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坂本龍馬はフリーメイソンだったのか?~日本のフリーメイソンのこと知ってますか?

幕末の日本とフリーメイソンの関わりを通観し、龍馬についての風聞の真贋に答える

小宮京 青山学院大学文学部教授

昨年文庫化されたフリーメイソン入門書

拡大片桐三郎『入門フリーメイスン全史 偏見と真実』
 2020年10月、片桐三郎『入門フリーメイスン全史 偏見と真実』が文庫化された。原著は2006年刊であり、長らく品切れ状態だった。

 筆者の片桐とはいかなる人物か。その経歴を簡単に紹介すると、1925年生まれ、1951年から米国海軍海上輸送司令部に勤め、1963年にフリーメイソンに入会している。2004年には「日本グランド・ロッジ」のグランドマスターに就任した。

 冒頭でも触れた日本グランド・ロッジは1957年3月、日本各地にあったロッジ(会所)によって設立された。グランドマスターはそのトップである。つまり同書は、日本のフリーメイソンを代表する地位にあった人物が、その歴史について記した貴重な著作ということになる。

 同書の「はじめに」で片桐は、「団体としては(略)時にはそのあまりの荒唐無稽さに不快感を禁じえません」と語り、世にはびこる誤解や偏見に苦言を呈す。同書はそうした偏見を解くことを目的としており、フリーメイソンの発祥や歴史的な展開といった基礎的な知識を入手するのに役に立つ。

 甚だ残念なことに、同書でフリーメイソンと日本の関わりについて触れたのは第6章のみと、ごくわずかにとどまっている。しかしながら、そこには大変貴重な情報が含まれている。

龍馬とフリーメイソンをつないだのはグラバー?

 「坂本龍馬=フリーメイソン説」には、龍馬本人がフリーメイソンだった、あるいは彼はフリーメイソンに操られていたなど、様々なバリエーションが存在するようだ。いずれの主張においても、キーパーソンとなるのは、長崎の商人だったトーマス・グラバーである。グラバーこそが、坂本龍馬とフリーメイソンの接点となったと言うのだ。

 ちなみに、幕末に活躍したグラバーの邸宅があった跡地は現在、「グラバー園」として長崎の観光名所となっている。そのグラバー園の一角に、フリーメイソンの有名なシンボル(コンパスと定規)が刻まれた門柱が存在することも知られている。

 「坂本龍馬=フリーメイソン説」の大枠は、来日したフリーメイソンのグラバーが、坂本龍馬と知り合い、龍馬とフリーメイソンとの関わりができた、というものである。

拡大旧グラバー住宅

グラバーはフリーメイソンだったのか

 グラバーについては、片桐もその著書で言及している。ただし、幕末に日本に来航した外国人のメイソンを紹介するなかで、グラバーとフリーメイソンに関する事実関係を確認するという形である。

 日本で最初に開設されたロッジは、横浜の「スフィンクス・ロッジ」で、1865年に最初の会合を開いた記録が存在するという。その後、日本各地にロッジが開設されていくが、戦前の会員資格は外国人に限られていた。

 片桐は、グラバーはフリーメイソンだとの説を唱える者がいるが、グラバーはフリーメイソンではない、と断定する。そして、長崎にフリーメイソンのロッジが開設されたのは1885(明治18)年であり、「グラバーが活躍した時代の20年以上も後のこと」と指摘する。

 そのうえで、原著が刊行された2006年現在、グラバーとその出身であるスコットランドのロッジの関係について、「何の記録も発見できない」「なに一つ根拠がな」い、とまとめている(前掲、片桐書、240~242頁)。

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筆者

小宮京

小宮京(こみや・ひとし) 青山学院大学文学部教授

東京大学法学部卒業。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。専門は日本現代史・政治学。桃山学院大学法学部准教授等を経て現職。著書に『自由民主党の誕生 総裁公選と組織政党論』(木鐸社)、『自民党政治の源流 事前審査制の史的検証』(共著、吉田書店)『山川健次郎日記』(共編著、芙蓉書房出版)、『河井弥八日記 戦後篇1-3』(同、信山社)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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