「ニュース女子」裁判判決後に語られた2つの「犬笛」
2021年09月02日
「私にとってこの番組は、犬笛でした」
9月1日、東京地裁で判決が出されたあとの記者会見で、「のりこえねっと」共同代表の辛淑玉さんは「犬笛」という言葉を使った。DHCテレビジョンが制作し、東京MXテレビで2017年に放映された「ニュース女子」の番組のあと、辛さんに対する攻撃が激化したからだ。
番組では、沖縄・高江の米軍ヘリパッド建設に反対する運動を「テロリストみたい」などと表現した。そのうえで「なぜ犯罪行為を犯すのだろうか?」「『のりこえねっと』“辛淑玉”は何者?」「反対運動を扇動する黒幕の正体は?」といったテロップが流れ、辛さんは暴力や犯罪をいとわない運動の黒幕で、経済的にも支援していたかのような印象を与える内容だった。
放送のあと、SNSを通じた誹謗中傷はいうに及ばず、「東京MXTV問題の本質 辛淑玉氏等在日朝鮮人による反日反米工作を糾弾する国民集会」まで催された。辛さんは3月の証人尋問で集会について問われ、こんなふうに答えた。
何が怖かったかというと「国民」という言葉と、私の名前がタイトルにあったことです。「国民」は、私のような旧植民地の末裔には「国民対非国民」の構図で使われてきました。「国家の敵・辛淑玉」を日本人総出でたたくニュアンスがあります……。
判決は、DHC側による名誉毀損を認め、550万円の支払いとウェブサイトへの謝罪文の掲載を命じた。番組の内容は真実ではないし、真実と信じる相当の理由もないと認定した。「全面勝訴」とはいえないものの、辛さん側が勝ち、DHC側が敗れたのである。
ただ、この裁判で真に問われていたのは、番組の是非ばかりではないと思う。「犬笛」を吹くのは、「犬笛」に踊る国民がいるから。マイノリティーや大勢に従わない者に「非国民」「反日」のレッテルを貼り、矛先を向けてきたこの国の歴史や現在が問われたのだ。
問いに答えなければならないのは、私たち自身である。
判決後の会見で、辛さんはもう一度「犬笛」という言葉を使った。
判決があった9月1日は、奇しくも98年前に関東大震災が発生したその日である。震災の混乱の中、朝鮮人が放火し、井戸に毒を投げ入れているといったデマが広がり、自警団などによる朝鮮人虐殺に至る。
「朝鮮人は、犬笛で殺されました」と辛さんはいった。デマという犬笛で踊らされた人々は暴走し、凄惨な結果をもたらす。そのことを良く知っていたから、番組と98年前のできごとがつながったのだろう。
辛さんは、震災の時に東京にいた祖母の話を始めた。子どものころ、ともに暮らしていた小さな部屋で、祖母はいつも寝たと思うと起き出して、夢うつつのまま鍋釜をもって部屋の中を歩き回る。「何の夢をみているの?」と聞くと、「日本人が押しかけてくるんだよ」と漏らしたという。
「大震災は私にとって、歴史の一部ではありません。とても愛したおばあちゃんは死ぬまで、鍋釜をもって歩き続けたんです」
震災で消えない傷を心に負った人が身近にいなかったからだろうか、私にとっての関東大震災は「歴史の一部」という感覚だ。しかし、祖母と暮らした辛さんにはそうならない。被害を受けた側の記憶はいつまでも生々しい。
9月1日に判決の期日が入ったことも、辛さんには「相当こたえた」そうだ。もしもこの日に敗訴したら? 自分はいったい何をしてきたんだろう? そんな思いが、裁判に臨む辛さんの顔をこわばらせたのだという。
会見の締めくくりに、辛さんが選んだのは、こんな言葉だった。
「この国は私が生まれ、私が育った、私のふるさとです」
3代にわたって100年以上、日本で暮らしてきた在日3世。自身は東京都渋谷区の生まれだ。思い浮かぶふるさとの風景は、間違いなく日本や東京のそれだろう。
しかし、3月の証人尋問の際、相手方代理人の弁護士は、辛さんに向かって「あなたの母国・韓国でも……」といった。同じ社会で暮らしてきたことよりも、国籍やルーツを重視し、あちら側とこちら側に分ける。この思考回路の中に、問題の根が隠れているように思える。
その日の裁判の報告会で、辛さんはこんな話をした。
私が沖縄に行ったり、沖縄の反戦運動に参加したりするのは、沖縄の人のためではない。まごうことなく自分のことなんです。
よく質問されます。「戦争になったらどっちにつくの? 韓国につくの? 日本につくの?」って。「どっちにつくと思うの?」と聞くと、7割くらいが韓国という。私はこういいました。「もし戦争になったら、いちばん先に殺されるのは私です」
韓国にいても、日本にいても、いわんや北朝鮮に行っても殺されるのは、国をまたいで生きざるを得なかった私たち。だから平和が大事なんです。
過去の戦争をみても、国をまたいで生きてきた人たちはしばしば「敵のスパイ」とみなされ、自由を奪われたり、命を失ったりしてきた。しかし、いまの日本では、反戦平和運動にとりくむことさえ利敵行為とみなされ、「反日」のレッテルを貼られてしまう。まるで戦時のような思考方法が、いますでに幅を利かせている。
国籍が違えば、何年暮らそうが外国人だという人もいるだろう。法的にはそうに違いない。
けれども、在日の人たちがもつ日本国籍を、戦後、一片の通達で剝奪したのは日本政府だ。あわせて参政権を奪い、ほとんどの社会福祉制度の対象から外し、日本軍兵士として戦って傷ついた人さえ援護しなかった。為政者や大衆のレイシズムのもとで、法や制度がつくられたとしか考えられない。
辛さんは著書『鬼哭啾啾』(きこくしゅうしゅう)に、自分は日本人と同じではないと気づかされたきっかけとして、二つを挙げている。当時、地元の幼稚園は朝鮮人の子どもを受け入れておらず、近所で自分だけ幼稚園にいけなかったこと。国民健康保険に入れなかったため、医者にかかることができず
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