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『非自民』か『非共産』か、左派ブロック成立に見る総選挙の争点

ルビコン川を渡り、共産党を含めた野党共闘に動く枝野立憲

平河エリ ライター

 自民党総裁が岸田文雄氏に決まった裏で、野党政局も大きく動いた。

 立憲民主党と日本共産党が9月30日、国会内で会談し、正式に「限定的な閣外からの協力」で合意した(「立憲と共産、政権交代なら『限定的な閣外協力』 候補者一本化を加速」、朝日デジタル9月30日)。これは、野党第一党と日本共産党が政権の枠組みで合意するという歴史的な出来事であり、同時に、長く反目していた共産党と旧民主党系勢力の合意に基づく日本初の「左派政党ブロック」の成立とも言える、歴史的な合意である。

合意会談会談に臨む立憲民主党の枝野幸男代表(右から2人目)と共産党の志位和夫委員長(左から2人目)=2021年9月30日、国会内

 日本共産党・志位和夫委員長は「政権協力の合意をもって総選挙をたたかうのは、日本共産党の99年の歴史でも初めて」とTwitterに投稿した。対して、反共産党的立場の細野豪志議員も「わが国で共産党と閣外協力で合意した政党はこれまでなかった。志位委員長が共産主義を目指すことを表明したことと合わせて考えると歴史的意味が分かる」と述べた。左右両方の立場から、この合意が歴史的意味を持つことの発信があったことがわかる。

「非自民反共産」勢力との決別

 最初にこの合意を見たとき、私は「立憲民主党・枝野幸男代表はルビコン川を渡った」と感じた。書面こそ交わさないとは言え、共産党と正式に「限定的な閣外協力」の文言で合意するということは、取りも直さず「非自民反共産」的スタンスを持つ民間産別の全面的な支援を諦めることを意味する。地域、産別によって非常に大きな温度差があり、一概には言えないものの、連合の一部産別の中に根強い反共意識があることは周知のとおりである。

 野党政局にはいくつかのフェーズがある。一つは連合(日本労働組合総連合会)結成以降の体制だ。1989年に総評(日本労働組合総評議会)・同盟(全日本労働総同盟)・中立労連(中立労働組合連絡会議)・新産別(全国産業別労働組合連合)の四つのナショナルセンターにより連合が結成され、労働組合が支援する政党においても「非自民・非共産」勢力の結集が図られる。細川連立政権、新進党の結党と解党などを経て、連合を土台にした政党「(新)民主党」に再編されるなど、政党が移り変わる中でも非自民・非共産勢力は2度の政権交代を経験した。

 しかし、政権下野を前後して、日本未来の党や日本維新の会、みんなの党などいわゆる「第三極」に大量の民主党議員が流出し、更に下野後の2013年の参院選においても、民主党は歴史的な大敗を喫した。民主党は政権奪還のため、他の野党との交渉を迫られることになる。

安保法制以降の民主・共産の協力体制

 大きな転機となったのは2015年の安全保障法制に関する国会内外の民主党と共産党の連携である。「民共合作」などと揶揄されながらも、2016年の参院選では一人区での一定の協力に成功。2013年の壊滅的な大敗から「下げ止まり」となる。この間の流れは、前回の論座「共産党が入閣することは現実的に難しい。しかし・・・『政策ごとのパーシャルな連携』という方針は合理的だ」で論じた。

 安保法制への反発をベースにした選挙協力体制は、つまるところ、妥協の産物だった。反共的なイデオロギーを持つ連合を支持母体としながら、現場では共産党と一定の協力関係を構築し、可能な限りの一本化を図る。双方のイデオロギーに配慮した「阿吽の呼吸」によって成立してきたガラス細工と言っていい。地域や選挙区によってはどうしても折り合いがつかない場所もある。そういう選挙区はお互いに戦う。折り合いがつく所でも、選挙カーの時間はずらす。決起集会でも同じ壇上に上がらない。そういった「見てみぬふり」の元で協力関係を築いてきた。

 ところが、民進党は党内闘争の末に2016年に岡田克也代表を引きずり降ろし、「選挙の顔」として蓮舫氏を代表に据える。その蓮舫氏が失速すると再び代表選が行われ、共産党との共闘に否定的な前原氏が代表になった。

 そもそも、連合を中心とした「非自民・非共産」勢力をまとめて政権交代を実現する。この目論見はなぜ崩れていったのか。

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