[3] 国境も敵味方の壁も越えた郷愁の歌~「ホーム・スイート・ホーム=埴生の宿」
伊藤千尋 国際ジャーナリスト

南に面して光が注ぐホーム・スイート・ホーム記念館。張り出た屋根が北風を防ぐ=2009年8月、米ニューヨーク州イーストハンプトン
ニューヨークの歴史ある高級保養地ハンプトンズへ
摩天楼がそそり立つ米国のニューヨーク。その東側にカニの爪のような形をしたロングアイランド島が、大西洋に向かって細長く伸びる。
米国本土で最長、最大の島だ。

ロングアイランド鉄道はニューヨーク周辺を結ぶ通勤鉄道会社。世界屈指の歴史があり利用客は北米最多だ。起点の一つペンシルベニア駅はマンハッタンにあり多くの鉄道会社が乗り入れる。円形の建物が駅舎でホームは全て地下にある(Richard Cavalleri / Shutterstock.com)

マンハッタンから3時間、郊外のイーストハンプトン駅に到着したロングアイランド鉄道の列車=2009年8月5日、ニューヨーク州ロングアイランドのイーストハンプトン
ニューヨーク中心部のペンシルベニア駅からロングアイランド鉄道に乗って、ひたすら東に向かった。青と黄色のディーゼル機関車が車両を牽く。鉄橋を通って島に入り住宅群を抜けると、窓の外は海沿いに松林さらにブドウ畑など農地が広がる。さっきまでいたマンハッタンの雑踏がウソのように、のんびりとしている。
3時間かけてようやく着いたのが、島の東端に近いイーストハンプトン駅だ。
日本で言えば軽井沢のような保養地で、別荘風の住宅が立ち並ぶ。100年前のアメリカという雰囲気だ。ここまで離れるともはや別世界だ。

(James Kirkikis / shutterstock.som)

イーストハンプトンの典型的なビンテージハウス(shutterstock.som)
「埴生の歌」の原曲「ホーム・スイート・ホーム」の地へ
駅から車で5分行くと、大通りに沿った芝生の敷地の中に風車小屋が建っていた。木の羽根が4枚付いた高さ10メートルの英国式の風車だ。1900年まで実際に小麦粉をひいていた。中をのぞくと、直径1メートルほどの木の歯車で動く仕掛けだ。

ホーム・スイート・ホーム記念館の敷地にある風車=2009年8月、筆者撮影
そばにそびえるのは切妻造の屋根をした古い板葺きの家である。2階建てだが屋根裏部屋があって3階建てに見える。壁も木の皮で覆われている。焦げ茶色の皮の上をさらに緑の苔が覆い、長い年代を経たことを物語る。
入り口には「ホーム・スイート・ホーム記念館」の看板。この家を訪ねて日本からやってきた。
「埴生の宿」という歌がある。
埴生の宿も、我が宿、
玉のよそい、うらやまじ。
のどかなりや、春の空、
花はあるじ、鳥は友。
おーわが宿よ、たのしとも、たのもしや。
私が小学生のころは授業で歌った。埴生の意味もわからずに、だったけど。
「埴」は埴輪にも使われた赤い粘土のことで、「埴生の宿」は粘土で固められた粗末な小屋、つまり貧しい小さな家という意味だ。明治時代に文部省唱歌としてつくられたこの歌は、つつましいながらも楽しい家庭をうたった。
築300年 粗末な小屋ではなく豪邸の趣
この歌の原曲が「ホーム・スイート・ホーム」である。

50歳のころのジョン・ハワード・ペイン
アメリカの舞台俳優ジョン・ハワード・ペイン(1791~1852)が、1823年に英国で上演されたオペラ「ミラノの乙女クラリ」の劇中歌として自ら作詞した。作曲はイギリスの作曲家ヘンリー・ビショップ(1786~1855)。今から約200年も前の作品だ。
原曲は、公爵に求婚された貧しい娘が身分違いのため結婚できず、悲しみながら故郷をしのんで歌う内容だ。宮殿よりも自分が育った小屋がいい、心がくつろぐあのころの生活をもう一度……という郷愁の歌である。
ペインが小さいころ住んでいたのが、目の前に建つこの家だ。建築から300年たっているという。どう見ても粗末な家には見えない。むしろ豪邸の感じさえ受ける。