「アフガニスタンの人たちを見捨てない」というメッセージを体現することが重要
2021年09月08日
8月15日、タリバンがカブールを奪取し、それまで国際社会が支援をしてきた政権が崩壊した。NATO軍や国際治安支援部隊(ISAF)の関係者をはじめ、タリバンからの報復を恐れて国外退避を求める人々がカブール空港に押し寄せ、メディアはそれを連日報じた。
命の危険を感じている人々の退避は、確かに重大な問題だ。だが、数千万人のアフガン人にとっては、現実のごく一部でしかない。アフガニスタン国民の99%以上は、タリバンが支配するこの国で生きていくしかないのである。そして、アフガニスタンは今般の政権奪取前から過去最悪規模の人道危機にある。
日本はこれまで、アフガニスタン復興における主要ドナーであり、人道支援にも積極的に取り組んできた。タリバン政権になっても、それを終わらせてはいけない。実際、アフガニスタンの関係者からは、この分野における日本のリーダーシップに期待する声が多く聞こえてくる。
本稿では、アフガニスタン国民の大多数がどんな課題に直面しているのか、そうした課題を克服するために何が必要か、そこでの日本の役割は何かについて、今までの国際支援活動から見えてきたことを踏まえて考えてみたい。
このところアフガニスタンからは心を痛めるニュースばかりが流れてくるが、実は大変魅力的な国である。私にとって、世界で一番好きな国のひとつと言っていい。
初めて訪れたのは、まだ学生だった2003年の夏だった。各地に戦争の爪痕が残るなか、人々の懸命に生きる姿が印象的だった。汚染されていない空気はどこまでも澄んでいて、アルプスを彷彿(ほうふつ)とさせる壮大な山々、無数の星々が瞬く夜空、土と緑が織りなす大地の美しさに心が惹かれた。
よそ者の私を、アフガニスタンの人々は快く受け入れてくれた。「客人を大切にもてなす」文化は、日本の美徳に通じるものがあると、しみじみ感じたものである。
2004年からは、本格的にアフガニスタンの支援に関わるようになった。親日的な人が多く、「他の国と比べ、日本は政治的思惑でアフガニスタンに関わっているのではないことは分かっている」と、何度も賞賛を受けた。アフガンの人々と歩み続けた故・中村哲医師のように、ずっと前からアフガニスタンの人たちと正面から向き合い、国づくり・人づくりに携わってきた先輩方の働きのたまものだと思う。
私が共同代表理事を務める「認定NPOジャパン・プラットフォーム」(JPF)は2001年からアフガニスタン支援を行っている。JPFはNGO、経済界、政府が対等なパートナーシップのもとに協働し、日本の緊急人道支援を迅速に展開するために00年に発足。現在43のNGOが加盟し、日本を含め世界中で紛争や自然災害の被災者支援を行っている。
アフガニスタンでは、主に食料など緊急支援物資の配布、衛生・防災・地雷回避などの啓発、教育環境改善、生業支援などの支援を展開し、現在までに支援を行った対象者は約200万人に達する。
JPFの加盟団体で、私が事務局長を務める「特定非営利活動法人CWS Japan」も、アフガニスタンで緊急人道支援、防災・減災の支援を展開してきた。
アフガニスタン北部では2014年に大規模な地すべりが発生、2000人あまりが命を落とした。村が消え、救出困難と判断された場所は集団墓地となった。アフガニスタンでは、日本では当たり前のようにやられている災害リスク分析や警戒区域設定などがなく、平時の防災・減災が重要視されていなかったことなどが原因だった。
そこでCWS Japanは、災害リスクを評価する能力を高め、政策提言を通じて防災・減災を重要視してもらう活動などを、外務省NGO連携支援無償資金を使って実施してきた。アフガニスタンは日本と同様、国土の四分の三が山地である。防災・減災は、土砂災害や洪水リスクと向き合ってきた日本の経験や強みが活かせる協力分野だと思う。
私達のような民間の支援によって築かれたものは多い。例えば、前述した防災力向上支援によって、現在までに100名を超える技術者を養成し、それぞれが災害リスク分析やGISを活用したハザードマップを作れるようになった。また、NGOの政策提言や国家災害省のリーダーシップによって、アフガニスタンの国家防災戦略や5カ年計画などの整備も進んだ。
以前は「災害が起きた後の対処」が主だったのが、現在では「事前にリスクを把握しそれを削減すること」が国家防災戦略に明記され、技術者を養成する「研修コース」をカブール大学と設立するべく、現在準備を進めている。2015年に仙台で開かれた国連防災世界会議で採択された仙台防災枠組の現地語版も作成し、政府・支援機関などの防災関係者への周知も進んだ。
特に注力したアフガニスタン東部では、パキスタンからの帰還民が洪水リスクの高い場所に住んで被災する例が多かったが、今では家を建てる場所を決める前にハザードマップを確認するようになった。その際、彼らは「守れる命は守るのが当たり前だ」と言っていたが、防災のあるべき姿がそこに感じられた。
JPFの加盟団体の支援では、現地主導で衛生、地雷回避、教育の重要性などの啓発を行えるよう、知識や技術の現地移転に努めてきた。学校校舎の建設・改修や、井戸・灌漑設備などのインフラも、現地で引き続き使用されている。また、現地の教師が自らが主体的に教育環境を改善できるよう、共に歩んできた。その過程で現地のコミュニティとの良好な関係を築くことができ、その関係性は今回の様な有事でも崩れていない。
私たちのような民間からの支援だけではなく、各国政府から対アフガン政府への公的な支援や国際機関を通じた支援もあり、アフガニスタンの状況はこの20年間で着実に改善してきた。
例えば、平均寿命が56.3歳から64.8歳に延びた。タリバン前政権崩壊(2001年)までは女子は中学以上の高等教育を受けられなかったが、現在は女子の約4割が教育を継続できるまでになった。乳幼児死亡率や妊産婦死亡率も2000年と比べて、半数近くまで下がった。
保健・教育・所得の側面を測る人間開発指数(HDI)では、2000年の0.35から2019年には0.51まで改善した。ちなみに日本のHDIは0.92である。900万人近くがインターネット通信環境を享受し、ソーシャルメディアのユーザーも440万人いると言われている。過去20年間の支援によって築かれたものは多い。
とはいえ、不平等な富の分配や深刻な貧困でアフガニスタンの社会は依然、脆弱性が極めて高く、干ばつなどの自然災害があれば、大きな影響を受ける。また、国民の多くが農業従事者で、気候変動などの環境変化にも対応できていない。さらに、紛争により今年だけで約60万人が家を追われた。
医療サービスなどの継続も大きな課題だ。アフガニスタンの医療システムは、世界銀行、米国国際開発庁、欧州連合等によって資金が手当てされ、小さなクリニックから手術入院できる病院まで一つの仕組みとして機能してきた。それへの資金フローが止まると医療サービスも停滞する。薬などの物資は届かず、職員の給料も支払われず、最終的には医療を受ける必要のある一人一人のアフガン人が被害を受ける。
アフガニスタンでは現在、国民総人口4000万人強の半数近くの1840万人が、人道支援を必要としている。過去最悪規模の人道危機といっていい。
そのうち1400万人は深刻な食糧危機に陥っている。
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