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異端児の良さを失った菅義偉首相~突然の退陣の真因

今回の自民党総裁選で定まるのは何か。新たな時代に挑戦し直す政策論争に期待

曽我豪 朝日新聞編集委員(政治担当)

 菅義偉首相(自民党総裁)が3日、自民党総裁選に立候補しないと表明した。首相も総裁任期が終わる9月末に退任するという。

自民党の「常識」にあらがった菅氏

 菅氏にはその昔、自民党の「常識」にあらがう異端児の顔があった。

 世襲議員の寡占状況が続くと自民党から新規参入の機運が失われると警鐘を鳴らし、派閥政治にも途中から距離を置いた。多くの議員が勝ち馬に乗りがちな総裁選でも、1998年に梶山静六氏を担いで負けを覚悟の闘いに挑んだ。河野太郎、小泉進次郎両氏らを引き立て、世代交代の歯車を回そうともしたこともある。

 いわゆる世襲ではない、「たたきあげ」の政治家は、国会対策など党務の道を歩むのが自民党の常道だ。だが、菅氏は師匠と仰いだ梶山氏から学んだことも「霞が関へのにらみ」だと言い、政策調整など政府の仕事を好んだ。数々のリーダーたちを支えたが、決してイエスマンではなく、彼らが気付かぬ勘所を指摘し、時に耳に痛い諫言もする「側近」だったという。

 ところが、首相になるや、菅氏から異端児の良さが消えた。

総裁選への出馬断念を表明し、ぶら下がり取材で代表質問を聞く菅義偉首相=2021年9月3日、首相官邸

挑戦の気概が消えた末に……

 政権の最大の課題である新型コロナウイルスの感染対策でも、変転する状況に反応する世論の機微を察する敏感さは見られず、政府組織への「にらみ」ばかりが先走る。そんな彼に諫言する「側近」も現れない。なにより、勝敗を度外視して挑んだ総裁選時にはあった、挑戦の気概が消えた。

 自前の派閥がなく、支えだった無派閥議員らのグループも不祥事が相次ぎ、たたき合いとなる総裁選は不利だと恐れたのかもしれない。コロナ禍と民意の不満が深刻化しているにもかかわらず、総選挙を先行させて、総裁選を無投票再選で済ませようとした。

 内閣・党人事と9月解散の断行により総裁選を先送りする“奇策”も、焦りの現れだったか。その姿は、一般世論はもちろん、選挙現場を含む自民党支持層にさえ保身としか映らず、大いに失望させたに違いない。

政権維持と世代交代の「接ぎ木」を目指す

 菅首相は首相の座についた1年前、こう考えていたのだろう。

 政府のコロナ禍対応を知悉(ちしつ)しているのは、石破茂氏でも岸田文雄氏でもない。ほかならぬ、安倍晋三政権で官房長官をつとめた自分自身だ。突然の安倍首相の退陣を受け、東京五輪・パラリンピックの開催を含めた“後処理”を全うするのが自分の責務であり、さらに衆院選と2022年夏の参院選で与党の過半数を維持した後に、河野氏ら後進に道を譲りたい、と。

 いわば政権維持と世代交代の両面において「接ぎ木」になることを目指したのだろうが、そのための策略が最後、あまりに「異端」に過ぎた。それゆえ、解散断念から一直線で総裁選不出馬に追い込まれたのだ。

総裁選への出馬断念を表明後、記者団からの質問が続く中、執務室に戻る菅義偉首相=2021年9月3日、首相官邸

自民党惨敗の遠因となった橋本首相の「無投票再選」

 人生も政治も、楽な道が近道とは限らない。うまくやり過ごしたように見えても実は、単に課題が先送りされただけということもある。1997年の橋本龍太郎首相の「無投票再選」がそうだった。

 春に消費税を3%から5%に上げた橋本政権は、夏からアジア経済危機が襲われ、財政構造改革路線が行き詰まる。それでも、夏の東京都議選で自民党は、過半数には届かなかったものの、復調したかに見えた。

 都議選の実態は今夏と同じ、「勝者なき」選挙だった。その2年前、1995年の都知事選で「都市博中止」を掲げ、旋風を起こした青島幸男知事が支持政党を示さず、野党も再編期と重なって新進党は議席を失い、民主党も伸び悩んだ。選挙戦は低調で、投票率は今夏を下回る過去最低の40・80%を記録した。

 しかし自民党側に危機感は乏しく、秋の総裁選で橋本首相の無投票再選を許す。梶山官房長官が去った内閣にはもはや、諫言する人もおらず、ロッキード事件で有罪が確定した佐藤孝行氏を入閣させたが、世論の猛反発で撤回するという混乱をきたす。直後の世論調査で、それまで堅調だった内閣支持率は30%台に急落した。

 翌1998年夏の参院選に向け、橋本首相は大型減税を打ち出したが、恒久措置か否かで発言が迷走した。直前の情勢調査では自民党の過半数獲得が予想されたものの、結果は過半数割れの大惨敗。衆参はねじれ、首相は即日、退陣を表明した。

 その夜、電話に出た選挙担当の党幹部がうなるように発した言葉を思い出す。

 「予想したより投票率が10%跳ね上がり、それが野党へ流れた勘定だ。反省のない自民党政権の釜の底が抜けた」

 これも今夏の都議選と似ている。権力が強大化するという予想が、かえってそれを牽制(けんせい)する有権者の投票行動を誘発することがある。

 いずれにせよ、政策論争や世代交代といった緊張感を自ら消した「無投票再選」が、自民党の反省のなさを印象付け、惨敗の遠因となったと思えてならない。

参院選惨敗を受けて開かれた記者会見で、退陣を表明する橋本首相=1998年7月13日、東京・永田町の自民党本部で

自民党総裁選で問われていることは

 今回、首相が交代するだけで世論が好感に転じると思うのは、いささか楽観に過ぎよう。

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