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一時の戦闘に勝てても国造りはできない~米国の力の限界示したアフガニスタン撤退

揺らぐ世界秩序、真空状態の現地では過激派に勢い―秩序維持へ同盟国は協力を

花田吉隆 元防衛大学校教授

拡大飛行機の突入直後、激しく炎が噴き出した世界貿易センタービル=2001年9月11日、米ニューヨーク

短期の戦闘で制圧できても国家再建はできなかった米国

 9.11を契機に、米国は、テロ撲滅を掲げアフガニスタンに介入、イラクのサダム・フセイン政権も打倒していく。

 当時は、冷戦が終わってソ連が消滅し、新たな国際秩序へ移った時代だった。その結果、相対的に米国の力が増加し、米国は「一極支配」の絶頂にあった。この圧倒的な力の優位を背景に、ブッシュ大統領を支えるネオコンが中東の民主化を主張した。しかし、米国が圧倒的な一極支配を樹立したといっても、それはソ連が消滅したからであって、第二次大戦直後のような絶対的な力を米国が改めて手にしたわけではない。

拡大アフガニスタン攻撃のため米空母から出撃する戦闘攻撃機=2001年11月、アラビア海
拡大米英軍のアフガニスタン空爆開始から1週間。北部のパンジシール渓谷には、カブールなどから着の身着のままの避難民が続々と逃げ込んでいた=2001年10月14日

 何より、期間を区切った戦闘と、無期限とも思える国家再建は別物だ。ハイテク装備を備え、比類なき力を持つ米国が、短期の戦闘でアフガニスタンを制圧することなどわけもない。しかし、その後、荒廃したアフガニスタンの国家再建を果たすことは、結局、20年かけてもできなかった。

 元々、アフガニスタンは、「帝国の墓場」と呼ばれる山岳地帯の要衝だ。過去、英ソが支配を目論みながらも失敗していった。米国もまた同じ轍から逃れることはできなかった。今後、米国は再び「内向き」のサイクルに入っていくことになろう。

拡大カブールでアフガニスタンのカルザイ大統領と並んで歩くブッシュ米大統領。ブッシュ氏は01年の同時多発テロを受けてアフガニスタン攻撃を始め、当時のタリバン政権を崩壊させた=2006年3月1日
拡大同時多発テロ事件首謀者であるビンラディン容疑者の急襲作戦現場からの同時中継を見守るオバマ大統領(左から2人目)ら米政府首脳=2011年5月1日、ホワイトハウスの危機管理室

米の理想おしつけの民主化、ベトナムもアフガンも民の信頼得られず

 米国には、孤立主義と同時に、理想主義の伝統がある。理想主義は介入主義に結びつきやすい。

 建国当初、この理想主義は、米国内に限定されていたが、国土が西に広がるにつれ理想主義も「西進」し、やがて海を越え世界に向かっていった。世界を米国人の信じる「理想郷」に作り替えたいとの潜在意識が米国人にはある。それが成功したのが第二次大戦後の日本と西独だ。

 それと同じことを、米国一極支配が実現した冷戦後、ネオコンは中東で再び試みたが、結局、「民主主義国への作り替え」など、所詮、米国の手に余る代物でしかない。結果は、ベトナムと同じく撤兵に追い込まれただけだった。

拡大北ベトナム・ハイフォン省は1972年4月16日の北爆再開から10月30日までに44の市街地、198の部落が爆撃され、2000人以上が死傷した。写真はハイフォン市郊外のケン・アン地区の民家。壁に「ニクソンよ、われわれの血を返せ」と書いてある=1972年11月
 ベトナムでは、米国が支援した南ベトナム政府は汚職にまみれ、最後まで人々の信頼を勝ち取ることができなかった。所詮、民族の独立を熱望する北ベトナム政府及びその人民の意気込みとは比べ物にならない。

 アフガニスタンでも、米国が支援したアフガニスタン政府は汚職にまみれ、最後まで国民に成長の果実を分配することができなかった。一人当たりのGDPは2012年(641ドル)をピークに次第に低下、20年は508ドルと、この10年弱の経済の停滞が明らかだ。結局、米国は、ベトナムでもアフガニスタンでも政府を育てられず、国民の信頼をつなぎとめることができなかった。

拡大アフガニスタン復興支援国際会議で演説するアフガニスタン暫定政権のカルザイ議長。右隣は小泉純一郎首相、パウエル米国務長官=2002年1月21日、東京都港区
 国家の建設や再建は、短期間の戦闘とはわけがちがう。

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筆者

花田吉隆

花田吉隆(はなだ・よしたか) 元防衛大学校教授

在東ティモール特命全権大使、防衛大学校教授等を経て、早稲田大学非常勤講師。著書に「東ティモールの成功と国造りの課題」等。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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