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徒歩・自転車・公共交通中心の都市構造へ転換を~真のゼロカーボン社会へ(中)

移動手段の多様化で自動車燃料消費を抑える

田中信一郎 千葉商科大学基盤教育機構准教授

人口増加・経済成長・小さな環境制約を前提とした都市構造

 社会システムの変革を主要な選択肢に含めれば、既存の技術でゼロカーボン化は可能である。もちろん、エネルギー源だけのゼロカーボン化でもある程度の再生可能エネルギーを必要とするように、社会変革を含めたゼロカーボン化でもある程度の「夢の新技術」は必要となる。例えば、航空機のジェット燃料や製鉄などの高度生産プロセスなど、一部の領域でイノベーションが求められる。それでも、温室効果ガスのほとんどの排出源は、既存の技術で対応できる。

 その場合、重要なことはエネルギー消費の総量をできる限り少なくすることである。再生可能エネルギーや電気自動車(EV)などの主要なゼロカーボン技術は、資源が薄く広く遍在したり、複数人で共有して用いたりする。そのため、それらを大量導入することは、自然環境への影響や共有費用の高止まりなど、別の社会課題を生むおそれがある。導入に伴う社会課題を抑制するには、エネルギー消費の総量を少なくすることが必要条件となる。

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 エネルギー消費量の多くは、経済・生活のプラットフォームたる都市の構造に規定されている。自動車を使用せずに暮らしたくても、多くの地方都市では個人の努力に限界がある。欧州の都市では珍しくもない温熱の供給を受けたくでも、日本の都市では地域熱供給システムが整備されていないために不可能である。高断熱の賃貸住宅を選ぼうとしても、オーナーの投資収益第一で供給されている日本の賃貸市場では、選びようがない。

 東京や大阪など大都市の高密状態と、自動車に依存する地方都市の低密状態は、戦後の都市政策の「成果」である。決して自然に形成されたものでなく、江戸時代や戦前から続くものでもなく、戦後70年あまりの間に、国と自治体の都市政策で形成されたものである。

 現在の都市構造が形成されたのは、1950年代から1970年代の人口急増・高度成長の時代である。1950年には国内人口の37.3%が市部に住み、62.7%が郡部に住んでいたが、1970年には72.1%が市部に住み、27.9%が郡部に住むように逆転した。大雑把に言えば、1950年の都市4割・農村6割の居住比率が、わずか20年で都市7割・農村3割に変容してしまったのである。この傾向は1960年から始まった人口集中地区(都市エリア)の人口調査でも確認できる。(国立社会保障・人口問題研究所「人口統計資料集」に基づく)

 農村から都市への大規模な人口移動に伴い、国と自治体には、大量の住宅やインフラを早急に供給することが求められた。国は1950年に住宅金融公庫法を制定して持ち家取得を促進していたが、それだけでは対応できず、1955年に日本住宅公団を設立し、公営住宅の供給を始めた。自治体でも、例えば東京都は1966年に住宅供給公社を設立し、公営住宅を供給し始めた。インフラ面でも、道路整備緊急措置法の制定と道路整備特別会計の創設が1958年、水資源開発促進法と水資源開発公団法の制定が1961年と、同じくこの時期に整備されていった。

 国も自治体も、目の前の増え続ける需要に対応するので精一杯で、資源と財源が十分でなかったことも相まって、それらの計画性と質の確保は後回しとなった。1960年の『経済白書』は、大都市での地価の高騰を問題視し、その原因について「宅地需給のバランスが失われたことにある」と分析している。その計画性と質の欠落についても「宅地難のため、大都市均衡の農地が蚕食され、都市が無計画に膨張して、非合理な土地利用が行われる一方、既成宅地内部でも宅地の細分化が一層促され、建築密度をますます高め、社会生活環境の悪化、都市交通の障害等多くの弊害をもたらしつつある」と指摘している。

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 加えて、同時期に進行したモータリゼーション(自動車の普及)が、郊外での持ち家取得の傾向と組み合わさって、自動車中心の都市構造の形成を助長した。2005年の『警察白書』によると、1950年に全国で約6万台あった乗用車数は、1970年に約900万台と20年間で150倍に急増した。一方、モータリゼーションを阻害するとして、それまでの基幹的な都市内交通であった路面電車(軌道)が、各地で撤去されていった。1950年には全国50都市以上(総延長1300km超)で運行されていた路面電車は、1980年までに約20都市(総延長約200km)に縮小された。(神田昌幸「わが国のLRTに関する施策の変遷と制度の発展経緯」『国際交通安全学会誌』に基づく)

 また、公共事業によって可住地を開発する政策も強力に推進された。土砂災害の危険は砂防ダムとコンクリート擁壁によって、水害の危険は治水ダムと堤防によってそれぞれ軽減され、田んぼや沼地は埋め立てられ、山林は切土と盛土によって均され、建物や道路が整備され、経済や生活の場所が広げられた。

 以上の政策は、現在に至るまで修正はされてきたものの、抜本的に転換されることなく、現在の都市構造に至っている。

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筆者

田中信一郎

田中信一郎(たなか・しんいちろう) 千葉商科大学基盤教育機構准教授

博士(政治学)。国会議員政策担当秘書、明治大学政治経済学部専任助手、横浜市地球温暖化対策事業本部政策調査役、内閣府行政刷新会議事務局上席政策調査員、内閣官房国家戦略室上席政策調査員、長野県企画振興部総合政策課・環境部環境エネルギー課企画幹、自然エネルギー財団特任研究員等を経て、現在に至る。著書に『政権交代が必要なのは、総理が嫌いだからじゃない』『信州はエネルギーシフトする』、共著に『国民のためのエネルギー原論』『再生可能エネルギー開発・運用にかかわる法規と実務ハンドブック』などがある。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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