を求める声が続々と上がる中、メダルを追い続けることには固執せず、むしろ現実社会で生き抜く道を選択し明るく就活宣言をした。

全競技終了後、記念撮影する池江璃花子(中央下)ら=2021年8月1日、東京アクアティクスセンター全競技終了後、記念撮影する池江璃花子(中央下)ら=2021年8月1日、東京アクアティクスセンター
女子フェザー級で金メダルを獲得した入江聖奈=2021年8月3日、両国国技館女子フェザー級で金メダルを獲得した入江聖奈=2021年8月3日、両国国技館

 二人に共通するのは、アスリートである前にひとりの人間として、たとえ最悪の事態に見舞われたとしても、どう生き抜いていくかをみずから選び取れる、メダル獲得とは違う「強さ」を感じさせてくれたことだ。

Ⅱ.もはや平時ではない~求められる「最悪の事態を生き抜くモデル」

コロナ感染爆発で目撃した過酷な現実

 2020年、新型コロナウイルスの感染爆発によって世界中が震撼し、その経済活動を止められた。街からは人びとの姿は消え、救急車のサイレンが夜の闇を引き裂く。特に欧米では、医療現場においてマスクを始めとして、防護服、人工呼吸器、更には病床自体も足りない状態になり、カオスの中で必死の医療活動もむなしく修羅場と化した。医療崩壊により死者の数は幾何級数的に積み上がり、体育館に並べられる数々の櫃、掘り起こされる臨時の遺体埋葬場所。私たちは映像を通して、こうした過酷な現実を目撃してきた。

新型コロナウイルスの感染が疑われた遺体が埋葬されるインドネシア・ジャカルタ東部の公営墓地=2020年9月21日新型コロナウイルスの感染が疑われた遺体が埋葬されるインドネシア・ジャカルタ東部の公営墓地=2020年9月21日

 今年に入ると、あまりのショックな出来事にもう元通りの生活は戻ってこないのではないかと不安に思う自分と、ワクチンの普及とともに元通りの生活に戻れるのではないかと、過去からの延長線上で物事を考える自分が同居している。そこにつけ入るように変異ウイルスは増殖を繰り返し、世界は終わりの見えないコロナ禍の中で揺蕩(たゆた)う小舟のごとく漂っている。

気候変動、SARS、MERS……世界を襲う危機の諸相

 今、私たちが生きている時代を鳥瞰して見てみると、グローバル資本主義が限界にまで到達する中、世界的な気候変動に加え、SARS、MERS、そして2020年には新型コロナウイルスの感染爆発が発生した。家畜の伝染病も豚熱(旧名:豚コレラ)がアジアを中心に発生しており、日本でも2018年に26年ぶりに発生し、引き続き再燃が警戒されている。更には、アフリカ東部から南アジアにかけての広い地域で数千億匹といわれるサバクトビバッタが異常発生し、大きな被害をもたらし、国連は「人類の危機をもたらす非常事態」とし、食糧危機も懸念された。

 また、特に日本においては、中央防災会議が想定する富士山噴火・首都圏直下地震などにも備えが必要であるということは言うまでもない。いまこそ私たちは、世界が今、文明史的な転換点に立っているのだと、認識を新たにすべきではないのか。特に日本は、もはや平時を前提としたモデルでは立ち行かないという認識を持たなければならないと思う。

 それはコロナ発生後を生き抜く為に、コロナ発生前に戻してはならないものがあるということである。グローバル資本主義のもとで進行してきた格差問題、社会の分断、そして地球環境破壊。既にグローバル化からの反転の動きは加速しており、これまで利点とされていた効率優先は弱点になっている。気候変動と新型感染症はもはや待ったなし。ここからは本気で最悪の事態をも生き抜くモデルへの転換が求められる。

Ⅲ.問題解決のヒントは、全ては繋がっているということ

「パンデミックではなくシンデミック」

 そうであるならば、私たちは、コロナ発生後の世界をどのように描けばよいのだろうか。

 2020年9月、英国の医学雑誌『The Lancet』で、同誌の編集長でロンドン大学衛生熱帯医学大学院名誉教授のリチャード・ホートンは、「COVID-19はパンデミックではなく、シンデミック(syndemic)」であるとのレポートを発表。シンデミックとは「シナジー(相乗効果)」と「エピデミック(疫病の流行)」を合わせた言葉で、人々が2つ以上の病気を同時に発症し、それらが相互作用することで病状が悪化し、さらに「社会的・環境的要因」によってそれが助長され、そして拡大・流行することである。

 新型コロナウイルスに感染すると、基礎疾患がある人々は重篤化しやすいと言われている。「肥満、低栄養、気候変動のグローバルなシンデミック」は、それぞれが独立して起こっているのではなく相互に作用しており、そして社会に深く埋め込まれている「不平等」によって拡大しているといえる。この感染症に対処するには感染症以外の病気(高血圧、肥満、糖尿病、循環機障害、がん)に対処すること、そして同時に経済的・社会的な不平等を解消することが必要であるということがわかる。

「ガイアのホメオスタシス」と「諸法無我」

 つまり、全ては繋がっているということであり、部分最適では連関する問題は先送りされ、全体最適のアプローチを取らなければ問題は解決できないということ。新型コロナウイルスも気候変動も全てが繋がりの中で発生しており、繋がっているがゆえにオリンピックのあり方も新たに模索しなければならないし、人類のあり方自体も大きな転換を迫られていることに気が付かなければならない。

 2019年大ヒットの映画「天気の子」では、異常気象によって東京が大雨で洗い流されていく様子を、新海誠監督は「ガイアのホメオスタシス」と表現した。これは人類の地球環境破壊に対し、地母神ガイアによる地球の恒常性維持機能が発揮されたということなのであろう。私たちの周りで起きていることは仏教でいうところの「諸法無我」、全てが繋がりの中で起きているということを理解しなければならない。

映画「天気の子」が公開され、インタビューに答える新海誠監督=2019年7月19日、東京都千代田区映画「天気の子」が公開され、インタビューに答える新海誠監督=2019年7月19日、東京都千代田区

Ⅳ.「価値重視」の社会へ~「生命の安全」を守り抜くということ

大量生産、大量消費、大量廃棄が何を招いたか

 昨年、第1回目のコロナ緊急事態宣言による「不要不急」という言葉から図らずも見えてきたものは、ホントに必要なものとそうでないものがあるということだ。取り戻すべき日常と、戻してはならない問題だらけの日常。多くの人々が巣ごもり生活の中で実感したことは、贅沢で華やかな生活をすることではなく、今ただここを生き抜くということではなかったか。

 この10年間、バブルよもう一度と言わんばかりに、「今だけ、カネだけ、自分だけ」といった風潮がはびこり、大量生産・大量消費・大量廃棄といった効率優先の変わらぬライフサイクルの中で、地球環境資源すらもコモディティとして消費し尽そうとしていなかったか。結果、地球環境が破壊され、気候変動に影響を与え、今回の新型コロナウイルスのようなパンデミックに見舞われたのではないか。

 そう、全ては繋がっていたということ。起こってしまったコロナショックを契機に、私たちは「効率優先」で分断してしまった繋がりを「価値重視」でもう一度繋ぎ直さなければならない、と強く思う。

ロサンゼルスの北西で起きた山火事で、警備する警察官=2018年11月9日、カリフォルニア州シミバレーロサンゼルスの北西で起きた山火事で、警備する警察官=2018年11月9日、カリフォルニア州シミバレー

森羅万象に宿る「いのち」を最優先する

 私たちが大切にすべき「価値」とは何か。

 それは、何より「いのち」を最優先することである。そのときの「いのち」とは森羅万象あらゆるものに宿る命である。気候変動を含め、コロナ発生後の時代に適応していくためには、「生命の安全」という軸を基本に、あらゆる社会システムを繋ぎ直し、天変地異に備える必要がある。

 「生命の安全」を最優先に規制改革を行い、そのための技術革新への投資も行う。身近なところでは、食の安全や製品の安全、そして地球環境に至るあらゆる生命の安全のための規制へと見直しを進める。そして経済社会では、その規制を乗り切るための競争が起き、技術革新が起きる。こういった社会環境を土俵として、日本がいかに世界に提示できるかが問われている。

Ⅴ.時間、社会、地球~新しい「三方良し」で「いのち」を繋ぐ

物質文明から「生命文明」へ、アップデートする時

 ここに、私たちが目指すビジョンとして、「いのち」のための「生命文明」を提唱したい。いよいよ物質文明から「生命文明」へとアップデートすべき時が来たのではないかと思う。

 それは、「時間良し、社会良し、地球良し」という新しい“三方良し”による多元的な共生の思想の再生から始まる。

 第一は、時間的繋がりにおける共生である。

 私たちは、先人の努力と営みの「お蔭様」によって生かされる存在として、「時間軸における共生」を重視する。つまり、私たちは、過去の世代が血と汗の犠牲を払ってつくりあげた基盤の上に生活し、その基盤を将来の世代に引き継いでいく歴史的存在であって、それゆえに、未来に対する責任と同時に過去に対する尊崇の思いを大切にする。

 第二に、社会的繋がりにおける共生である。

 私たちは、他者との支え合いの「お蔭様」によって生かされる存在として、「社会という面における共生」を重視する。私たちは、自分が、家族や友人、同僚、同じ地域や世界に生きるすべての人たちによる共助の精神を持って、同時代を生きるすべての人に対する責任を引き受ける。

 第三に、地球的繋がりにおける共生である。

 私たちは、人間が自然の恵みの「お蔭様」によって生かされる存在として、「地球環境という生態系における共生」を重視する。それゆえに、環境や生物多様性を地球規模で持続可能にするための責任を正面から引き受ける。

 「時間良し、社会良し、地球良し」という新しい“三方良し”の思想を基礎とすることで、生きとし生けるものすべてが「いのち」を繋ぐ生命文明に向かうことができる。

Ⅵ.まとめ:危機を受け止める「感性」と「強さの質」とは

「天然の無常」~日本人が持つ自然観

 数百年に一度と言われるような災厄が頻繁に発生する中、そこを生き抜くためには、科学的なデータ分析によるエビデンスなどと言っていては、政策決定が後手に回ることは言うまでもない。未曽有の事象に対応するには、潜在的な身体機能の覚醒、分かりやすく言えば、人類が700万年間をも生き抜いてきたDNAの記憶、そこから来る感覚・感性こそが大事になってくる。その感覚・感性とは、全体最適、即ちすべてが繋がっていることに快適さを感じる、或いは部分最適はなされているものの何かが分断されていることへの不快感といったことなのではないか。

 私たち日本人はこの100年を見ても、大震災・スペイン風邪・大恐慌・敗戦をも生き抜いてきた。そのDNAとは、戦前の物理学者・寺田寅彦の言葉を借りれば、数かぎりない地震や風水による災禍をくぐりぬけて「天然の無常」という感覚が遠い遠い祖先からの遺伝的記憶となって五臓六腑にしみわたった自然観にあるという。自然への随順、風土への適応――そこに、仏教の根底をなす無常観がもたらされた。日本は常に地震、津波、台風など天変地異による脅威にさらされ、そのため数千年来の災禍の経験は、環境の複雑な変化に対応する防災上のすぐれた知恵の一つとして、自然の驚異の奥行きと神秘の深さに対する鋭い感覚が磨きあげられたという。

日本こそ、温かい方向に一歩を踏み出せる

東日本大震災で被災した岩手県釜石市で、ボランティアが解体された家屋のがれきを片付ける。石川県野々市市から来た村中外志明さん(53)は「寒くなるにつれ、屋外の作業はつらくなる。でも、活動している様子を見て、被災地の人たちが元気になってくれたら」と話した=2011年12月2日東日本大震災で被災した岩手県釜石市で、ボランティアが解体された家屋のがれきを片付ける。石川県野々市市から来た村中外志明さん(53)は「寒くなるにつれ、屋外の作業はつらくなる。でも、活動している様子を見て、被災地の人たちが元気になってくれたら」と話した=2011年12月2日

 東京2020大会は本来「復興五輪」という位置づけであった筈。そうであれば、東日本大震災に対処したときの国民性を思い出して欲しい。他の国であれば大混乱、無秩序の中で収拾もつかない事態に陥っていたであろうに、政府がろくに機能しない中でも、人びとが最悪の状況をも乗り越えようと、状況にいち早く順応し、共生の思い、そしてお蔭様の精神を持って、一所懸命生き抜こうとしたことで、社会全体の調和が保てたのだと思う。

 このように歴史に裏打ちされた日本人の国民性とは、天災であろうが人災であろうが、どんなに最悪な状況にあっても、組織や社会が瓦解せずに一定の活動を持続することができ、さらにその中でも成長発展できる強さを有し、あらゆる逆境から繰り返し立ち直ってきたということではないだろうか。

 こうした感性と強さの質を取り戻すことができれば、高い洞察力により「見えていない部分」まで見抜き、状況をスピーディに判断して、的確な対応ができるようになる。東京2020大会により浮き彫りになった日本社会におけるさまざまな問題に対し、もう一度立ち向かうことができるし、何より目の前のコロナ感染拡大にだって対処できる。

 もとより日本人には、台湾やニュージーランドのように「日本モデル」というものを創り上げられる力がある。更には気候変動問題始め世界が抱える諸問題についても、日本こそが明るく温かい方向に一歩踏み出すことができる解決策を提示できると信じたい。