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世界銀行のスキャンダルがIMFに飛び火

国際金融における覇権争いの裏側

塩原俊彦 高知大学准教授

 世界銀行は2021年9月16日、世界中の多くの国々が投資環境の改善のために利用してきた「Doing Business」(DB)レポートの廃止を決定したと発表した。世銀の経営幹部らが中国をはじめとする一部の政府を優遇するために、DBに関するデータを改竄するよう職員に圧力をかけていたことが調査で判明した結果である。DBランキングにおいて2018年に中国、2020年にサウジアラビアのランキングが意図的に改善されたり、逆に、2020年にアゼルバイジャンのスコアが悪化したりしたデータ不正が2020年6月に内部報告されていた。その後、世銀経営陣はDBレポートとその手法に関するレビューを開始、同年12月に結果を公表後、2021年1月に調査を委託された法律事務所ウィルマーヘイルの報告書が9月にまとめられた。それによると、ジム・ヨン・キム前世銀総裁、クリスタリナ・ゲオルギエヴァ国際通貨基金(IMF)専務理事、そしてランキングを作成した一人、シメオン・ジャンコフ元ブルガリア財務相からの圧力があったとしている。

 キムは2019年1月に3年の任期を残して突然辞任表明し、2月に退任したが、当時、世銀の最高経営責任者(CEO)の地位にあったゲオルギエヴァは3カ月間、世界銀行暫定総裁の役を担ったうえで、2019年9月25日にIMFのトップ、専務理事に選出され、10月1日に就任している。

 2021年9月17日付の「ニューヨークタイムズ電子版」によると、彼女はスタッフに向けた発言のなかで、世銀トップ時代に中国をなだめるために報告書を操作するようスタッフに圧力をかけたとの疑惑を否定し、「私の役割に対する意味合いには同意できません。それは違う」と発言したという。だが、中国の圧力を代弁するような人物が国際金融システムの総元締めであるIMFのトップにとどまれるかどうか判然としない事態になっている。

1)	ricochet64/shutterstock.comricochet64/shutterstock.com

 世銀とIMFという二大国際金融機関で何が起きているかについて、ここで論じてみたい。そこで繰り広げられているのは、激しい覇権争いである。

DBをめぐって

 事件の舞台となったDBプロジェクトは2002年にスタートした。各国の中小企業に着目し、そのライフサイクルを通じて適用される規制を測定して、包括的な定量データを収集・分析、ビジネス規制環境を比較することで、より効率的な規制に向けて経済が競争することを促そうというものだ。DBの評価やランキングの手法の開発には、ハーバード大学のアンドレイ・シュライファー教授(ロシア投資で米政府から告発されたこともある札付きの人物)や、今回の世銀スキャンダルにも登場する、当時世銀に勤務していたゲオルギエヴァのアドバイザーだったジャンコフがかかわった。

 五つの指標セットと133カ国を対象に2003年に初めてDBの調査結果が発表された。最後となったDoing Business 2020では、11の指標と190カ国を対象とするまでに拡大していた。こうした歴史のなかで、世界中の企業や投資家は、投資先や製造工場開設などにDBを参考にするようになる。同時に、投資を呼び込みたい発展途上国は、DBランキングを少しでも引き上げることで、投資家にアピールしようとするようになった。

 この結果として、DBが推奨する、企業による納税の簡素化や融資の透明化、契約締結の適正化といった、ビジネス改善が促されたのは事実だ。だが他方で、「高校生が先生をおだてて成績を上げてもらうように、世界銀行に働きかけて『Doing Business』レポートに高い点数をつけてもらうようにする」国も出てくる(「ワシントン・ポスト電子版」を参照)。

不正の調査

 2020年8月27日、世界銀行経営陣は、Doing Business 2018およびDoing Business 2020におけるデータ不正の報告を発表し、これを受けて、2016年から2020年までのDBレポートのデータ変更のレビューを実施した。その結果が2020年12月、公表された。それによると、DBチームがデータ不正として報告した4カ国に影響する9件の変更を除き、これらのデータ変更は妥当であると結論づけた。

 4カ国は、アゼルバイジャン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)、中国だ(下図を参照)。アゼルバイジャン以外は評価を不正に高めることで、ランキングを引き上げようとしている(UAEは変わらず)。ここでは、とくに七つもランキングを上げることに成功した中国に注目してみよう。

中国のランキングを引き上げるためのデータ不正

 世銀によるレビューを受けて実施されたウィルマーヘイルの報告書では、中国に対する不正が行われた2017年10月31日発表のDoing Business 2018レポートは、「世銀とその指導者にとってきわめて重要な時期に発表された」と指摘されている。「2017年半ばから2018年4月にかけて、世銀の経営陣は、進行中の増資キャンペーンをめぐる微妙な交渉に追われていた」というのである。キム総裁(当時)とゲオルギエヴァCEO(当時)が増資キャンペーンを監督していたが、開発経済担当幹部(当時)によると、「ゲオルギエヴァCEOはこのキャンペーンの成功に夢中になっていたという」と書かれている。

 当時の背景として、ドナルド・トランプ大統領(当時)が掲げる「米国第一主義」の影響で、世銀のような国際金融機関の本来堅持してきた多国間主義が危機に瀕していたという事情がある。加えて、中国政府による国際金融の場での地位向上という露骨な野心が存在した。報告書には、「中国政府の高官は、2017年5月から2018年のDoing Businessサイクルを通じて、Doing Businessレポートにおける中国のランキング(2017年は78位)が同国の経済改革を正確に反映していないとの懸念を、キム総裁をはじめとする世銀高官に繰り返し表明した」とのべられている。

 さらに、「報告書が発表されるまでの1カ月間、中国の高官から世銀のリーダーへの働きかけがDoing Businessにおける中国のランキングをめぐって活発化した」と、報告書は記している。たとえば、キム総裁は2017年9月12日に中国政府高官と協議し、当時の中国担当エグゼクティブ・ディレクター(ED)は9月14日に世銀の東アジア・太平洋(EAP)地域事務所のメンバーと会い、中国のランキングが改善されれば「誰もが安心する」と伝えたという。さらに、①世銀の年次総会の際、別の中国政府高官(当時)が10月13日にEAPの幹部と会い、Doing Business報告書が「中国をよりよく反映する」ことを望むと表明した、②10月14日に同じ中国政府高官がゲオルギエヴァCEOと夕食をともにし、中国の改革が報告書に認められることを「確実に」するために世銀の「責任者」としてのゲオルギエヴァCEOの役割を強調した――といった調査結果も書かれている。

真夜中の会議

 10月11日、開発経済担当のシニアディレクター(当時)は、中国が前年のレポートから七つランキングを下げて85位となった最終的な国別ランキングを含むDoing Business 2018レポートに関する書面によるブリーフィングを送付した。10月16日には、Doing Business担当指導者が最終報告書(中国は85位)を承認し、出版するために印刷会社に報告書を提出することを許可するまでに至る。

 ところが、同日、キム総裁のスタッフは、総裁室のシニアメンバーから中国のランク付けに関するメールを受け取る。中国のランキングの問題を「解決しろ」というものだった。17日の午後12時に、総裁のオフィススイートにある首席補佐官のオフィスで会議が開催される。会議のなかで、「総裁の側近は、報告書における中国の順位をどのように改善するかという問題を提起した」という。これを受けて、18日から中国のランキングを引き上げるためのデータ不正作業が本格化する。同時に、「このとき、ゲオルギエヴァCEOは、中国のランキング向上のための活動に直接関わることになった」と、報告書は指摘している。10月18日の午後、ゲオルギエヴァCEOは、中国担当のカントリーディレクター(当時)らと会合を開き、「ゲオルギエヴァCEOは自分がこの問題を監督していることを表明した」という。そして、ゲオルギエヴァは以前から親しい関係にある、DB開発者の一人、ジャンコフにこの作業を手伝わせたのだ(不正作業の直接的指揮はジャンコフがとっていたとみられ、彼が世銀を2020年3月に辞職すると、同年6月に内部告発がなされた)。

 結局、「起業」、「法的権利 - 信用の獲得」、「納税」の各指標に手を加えることで、中国のスコアが向上することになった。これらの変更により、中国のスコアは上の図にあるように、約1ポイント上昇し、ランキングも85位から七つ上がって78位となったのである。これはDoing Business 2017での順位と同じだ。

 報告書には、つぎのような興味深い記述がある。

 「インタビューのなかで、開発経済担当のシニアディレクターは、Doing Businessのリーダーシップが地政学的配慮のためにデータを特定の方向にプッシュするという『判断』を下したことを最終的に認めた。彼は、ゲオルギエヴァCEOに会いに行った際、彼女から『多国間主義のために少しでも貢献してくれた』と感謝されたと説明した。開発経済担当のシニアディレクターは、この言葉を、世銀の将来を左右する微妙な増資交渉の最中に、中国を怒らせないようにという意味だと解釈した。」

 注意しなければならないのは、ここで長々と紹介したウィルマーヘイルの報告書自体の信憑性である。実は、筆者は当初、この報告書を信頼していたのだが、私淑するノーベル経済学賞受賞者、ジョセフ・スティグリッツが2021年9月27日付で公表した「IMFでのクーデターの試み」という論説を読んで、この報告書への見方を変えた。いろいろな疑義があるからだ。

 スティグリッツは世銀のチーフエコノミストを務めていたこともあり、その内情に通じている。その彼はつぎのように指摘している。

 「ウィルマーヘイル報告書を読み、関係者に直接話を聞き、一連の流れを知っている私には、この調査は『手抜き工事』(a hatchet job)のように思われる。」

 たとえば、2018年にゲオルギエヴァに直属したDBを監督するユニットの責任者、シャンタ・デバラジャンは、「データや結果を変えるように圧力をかけられたことはない」と主張しているという。世銀のスタッフはゲオルギエヴァの指示通りに数字を再確認し、微々たる変更を加えてわずかに上方修正しただけだというのだ。

 この報告書がいかがわしく思えるのは、いまの世銀総裁デビット・マルパスが直接かかわっているとみられるサウジアラビアについて格上げしようとしたというエピソードについては、「世銀のリーダーシップはこの出来事に何の関係もない」と結論づけている点だ。

 どうやら、何が真実かがまったくわからないほど、事態は混迷しているようなのだ。

米国の弱体化という現実 

 この中国の圧力に屈して、DBのデータを改竄したとされる事件の背景を理解するためには、国際金融システムで何年も前から生じている米国の弱体化という現実を理解する必要がある。

2)	FOTOGRIN/shutterstock.com (ドルと中国)FOTOGRIN/shutterstock.com

 第二次世界大戦後の国際金融秩序を維持するために創設されたIMFと世銀は、ともに米国が主導する国際金融機関だ。IMFにおいては、米国一国だけに事実上、拒否権が認められている。IMFでの重要決定はなぜか総議決権数の85%を保有する加盟国の5分の3が同意したときに発効するといった制度になっている。2016年1月26日の理事会改革修正案の発効後の米国の投票権は16.50%だったから、事実上、米国が反対すれば、何も重要な決定はできなくなってしまうのだ。国連の安全保障理事会でさえ、常任理事国五カ国に拒否権が認められているのに対して、IMFでは米国一国の優位が認められているわけだ。

 こんなIMFを米国は身勝手に利用してきた。不都合があれば、拒否できるので、米国政府はIMFのトップをヨーロッパ人に長く委ね、その代わり、世銀の総裁に米国人を就けるという「不文律」ができあがったのである。

 しかし、2012年の世銀総裁を決める際には、すでに米国の影響力が低下している兆候が見られたという(「ワシントン・ポスト電子版」を参照)。米国が指名したキムに対抗して、2人の候補者(しかも優秀な)が立候補したのである。ナイジェリアのンゴジ・オコンジョ・イウェアラ(現在、世界貿易機関[WTO]事務局長の要職に就いている)とコロンビアのホセ・アントニオ・オカンポ(元財務相)だ。途中で、オカンポは立候補を取り下げたが、4月16日の一騎打ちの選挙において辛勝したのはキムだった。

 キムは韓国系の医師であり、ダートマス大学の学長だった。キムを推薦したのは、当時のヒラリー・クリントン国務長官だったとされている。5年の任期を経て、2期目のバラク・オバマ政権のもとで、2016年9月の時点で再任が決定され、2017年7月1日から2期目に入った。

 興味深いのは、キムの1期目は世銀スタッフの削減で評判が悪かったことだ。組織変更や人員削減などの改革を行い、数千人の従業員のやる気を失わせたという(「ニューヨークタイムズ電子版」を参照)。世銀スタッフに嫌われていたキムとの世銀スタッフとの関係が改善されたのは2016年からで、彼の経営責任が元EU委員のクリスタリナ・ゲオルギエヴァに引き継がれ(同年9月には、国連事務総長の次期候補者にもなった)、ゲオルギエヴァは新たに創設されたチーフ・エグゼクティブ(CEO)の役割を2017年1月から担うことになったことと関係している。

ブルガリア出身のゲオルギエヴァ女史

 ゲオルギエヴァは、1953年にブルガリアの首都ソフィアで生まれ、国立の世界経済大学で政治経済学と社会学の修士号、経済科学博士号を取得した。彼女は1993年になって、世銀の環境エコノミストとして公的機関でのキャリアをスタートさせた。世銀には17年間勤務し、持続可能な開発担当局長、ロシア連邦担当局長、環境担当局長、東アジア・太平洋地域の環境・社会開発担当局長など様々な幹部・管理職を歴任した。その後、2008年には副総裁兼官房長に任命された。同職においては、世銀幹部、理事会、出資国の間での対話を調整したという。2014年になって、ジャン=クロード・ユンケル欧州委員会委員長のもとで、予算・人的資源を担当する副委員長として欧州連合(EU)の課題設定を支えたのである。

 不可思議なことが起きる。

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