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メルケル首相が去る~奇跡の在任16年をもたらした政治家としての特質

決断が遅く、物言いは地味で、カリスマ性に欠ける彼女はなぜ政治家として大成したのか

宇野重規 東京大学社会科学研究所教授

 ドイツのアンゲラ・メルケル首相がその地位を去る。2005年から16年間もの間、ドイツのみならずヨーロッパ、あるいは世界の動きを牽引した政治家は、9月26日の連邦議会の総選挙に出馬せず、選挙を経て誕生する新首相に後事を託して、政界を引退することになった。

ドイツのメルケル首相=2021年1月21日、ベルリン

物理学者がヨーロッパ最大の国家の指導者に

 1989年のベルリンの壁崩壊以前、東ドイツで物理学者としてのキャリアを積み、政治とはまったく縁のない生活をしてきた女性が、人口においても経済力においてもヨーロッパ最大の国家の指導者をかくも長い期間にわたって務めたことは、ある意味で奇跡とも言えるかもしれない。

 統合が進んだとはいえ、東西ドイツの間には今なお、様々な格差が存在する。まして「統一」の時点において、それは事実上、西ドイツによる東ドイツの「併合」を意味した。

 その東ドイツにおいて、しかもプロテスタント牧師の家庭に生まれ育ったメルケル(ちなみにメルケルは、離婚した最初の夫の姓であり、旧姓はカスナー)が、統一後にそれまでカトリック男性が有力者を占めてきたキリスト教民主同盟(CDU)の党首になったことも奇跡であれば、短命に終わると考えられていたその政権が、ヨーロッパ通貨危機、各国を襲うテロ事件、極右勢力の台頭、ウクライナ危機、そして新型コロナウィルス感染症と、次々に押し寄せる危機を乗り越え、存続したことも奇跡であった。

 多くの観察者が指摘するように(最近、本格的な評伝であるマリオン・ヴァン・ランテルゲムの『アンゲラ・メルケル』が邦訳された)、メルケルは「女帝」とさえ呼ばれるようになった現在も、量子化学者である夫ヨアヒム・ザウアーとともにいたって堅実で、穏やかな生活を送っている。小さな別荘に出かけることを好み、ほとんど護衛もつけずに買い物をし、服装や髪型にもあまりこだわらない(上記の著作では、かつて彼女を引き立てた男性政治家による「メルケルさんの格好をどうにかしないと」という発言がしばしば引用される)。

 科学者であったこともあって極めて論理的かつ説明上手であり、複雑な問題を明確に分析し、丁寧に解決への道筋を検討する資質に富むものの、しばしば決断に時間がかかり、スピーチや物言いが地味で、カリスマ性に欠けるともされる。そのようなメルケルがなぜ政治家として大成したのであろうか。

状況を見極めプラグマテックに判断

 実を言えば、メルケルの評価は割れる傾向にある。

 2011年の東日本大震災をきっかけにドイツを脱原発に向けて思い切って転換したことや、2015年に内戦の続くシリアなどから100万人にも及ぶ大量の難民を受け入れたこと、さらに後で触れるように、コロナ禍にあって冷静に方針を決定し、国民に丁寧に理解を求めたことはしばしば高く評価される。

 その一方で、ヨーロッパ通貨危機においてあくまでドイツの立場にこだわり、ギリシアなどへ緊縮策を求めた際には、ヒトラーになぞらえられたこともあった。内政面でも、前任のシュレーダー政権から継承したものが多く、メルケル政権の下で独自に進められたものは少ないという専門家の評価もある(近藤正基「メルケル氏が残す課題」、毎日新聞8月21日)。

 概して、強い理念を掲げて人々を引っ張るタイプの指導者ではなく、状況の変化を慎重に見極め、プラグマティックな判断をする政治家という評価が目立つ。はたして、そうなのだろうか。それだけで長期にわたる政権を維持できたのだろうか。

「難民受け入れは歴史的使命」と決意を表明するメルケル首相(中央)=2016年7月28日、ベルリン

「壁を超えてきた」政治家

 第一に指摘すべきは、メルケルが「壁を超えてきた」政治家であるということだ。

 アメリカ合衆国のトランプ前大統領が、そして現在も世界の多くの政治思想者が、有形無形の壁によって国境を遮断することを考えているのに対し、メルケルはベルリンの壁の崩壊を受けて、新たなチャンスを得た人物である。

 それゆえ、壁を二度と築いてはならないと考えるメルケルは、前記の『アンゲラ・メルケル』の言葉を借りれば、「地理的、政治的、精神的に異なる世界を経験」し、「壁の暗い向こう側、独裁と全体主義が与える精神的影響を知って」いて、それゆえに「民主主義と自由が奪われることがどういうことか、骨身にしみている」(『アンゲラ・メルケル 東ドイツの物理学者がヨーロッパの母になるまで』〈清水珠代訳、東京書籍〉13ページ)。これは、現代世界の大国指導者において極めて例外的な資質であると言えるだろう。

国民の心に届いたコロナ禍でのスピーチ

 そのようなメルケルであるからこそ、2020年3月18日のスピーチは国民の心に届くものになった。このスピーチで彼女は、新型コロナウィルスの治療薬やワクチンが開発されるまで時間を稼がなければならないこと、その間に鍵となるのは医療機関であり、そのために医療従事者の献身的な努力に感謝すること、さらに他者へ配慮ある行動が重要であることを説いた。

 その上で、国境管理と入国制限を強化したことを述べつつも、それが「渡航や移動の自由が苦難の末に勝ち取られた権利であるという経験をしてきた私のような人間にとり、絶対的な正当性がなければ正当化し得ない」と強調した。これはまさに、東ドイツ出身であるメルケルならではの言葉であった。

 苦難を経験してきたからこそ、自由や民主主義の価値を説き、世界が分断される現在であるからこそ、壁を再び築くことに反対する。その説得力は単なるレトリックによるものではないだろう。マイノリティとしての自分の経験を、むしろ人間としての奥行きへと転換したメルケルだからこそ、その言葉が多くの人々の心に響いたはずだ。

新型コロナウイルス対策について、テレビで演説をするドイツのメルケル首相=2020年3月18日、独公共放送のテレビ画面から

優しいけれど頑固で厳しい「お母さん」

 第二に強調したいのは、メルケルの慎重さと同時に果断さである。

 秘密警察(シュタージ)の目だけでなく、ごく親しいと思っていた友人や隣人によっても密告される危険性のあった東ドイツにおいて、彼女の慎重さは自ずと形成された。彼女の父は自らの理想ゆえにあえて東ドイツに赴任した牧師であったが、社会主義国においてその立場は微妙なものであった。政治家になる以前から、メルケルは慎重にならざるを得なかったのである。

 しかも彼女の科学者としての資質は、時間をかけて仮説を立て実験を行い、その上でようやく理論化して実行するというスタイルを生み出した。必然的に結論を出すには時間を要するが、いったん結論を出すと思い切ってそれを貫くのも彼女の強みであった。

 実際、メルケルは脱原発へと舵を切る前は、他の保守的な議員たちと同じく原発を擁護する立場にあった。大規模な難民受け入れについても、逡巡を重ね、検討を進めた上での決断であった。

 最初から華々しい理念を掲げるわけではない彼女は、理想主義的というよりは、その時々の状況で変化するプラグマティックな政治家とみなされがちである。とはいえ、いったん決めて仕舞えば、以後はいかに多くの批判や反対を受けても揺るがない。

 そのようなメルケルは、批判的なニュアンスも含めて「ムッティ(お母さん)」と呼ばれた。優しいけれど、ちょっと頑固で厳しいところもあるお母さん、というところだろうか。

裏切りや駆け引きを辞さない策士

 第三に触れておかなければならないのは、メルケルの「マキャヴェリズム」である。

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