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日本が「ヘイト国家」を卒業するためにすべきこと~辛淑玉さんの闘いから考える

「ニュース女子」裁判判決後に語られた2つの「犬笛」

松下秀雄 「論座」編集長

98年前にも吹かれた犬笛

 判決後の会見で、辛さんはもう一度「犬笛」という言葉を使った。

 判決があった9月1日は、奇しくも98年前に関東大震災が発生したその日である。震災の混乱の中、朝鮮人が放火し、井戸に毒を投げ入れているといったデマが広がり、自警団などによる朝鮮人虐殺に至る。

関東大震災の直後、竹槍を持って警戒に当たる自警団。東京周辺に戒厳令を準用する勅令が施行され、不穏な空気を警戒、各地で自警団が組織された拡大関東大震災の直後、竹槍を持って警戒に当たる自警団。東京周辺に戒厳令を準用する勅令が施行され、不穏な空気を警戒、各地で自警団が組織された

 「朝鮮人は、犬笛で殺されました」と辛さんはいった。デマという犬笛で踊らされた人々は暴走し、凄惨な結果をもたらす。そのことを良く知っていたから、番組と98年前のできごとがつながったのだろう。

 辛さんは、震災の時に東京にいた祖母の話を始めた。子どものころ、ともに暮らしていた小さな部屋で、祖母はいつも寝たと思うと起き出して、夢うつつのまま鍋釜をもって部屋の中を歩き回る。「何の夢をみているの?」と聞くと、「日本人が押しかけてくるんだよ」と漏らしたという。

 「大震災は私にとって、歴史の一部ではありません。とても愛したおばあちゃんは死ぬまで、鍋釜をもって歩き続けたんです」

 震災で消えない傷を心に負った人が身近にいなかったからだろうか、私にとっての関東大震災は「歴史の一部」という感覚だ。しかし、祖母と暮らした辛さんにはそうならない。被害を受けた側の記憶はいつまでも生々しい。

 9月1日に判決の期日が入ったことも、辛さんには「相当こたえた」そうだ。もしもこの日に敗訴したら? 自分はいったい何をしてきたんだろう? そんな思いが、裁判に臨む辛さんの顔をこわばらせたのだという。

辛さんの「ふるさと」と「母国」

東京地裁での判決後、記者会見する辛淑玉さん=2021年9月1日、東京都千代田区拡大東京地裁での判決後、記者会見する辛淑玉さん=2021年9月1日、東京都千代田区

 会見の締めくくりに、辛さんが選んだのは、こんな言葉だった。

 「この国は私が生まれ、私が育った、私のふるさとです」

 3代にわたって100年以上、日本で暮らしてきた在日3世。自身は東京都渋谷区の生まれだ。思い浮かぶふるさとの風景は、間違いなく日本や東京のそれだろう。

 しかし、3月の証人尋問の際、相手方代理人の弁護士は、辛さんに向かって「あなたの母国・韓国でも……」といった。同じ社会で暮らしてきたことよりも、国籍やルーツを重視し、あちら側とこちら側に分ける。この思考回路の中に、問題の根が隠れているように思える。

 その日の裁判の報告会で、辛さんはこんな話をした。

 私が沖縄に行ったり、沖縄の反戦運動に参加したりするのは、沖縄の人のためではない。まごうことなく自分のことなんです。
 よく質問されます。「戦争になったらどっちにつくの? 韓国につくの? 日本につくの?」って。「どっちにつくと思うの?」と聞くと、7割くらいが韓国という。私はこういいました。「もし戦争になったら、いちばん先に殺されるのは私です」
 韓国にいても、日本にいても、いわんや北朝鮮に行っても殺されるのは、国をまたいで生きざるを得なかった私たち。だから平和が大事なんです。

 過去の戦争をみても、国をまたいで生きてきた人たちはしばしば「敵のスパイ」とみなされ、自由を奪われたり、命を失ったりしてきた。しかし、いまの日本では、反戦平和運動にとりくむことさえ利敵行為とみなされ、「反日」のレッテルを貼られてしまう。まるで戦時のような思考方法が、いますでに幅を利かせている。

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筆者

松下秀雄

松下秀雄(まつした・ひでお) 「論座」編集長

1964年、大阪生まれ。89年、朝日新聞社に入社。政治部で首相官邸、与党、野党、外務省、財務省などを担当し、デスクや論説委員、編集委員を経て、2020年4月から言論サイト「論座」副編集長、10月から編集長。女性や若者、様々なマイノリティーの政治参加や、憲法、憲法改正国民投票などに関心をもち、取材・執筆している。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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