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アフガニスタンの「女性の人権」をどう考えるか

タリバンだけが「悪」なのか、複雑な歴史を総合的に考える必要性

清末愛砂 室蘭工業大学大学院教授(憲法学、家族法、アフガニスタンのジェンダーに基づく暴力)

 イスラム主義勢力タリバンが暫定政権を発足させたアフガニスタン。旧政権時代、女性に対して就労や就学の制限など差別的な施策を行ってきたタリバンが、再び女性の人権を抑圧するのではないかという懸念が広がっている。この問題について、長年アフガニスタンの女性や子供の状況を調査・研究し、現地のフェミニズム団体との交流も深い清末愛砂さんに寄稿してもらった。

編集部より 清末さんの原稿は「ターリバーン」「イスラーム」「カーブル」と表記されていますが、検索などの際の利便性を考慮して、筆者にご了解をいただき、現在の朝日新聞の用語表記「タリバン」「イスラム」「カブール」で掲載します。

国際社会の「懸念」への違和感

 日本を含む欧米諸国のメディアが報じてきたように、2021年8月15日のタリバンによるカブール陥落以後、国際社会は一斉にアフガニスタンの女性の人権問題に強い懸念を示すようになった。本稿の最初に、そうした懸念に対して、筆者がいくつかの違和感を覚えていることを示しておきたい。

 1996年から2001年まで続いた旧タリバン政権が、例えば、女性の外出時にブルカ(※1)の着用を強要したり、教育の機会や就労の機会を大幅に制限したりする等の苛酷な施策を導入した経緯があることから、女性にかかわる今後の施策に対して、強い警戒心を抱く人々がいても不思議ではない。

 ※1:ブルカとは頭の上から足先までの身体をすっぽりとおおう衣装を指す。目の前がメッシュ状になっている。

 過去10年にわたり、アフガニスタンのジェンダーに基づく暴力や女性運動を研究テーマの一つとして取り組んできた者として、筆者自身も今後のタリバンの施策を注視していかなければならないと考えている。

 ただし、アフガニスタン国内において、タリバンに対する評価はけっして一枚岩ではないことにも留意する必要がある。

 近年はとりわけ治安の悪化(政府軍・タリバン・IS系勢力の三つ巴や一般犯罪の増加)が著しかったことから、治安がよくなり生活も安定するのであれば、為政者が誰であってもかまわないと思っている者もいるだろう。加えて、2005年頃に復活したタリバンの支配地域の拡大、およびその結果としての8月15日の出来事を可能とさせた諸々の背景についても、多角的に考えなければならないだろう。

 また、旧タリバン政権下の生活を直接的に経験した世代や、その経験を親たちから聞いてきた若い世代の中から出てくる恐怖心や警戒心または言い知れない不安感と、筆者を含む外部の者(非当事者)が言及する警戒心が異なるものであることにも、十分な注意が必要である。

ブルカを着たアフガニスタンの女性=timsimages.uk/shutterstock.com
 ともすれば、自分たちの主張を正当化するためだけに、後付けとしてリアルに恐怖心を抱いている当事者の声の一部を都合よく切り取って使うこともありうるからだ。

 筆者がこの点をあえて言及するのは、9.11をきっかけとする2001年の米英軍等による対アフガニスタン軍事攻撃における「対テロ」の枠組みの中に、米国が途中から〈アフガン女性の人権擁護〉を盛り込むことで、軍事攻撃の正当化を図ってきた経緯があるからである(※2) 。

 ※2:2001年の軍事攻撃と「女性の人権」論とのかかわりの詳細については、清末愛砂「『対テロ』戦争と女性の均質化-アフガニスタンにみる<女性解放>という陥穽」、『ジェンダーと法』11号、2014年、80-92頁を参照されたい。

 自らを〈残忍な〉タリバンとは異なる「文明化」された〈救世主〉として位置づけ、その演出の中でアフガン女性をタリバンの恐怖政治の下で黙って耐え忍んできた救済対象として固定化した。

 抑圧された女性のイメージ作りに役立ったのが、本来的には多義的な意味を持つブルカ であった(※3)。

 ※3:基本的に筆者は、ブルカの着用を一律強制することは問題だと考えている。しかし、外出着であるブルカは、都会に行く女性の象徴としてとらえられていた側面があったり、慣習の中で外出時にブルカを好んで、または当然のこととして違和感なく着用したりする女性もいることから、ブルカを単純に<女性の抑圧の象徴>であるかのように語ろうとする「外部」の視点には与しないようにしている。

アフガニスタンで展開されてきた女性運動

 アフガニスタンには、1970年代後半から女性の権利や自由を果敢に求め続けてきたRAWA(アフガニスタン女性革命協会、※4) のような独立した女性団体がある。

 ※4:RAWAの設立経過や活動の詳細に関しては、清末愛砂『ペンとミシンとヴァイオリン アフガン難民の抵抗と民主化への道』(寿郎社、2020年)、清末愛砂・前田朗・桐生佳子『平和とジェンダー正義を求めて アフガニスタンに希望の灯火を』(耕文社、2019年)等を参照されたい。

 RAWAは国際的な女性運動の世界では大変著名な団体である。

アフガニスタン北東部の都市を歩くブルカを着た女性たち=2001年10月撮影
 旧タリバン政権下では表に出て抗議行動をするといった目につきやすい活動はできなかったが、例えば夫を殺害した女性の公開処刑や道端でタリバン兵が女性を殴打している様子を秘密裏に撮影し(ブルカの着用義務を逆利用して撮影)、猛烈な危険を冒して海外に映像を持ち出して人権侵害を告発したり、家を利用して女児のための秘密の学校を開校したりする等、可能な限りの活動をしていた。

 RAWAは、2001年当時から現在にいたるまで一貫して、軍事攻撃は解決の手段にはならないことを強く主張し続けてきた。

 一方、タリバン側も孤立の再来を避けるためか、予想される国際社会による懸念を念頭に8月17日に行われた最初の公式記者会見の場で、女性の人権については「シャリーア(イスラム法)の範囲内で尊重する」と述べた。

 それが具体的な施策としていったい何を意味しているのか、またそれらがどのように履行されていくのか、という点については、現時点では全体としては不確定要素も多く、見通しも含め包括的判断は難しい。

 その前兆にあたるかもしれない数々の出来事(例えば、女性の権利や自由を求めるデモに対する暴力的・威圧的な態度、女性の職場復帰の困難さ、大学で学ぶ女子学生へのヘジャーブの着用義務等)が起きているのも確かである。

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