安定政権の必須な“栄養素”となった「安倍」。宏池会流保守主義で自民党は変わるのか
2021年10月10日
10月4日、岸田文雄内閣が発足した。安倍晋三内閣とその継承をうたった菅義偉内閣が9年近く続いた後、まさに装いを一新した内閣の登場である。
自民党総裁選挙の論戦に口火を切ったのは、岸田氏その人であった。8月26日に出馬を表明。30日には役員の任期制限を掲げて、連続3期3年として5年間在職していた二階俊博幹事長との対決姿勢を鮮明にした。従来の慎重な岸田氏とは打って変わった退路を断つ戦闘モードを打ち出したのである。
その直前の8月22日の横浜市長選挙で、菅前首相が全面的に支援した小此木八郎氏が大敗。同時期に出た各種の衆議院総選挙の議席予測で、自民党の過半数割れが予想される数字が出たこともあり、9月3日に菅首相は総裁選への不出馬を発表した。
問題はここからである。
10日に各種世論調査で圧倒的人気を誇る河野太郎氏が出馬を表明すると、若手の間に派閥横断的に河野氏への支持が広がった。その“代表格”の福田達夫氏は若手を糾合し、党改革を唱えて「党風一新の会」を結成した。
これに対して安倍元首相は、派閥に属さない自由な立場から、右派の復古的イデオロギーを前面に押し出そうとする高市早苗氏の支持を強く打ち出した。SNSは敏感に反応し、安倍氏の首相退任後、政治の後景に退いていた復古的な言説が高市氏に喝采を送り続けた。安倍氏自身、若手を中心に個別に電話をかけるなど、多方面に直接、高市氏支持を働きかけた。
この局面までは、派閥の領袖のもと一致団結して候補を応援するという力学は働いていないように見えた。つまり、派閥はいよいよ解体に向かい、自民党は浮遊する議員集団と化すのではないかという観測さえ出始めたのである。
ところが、最終局面で、河野氏の支持が切り崩され、高市氏が岸田氏を猛追する展開となると、今度は派閥がメンバーの引き締めを図り始める。岸田・高市両陣営の間で決選投票になった場合の共闘合意が取り交わされるなど、総裁選は個人プレーから組織戦へと装いを変えた。
結果は、党員票では圧倒的多数であった河野氏は議員票では3位に甘んじ、岸田氏との決選投票では完敗であった。
安倍・菅体制の最終段階でもあった菅氏の自民党総裁就任では、無派閥の菅氏を少数派閥の二階俊博幹事長が支えて総裁選での勝利を収めるといった具体に、派閥の役割は低下しつつあった。新型コロナウイルス感染症対策の方向を見いだせないまま、安倍首相が健康不良で突然、辞任するという局面において、円滑な政権継承のためには、安倍政権の7年8カ月、官房長官を勤め上げた菅氏が最適任であるように見えた。そこでは派閥がうごめく余地すらなかったのである。
今回の総裁選で派閥が復権したようにみえるのには、新型コロナの新規感染者数が全国で急激に減少するのと対照的に、自民党の支持率が上昇するといった状況が大きく作用している。世論調査や党員調査で支持が高い河野氏の、反原発や党政調会批判などを繰り広げる奔放さを、派閥と組織で封じ込めるとともに、若手による党改革圧力をも削いでいったのである。
岸田氏が総裁選で勝利すれば、党・内閣のポスト配分にあたり、派閥単位での配分が目指される。かつて党員の圧倒的な支持で勝利を収めた小泉純一郎首相は、組閣にあたり派閥推薦を受け付けない姿勢を堅持したが、その背景には経済が底割れしかねないという2000年代前半の危機的状況があった。だが、新型コロナが終息に向かうかに見える状況では、“小泉流”のそうしたリーダーシップは登場する余地がない。
結果として、発足した岸田内閣は、党・閣僚ポストにおいて、支持の濃淡に応じた派閥への「バランス」をとった人事となった。副大臣・大臣政務官以下のポスト配分でも、派閥のバランスがはっきり見て取れる。派閥は自民党の人事システムと強固に結びついて、これからも残り続けるであろう。
とはいえ、コロナ危機が深刻だった今回の総裁選の前半で明らかになったのは、目に見える危機の最中においては、首相が突然辞任表明した昨年の総裁選挙と同様、派閥が必ずしも機能しないという事実であった。
危機の際に存在感を示したのは、世論の支持を得た河野氏と、高市氏を強力に推した安倍氏であった。その意味で、河野氏が安倍氏の“宿敵”である石破茂氏と連携し、夫婦別姓支持など安倍氏の嫌う政策を次々と打ち出したのは、必ずしも悪い作戦ではなかった。「安倍対反安倍」という構図を明確にしたからだ。
では、そもそも「安倍」とは何だろうか。
それは、2012年からずっと政権党である自民党の“中心”であり、政権交代後の自民党のアイデンティティである。菅政権は結局、“安倍後継”としての役割から脱皮することなく退陣した。石破氏が前回総裁選(2018年)で急速に支持を失い、派閥の掌握すらままならなくなったのも、安倍氏を否定することが、自民党のアイデンティティを否定することと同義となりつつあったからである。
もちろん菅首相退陣以降の一般の党員や世論の傾向を見ると、安倍政権とは異なる自民党を求める声が強まってはいる。ただ、ここで留意すべきは、2009年の民主党政権以来、2度の政権交代を経て、「政治主導」による政策形成が基軸となるなか、2009年以前の自民党のように、官僚主導の政策形成を党政調部会が追認・修正し、内閣が官・党両者の上に立つという政権の形は成立しないということである。かつての自民党は遠い過去のものとなりつつある。
第2次以降の安倍政権では、イスラム国(IS)の国際テロ、中国の軍事力拡大、アメリカ大統領選挙でのトランプ候補当選など、日本が対応に苦慮する国際的な事態が次々と起きた。外交に首相が注力することで、派閥連合体としての自民党を越えたリーダー像が立ち現れる。これを安倍首相は存分に活用した。
言うまでもなく、外交は首相個人のスタンドプレーではありえない。対外政策は、外務省を基軸に、新設された国家安全保障会議が防衛省を糾合して展開する形でつくられた。「安倍」カラーにみえて、その実態は、官邸の政治家と官邸官僚・各省のチームワークの産物である。こうした安倍内閣特有の「官邸主導」もまた、安倍・菅内閣の9年近い年月を通じた実績を踏まえ、政権のアイデンティティとなっている。
さらに、憲法改正、靖国神社参拝、女系天皇の否定といった復古的イデオロギーへの澎湃(ほうはい)たる支持もまた、「安倍」のアイデンティティの特色である。高市候補の意外にも見える躍進は、
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