谷田邦一(たにだ・くにいち) ジャーナリスト、シンクタンク研究員
1959年生まれ。90年、朝日新聞社入社。社会部、那覇支局、論説委員、編集委員、長崎総局長などを経て、2021年5月に退社。現在は未来工学研究所(東京)のシニア研究員(非常勤)。主要国の防衛政策から基地問題、軍用技術まで幅広く外交・防衛問題全般に関心がある。防衛大学校と防衛研究所で習得した専門知識を生かし、安全保障問題の新しいアプローチ方法を模索中。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
総裁選での控えめすぎる安全保障への発言、実は胸中に秘策あり?
自民党総裁選に立候補している4氏が、さまざまなテーマで熱い論戦を繰り広げている。討論会で交わされる激論は、新型コロナウイルス対策や経済政策、外交・防衛問題まで幅広い。報道各社の人気投票でリードする河野太郎・行政改革相は、4人のうち唯一、外務・防衛両大臣を務めた経験がある。しかし、こと安全保障問題に限っては、河野氏の踏み込み方が今ひとつ浅く迫力に欠ける。ぜひとも新世代ならでは新機軸を披露してもらいたいものだ。
筆者は、朝日新聞で今年5月まで38年にわたって防衛問題を担当し、のべ45人の防衛相を取材した経験がある。河野氏の在任はわずか1年だったが、決断力と型破りなスタイルは歴代大臣の中でも一味違っていた。それだけに、総裁選での控え目すぎる安全保障がらみでの発言がずっと気になっている。
たとえば9月18日にあった日本記者クラブ主催の公開討論会。沖縄をはじめ各地で摩擦が高まっている日米地位協定の改定について問われると、急に口が重くなった。
「地位協定を変えるか変えないかが政治問題化していけば、米側もなかなか受け入れることができなくなる。大事なのはこの実態をどう変えていくかということだ」
米国が難色を示すことを気遣ったのだろう。首相候補としての軸足をどこに置いているのか首を傾げたくなる。
というのも河野氏は、かつて自民党の国会議員有志で作る「日米地位協定の改定を実現し日米の真のパートナーシップを確立する会」で幹事長を務めたほどの「改定積極派」だったからだ。米軍基地が集中する神奈川県の選出でもある。米軍駐留に伴う問題には精通しているはずだ。
ところが外相に就任した2017年以来、河野氏はすっかり持論を封印してしまった。総裁選でも姿勢を変えず、180度異なる「変節」をそのまま貫いた。
河野氏といえば、イージス・アショアの止め男としても知られる。防衛相だった昨年6月、秋田・山口両県に配備予定の迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の計画断念を突然表明し、日米の防衛当局者たちを唖然とさせた。
断念の理由は、日米が共同開発した3段式の迎撃ミサイル「SM3ブロックⅡA」(全長6.7㍍)の発射後、切り離された第1段のブースター(推進補助装置=長さ1.7㍍、重さ約200㌔)が、市街地に落ちてくる恐れがあったからとされる。
政策転換の理由について、河野氏は翌7月の衆議院の委員会でこう答弁している。
「政府としても、国民の命、あるいは平和や暮らしを守るのが大きな責務だ。そうしたことを考えれば、現行の憲法の範囲内で何が最も適切なのか、政府内でしっかり議論してほしい」
平たくいえば、周辺住民の安全に配慮して断念したということになる。潔い政策判断は注目を集めた。真意はともかく、安全保障より住民の安全を優先させたように響いたからだ。ところが、このたびの総裁選で語った安全保障がらみの発言は、いずれも注意深く慎重に抑制されすぎて物足りなさを感じる。
さて前置きが長くなってしまった。河野氏とイージス・アショアとのかかわりについて、ほとんど知られていないもう1つのエピソードをご紹介したい。