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「タリバン2.0」がおよぼす地政学的影響

米国が主導し欧州がつづくというNATOのあり方にも疑問符

塩原俊彦 高知大学准教授

 1996年から2001年まで、アフガニスタンを自称アフガニスタン・イスラム首長国という名称のもとに支配したタリバン(パシュトー語で学生たちを意味している)は、ソ連軍を駆逐したゲリラ戦士たちであり、そのメンバーの多くはパシュトゥーン人であった(以下の記述はワシントン・ポスト電子版ニューヨーク・タイムズ電子版、およびロシア語のエクスペルトを参照)。創始者のムハンマド・オマルは反ソビエト・レジスタンスの司令官であり、犯罪と暴力に悩まされていた南東部の都市カンダハルを確保するために1994年に運動を開始した。

 1996年秋、タリバンはカブールを占領し、アフガニスタンをイスラム首長国とすると宣言した。このときのタリバンの支配は残忍で抑圧的だった。女性にはほとんど何の権利もなく、教育を受けることもできず、体を完全に覆う服を着ることを強制された。行動、服装、移動に関する制限は、ピックアップトラックで走り回る「道徳警察官」によって施行され、規則に従わない女性を公然と辱めたり、鞭打ったりした。1996年、カブールではマニキュアを塗っていた女性が親指の先を切り落とされたという話まである。

 タリバンのイデオロギーはアルカイダと似ているとみられている。だが、その関心はアフガニスタンの統治に限られていた。タリバンの指導者たちは、2001年の9.11テロに関与したウサマ・ビンラディンをはじめとするアルカイダのメンバーを政府系グループとの戦いに協力する条件で匿った。このため、米国主導の連合軍は同年末にタリバン政権を追放したのである(アフガニスタンでの2001年以降の歴史的変遷については下表を参照)。

拡大アフガニスタンにおける歴史的変遷

タリバンは変わったか

 2015年7月下旬になって、アフガニスタン政府はオマルが2013年4月にパキスタンのカラチで死亡したことを確認した。2001年に政権を失って以降、すでに20年になるタリバンは以前の「タリバン1.0」ではありえない。

 2021年3月に公表された「タリバンは変わったか」という論文は、「タリバンは、いくつかの問題(たとえば、女性の権利や教育)についてはレトリックを和らげ、特定の分野(たとえば、メディアの利用、教育分野、NGOの受け入れ拡大、将来の政治システムで少なくとも一部の政敵を受け入れる必要があるとする受容)では、実際に政策を変更した証拠がある半面、彼らの政策調整は、イデオロギーの根本的な変化というより、政治的な要請によるところが大きいようである」としている。

 つまり、「タリバンは2001年の敗北から一定の点で学んだように見える」のであって、「タリバンは、禁止令だけでは住民を支配できず、サービスを提供してさまざまな統治機能を果たさなければならないことを理解している」というのだ。

 とはいえ、シャリーア(下記「アフガニスタンの基礎知識」参照)のもとで、実際にどこまで女性の権利や人権が守られるかはまったくの未知数だ。「タリバン1.0」では、テレビとほとんどの楽器が禁止されていたが、その後、タリバンはSNSを利用するまでになる。タリバンは自分たちに都合のいい情報はSNSでいまでも流しているようだ(この情報についてはニューヨーク・タイムズ電子版を参照)が、タリバンがアフガニスタン内外に向けて公式メッセージを発信する上で重要な役割を果たしていた5つのウェブサイトが、8月20日に突然、停止された(詳しくはワシントン・ポスト電子版を参照)。たとえば、Al-Emarahは8月21日現在、すでに見ることができない。

 それでもここでは、政治的要請に基づいて多少なりとも変化したタリバンを「タリバン2.0」と表現したい。わずかながらでも、変化の兆しがみられるからである。

アフガニスタンの基礎知識


1.人口
 「アフガニスタンの人口は3000万人から4000万人の間で変動している」というのが穏当な見方だろう(資料を参照)。なお、アフガニスタン国家統計情報局(NSIA)は、2019年に3200万人という数字を発表しているという。たとえば、The Economistは、3900万人説をとっているが、出所などは記されていない。
 なお、タリバンを主に構成するパシュトゥーン人は、アフガニスタン南部やパキスタンとの国境やその国内に多く住み、タリバン(宗教学生)となった者は、「部落の中でももっとも貧しく、虐げられ、不幸な家庭の出身者が多かった。彼らの夢の限界は、モスクのイマームの地位を得ることだった」(エクスペルト)とされる。アフガニスタン北部には、タジク人が多く住み、ほかにもウズベク人、トルクメン人、キルギス人もいる。中心部には、シーア派のハザラ人がいる。

2.タリバンはイスラム教のどんな宗派なのか
 スンナ派においては、四法学派(ハナフィー派、マーリク派、シャーフィイー派、ハンバル派)と二神学派(アシュアリー派、マートゥリーディー派)が正統的と認められている(資料を参照)。タリバンはハナフィー派に従う伝統的なスンニ派のイスラム教徒のグループであるとみられている(資料を参照)。「現実の問題に柔軟に対応する余地を広く認める」というのがハナフィー派の特徴であるとすれば、「タリバン1.0」から「タリバン2.0」への変化も現実のものとなるかもしれない。

3.シャリーア(イスラム法)とは何か
 アラビア語でシャリーアは、「道」を意味する言葉に由来する。シャリーアは、クルアーン(コーラン)、預言者ムハンマドの生涯の物語、宗教学者の判断に基づいており、イスラム教の道徳的・法的枠組みを形成している。祈りや断食など、イスラム教徒の日々の生活を導くための宗教的な規則などである。ただし、実際には、世界各地の伝統や文化的背景、政府におけるイスラム教の役割に応じて、理解・解釈・適用が異なっている。

4.タリバンとアルカイダやイスラム国(IS)との関係はどうなっているのか
 アルカイダに対する態度とは異なり、タリバンは「イスラム国」を脅威とみなし、長年にわたってアフガニスタンで同グループと戦ってきたとみられている(資料を参照)。国連の「安全保障理事会議長からの2021年5月20日付書簡」によると、ISグループはクナル州とナンガルハール州に約1500人から2200人の中核グループを保持しているという(8月26日にカブール空港近くで起きた二つの自爆テロは2015年からアフガニスタンで活動を開始した分派「イスラム国ホラサン」(ISIS-KまたはISIL-K)によるとの説がある。アフガニスタンの刑務所に入っていた、この分派の元リーダーはタリバン占領後、彼のグレープの他の受刑者8人とともに殺害されていた(ウォールストリート・ジャーナルを参照)。
 一方、同じ書簡では、「アルカイダは主に東部、南部、南東部の少なくとも15のアフガニスタンの州に常駐している」と指摘している。さらに同書簡には、「インド亜大陸のアルカイダを含むアルカイダは数十人から500人と言われている」と記されている。特徴的なのは、イデオロギーの一致と、婚姻関係を含む個人的な関係が、両グループを緊密に保っていることだ。
 タリバン内部には、アフガニスタン国内にしか関心のない長老格の人々と、広範なイスラム世界での正義実現に関心をもつ若年層との間に断絶がある。後者がISやアルカイダと結びつく懸念がある。

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筆者

塩原俊彦

塩原俊彦(しおばら・としひこ) 高知大学准教授

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士(北海道大学)。元朝日新聞モスクワ特派員。著書に、『ロシアの軍需産業』(岩波書店)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(同)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局)、『ウクライナ・ゲート』(社会評論社)、『ウクライナ2.0』(同)、『官僚の世界史』(同)、『探求・インターネット社会』(丸善)、『ビジネス・エシックス』(講談社)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた』(ポプラ社)、『なぜ官僚は腐敗するのか』(潮出版社)、The Anti-Corruption Polices(Maruzen Planet)など多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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