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芸術は難しい時期に人間的でいることを可能にする/指揮者・大野和士との対話(後編)

自由はその社会で存在することが困難なときにこそ逞しさやしなやかさが問われる

倉持麟太郎 弁護士(弁護士法人Next代表)

大野氏の言葉で法律家に必要な勇気を知る

 憲法や法律を解釈する場合、当該法律の制定過程における立法者の意思、時代背景、その法律が必要とされた「立法事実」は何かといったことが、非常に重要になる。

 我々法律家は、条文(テクスト)の目的や配置といった構造を俯瞰しつつ、上記の法のバックグラウンドを踏まえて(プロット)、これを生(なま)の事実にあてはめていく。テクストとプロットを往復する際に生じる「浸透圧」によって、条文の解釈の外延が確定し、「これが自然なはずだ」という解釈が導き出される。

 この外延をはみ出すと、「解釈改憲」のように解釈の幅を超えた解釈として、当該法や条文を書き換えたものと同視され、正当性を有しない。幅を超えた演出や演奏が「モーツァルトを冒瀆(ぼうとく)するものだ」などと言われ、楽譜を書き換えたも同然といった誹(そし)りを受けるのと同じだ。

 大野氏の解釈に対する姿勢には、テクストを扱う専門家による「“生ける”解釈」のダイナミズムと、解釈のあり方としてギリギリの許容ラインを見定める攻防の一端を見た気がした。

 我々法律家も、解釈に際しては、過去の判例等の様々な要素に拘束される。しかし、その一方で、法やテクストを常に社会において生きたものにするため、自身が他者や未来に「開かれて」いること、そして自らがテクスト等を通じて感じる「浸透圧」に身を委ねる勇気も必要なのだということを、大野氏の言葉は教えてくれた。

拡大大野和士さん=2021年7月26日

作品理解の手法~「カルメン」を例に

 大野氏は今年7月、ビゼー作曲の名作オペラ「カルメン」を上演。主人公を夭折(ようせつ)した女性ロック歌手に見立てた奇抜な現代演出が話題を呼んだ。今回の対話では、その「カルメン」を素材に、作品理解についても詳しく聞いた。

 「カルメンの初演、ビゼーはうまくいかなくてガックリして、3カ月後に亡くなってしまうのですが、(初演された)1875年というのは象徴的な時代なんです。ビゼー(1838年)はゾラ(1840年)と同時代なんです。実は、カルメンを介してビゼーの音楽とゾラの写実性が結ばれています」

 「ゾラの文学のビゼーへの投影というのは、人間社会の中の現実を分析的に映し出すという手法です。現実を映し出すということが、どれだけ残酷かということを提示している。残酷なまでの写実性です。その象徴といえば、主人公が舞台上で殺されるという、およそそれまでのオペラではありえなかった場面を観客に見せることです。当時、関係者全員が舞台上での刺殺のシーンには反対しました。しかし、ビゼーだけが、「これだけは譲れない」と頑(かたく)なに刺殺シーンにこだわったんですね」

 「いわゆるヴェリズモという真実主義・現実主義的な芸術の潮流が19世紀末から20世紀にかけて現れます。音楽は社会的現象から遅れてやってくることが多いといわれますが、ヴェリズモは大体カルメンから20年後なんです。つまり、ビゼーのカルメンはゾラとの同時代性によって、かなり時代を先取りしているわけです。ビゼーは天才的な和声の大転換で人間の深層心理を手繰り、描いていく。このカルメンにおける写実的な描写自体は、ゾラの同時代人としての直感鋭いビゼーの面目躍如と言えるでしょう」

 「一方で、あのカルメンの官能性や聴く者の心を焦がすような放射性は、二人の脚本家が、メリメの原作だけに縛られず、ロシアの叙情作家プーシキンの『ロマ』(岩波文庫1951年の訳では’’ジプシー’’と題されている。)という詩から多くを引用したことが大きいわけです。その詩には、ビゼーのオペラの名曲ハバネラの一節とほとんど同じような、『恋は鳥と同じように、すぐに飛んでいってしまう』というような箇所が多く見られます。
 つまり、ゾラの解剖的な人間の現実的な冷徹なまでの描写と、プーシキンから受けた恋に取り憑かれた人間の途方もない情熱がビゼーによって総合されたものが、オペラ『カルメン』を永遠のものとしているのだろうと思います。」

 大野氏のカルメンとゾラの読み解きは、テクストとプロットの表層を行き来しているだけでは、解釈という作業が完結しないことを端的に表している。背景に広がる文脈のどこに作品を位置づけるかということが、極めて重要なのである。テクストとプロットの間というミクロの横断とともに、それら形式と背景的な事情の間をマクロに横断する相互運動によって、とりあえず解釈の終着駅にたどり着く。

拡大大野さんがカールスルーエ・バーデン州立歌劇場音楽監督時代に製本したワーグナーの楽譜

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筆者

倉持麟太郎

倉持麟太郎(くらもち・りんたろう) 弁護士(弁護士法人Next代表)

1983年東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒業、中央大学法科大学院修了。2012年弁護士登録(第二東京弁護士会)。日本弁護士連合会憲法問題対策本部幹事、弁護士法人Next代表弁護士。ベンチャー支援、一般企業法務、「働き方」などについて専門的に取り扱う一方で、TOKYO MXテレビ「モーニングCROSS」レギュラーコメンテーター、衆議院平和安全法制特別委員会公聴会で参考人として意見陳述、World Forum for Democracyにスピーカー参加、米国務省International Visitor Leadership Programに招聘、朝日新聞『論座』レギュラー執筆者、慶應義塾大学法科大学院非常勤講師(憲法)など多方面で活動。共著に『2015年安保 国会の内と外で』(岩波書店)、『時代の正体 Vol.2』(現代思潮新社)、『ゴー宣〈憲法〉道場』(毎日新聞出版)、著書に『リベラルの敵はリベラルにあり』(ちくま新書)がある。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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