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高額紙幣なんかいらない?

渋沢栄一よ、去れ

塩原俊彦 高知大学准教授

 いまさら、「2024年度上半期に登場する渋沢栄一の1万円札なんかいらない」と書くと、大きな反発を受けるかもしれない。しかし、世界全体の「善」を考慮すると、そもそも1万円札は廃止すべきものであると思う。

新1万円札のイメージ図拡大渋沢栄一がデザインされた新1万円札のイメージ図
 2019年4月9日、閣議後の記者会見で、麻生太郎財務相は、唐突に、1万円、5000円、1000円の3種類の日本銀行券のデザインを5年後に新しくすると発表した。2004年に実施された新紙幣発行の場合、発表は2年前の2002年だったことを考えると、当時の安倍晋三首相と麻生大臣の思惑を感じざるをえない。きわめて残念なのは、すでに世界では明らかに高額紙幣廃止論が広がっていたにもかかわらず、こうした議論がまったく進まぬまま、4月1日の新元号の公表、5月1日の天皇の即位と改元といった祝賀ムードのなかで、安倍・麻生らによる世論操作が行われたことである。

高額紙幣廃止論

 元財務省官のローレンス・サマーズハーバード大学教授が「いまこそ100ドル札を潰すべきときだ」という記事を「ワシントンポスト電子版」に公開したのは2016年2月16日だった。すでにこの段階で、彼は「50ドルや100ドル以上の価値を持つ紙幣を発行しないという世界的な合意」の必要性を強く主張していたのである。

 それ以前にも、資金洗浄を防止する国際機関の金融活動作業部会(Financial Action Task Force, FATF)は2010年7月の報告書)のなかで、「高額紙幣を発行しないことを検討するよう各国に求めている」ことを記している。

 筆者も遅ればせながら、2018年10月に上梓した拙著『なぜ「官僚」は腐敗するのか』において、つぎのように書いたことがある。少し長い引用をしてみよう(縦書きを横書きにそのまま転用)。

 「第四に、クレプトクラートの資産洗浄を難しくために、高額紙幣である一万円札の廃止を提案したいと思います。同時に、キャッシュレス化を進め、資金の流れをより透明にするための制度改革を急がなければならないと思います。キャッシュレス化は資産洗浄を難しくするから、クレプトクラートによる不正蓄財を困難にするのです。それがクレプトクラート化を抑止すると信じています(クレプトクラートについては拙稿「クレプトクラート=泥棒政治家」と安倍首相」を参照:引用者注)。
 みなさんは高額紙幣の廃止が多くの国で意図的に進められていることを知っていますか。カナダの中央銀行は二〇〇〇年に一〇〇〇カナダドル札(約六七〇ドル)を流通から除去するよう市中銀行に求めました。シンガポールは二〇一四年に一万シンガポールドル(約七一〇〇ドル)札を流通停止とし、二〇一六年五月、欧州中央銀行は五〇〇ユーロ札(約五七〇ドル)を二〇一八年末までに段階的に廃止することを決めました。
 他方で、スウェーデンは二〇一五年一〇月一日から新しい紙幣(二〇、五〇、一〇〇、五〇〇、一〇〇〇クローネ札[約一一〇ドル])の利用を開始し、旧紙幣の使用は二〇一六年六月末まで有効でしたが、それ以降は無効としました(一〇〇、五〇〇クローネ札は二〇一七年六月末)。スウェーデンクローネの流通残高は二〇一五年の七七〇億クローネから二〇一六年の六五〇億クローネまで減少しました。新一〇〇〇クローネ札は多くの銀行が取り扱いを避けているため供給通貨の六%程度にとどまっています。
 さらに、日本はキャッシュレス化が決定的に遅れています。ユーロに加盟していないスウェーデン、デンマーク、ノルウェーといった北欧諸国では、すでにキャッシュ(硬貨および紙幣)の流通残高の国内総生産(GDP)に占める割合は五%を切っています。これに対して、日本のそれは二〇一四年末で二割にのぼります。前記の北欧諸国の場合、ユーロではなく、独自通貨を使用しているため、ユーロとの交換の煩雑さを電子通貨の利用によって回避するねらいがあるほか、①ひったくりなどの犯罪の減少(銀行に強盗に入っても現金がない)、②売り手、買い手双方の会計管理が迅速化し、経営効率が向上、③麻薬取引、テロ資金、賄賂などに絡む資金の洗浄が難しくなり、こうした不法・不正取引が防止――といったメリットがあります。他方で、紙幣の独占的発行にともなう貨幣鋳造益(シニョレッジ)が失われるという大きな損失があるのですが、メリットがデメリットを上回るとみなせば、キャッシュレス化を推進できるのです。わたしのみるところ、強制投票制と同じように、キャッシュレス化の世界的潮流を日本人は知らなさすぎます。本当に困った事態なのです。ついでに言えば、すでに身元確認のためのパスポートや決済機能、さらにチケット機能などを記憶したマイクロチップを手に埋め込んだ人がスウェーデンだけで約三〇〇〇人います(The Economist, Aug. 4th, 2018)。この技術は徘徊する人などにも応用できるはずです。」

 なお、シンガポールは2021年1月に、1000シンガポールドル札の発行も停止した。言及のないインドについて説明しておくと、インドでは、2016年11月8日、最高額面の1000ルピー札(約15ドル)と500ルピー札(約7.5ドル)を同月10日から12月30日までに新500ルピー札と新200ルピー札に交換しろという命令が下された。この2種類の紙幣だけで通貨供給量の9割を占めていたから、突然の発表にインド国内は大混乱に陥ったのだが、そのねらいはシャドーエコノミーの縮減と不法な活動やテロ資金に打撃を与えることであった。

論文「高額紙幣を廃止することで悪者をより追い詰める」

 ここで高額紙幣廃止論を蒸し返そうとしているのは、実は2016年以降の世界的な状況の変化と今後のさらなる変革が予想されているからである。そこで、ここではまず、2016年時点で高額紙幣廃止論を本格的に展開した論文「高額紙幣を廃止することで悪者をより追い詰める」)内容を紹介するところからはじめたい。

 著者のピーター・サンズは、「我々の提案は、500ユーロ札、100ドル札、1000スイスフラン札、50ポンド札などの高額紙幣を廃止することである」と書いている。論文では、高額紙幣のもたらす欠点が論じられる一方、高額紙幣廃止による長所が語られている。高額紙幣廃止に伴う貨幣鋳造益(シニョレッジ)の喪失といった損失以上の利益をもたらすというのだ。

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筆者

塩原俊彦

塩原俊彦(しおばら・としひこ) 高知大学准教授

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士(北海道大学)。元朝日新聞モスクワ特派員。著書に、『ロシアの軍需産業』(岩波書店)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(同)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局)、『ウクライナ・ゲート』(社会評論社)、『ウクライナ2.0』(同)、『官僚の世界史』(同)、『探求・インターネット社会』(丸善)、『ビジネス・エシックス』(講談社)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた』(ポプラ社)、『なぜ官僚は腐敗するのか』(潮出版社)、The Anti-Corruption Polices(Maruzen Planet)など多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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