首相は「成長なくして分配なし」、枝野氏は「分配なくして成長なし」
2021年10月14日
菅義偉首相に代わり、2021年10月4日に新たな内閣総理大臣として就任した岸田文雄首相(自由民主党総裁)は、10月8日に国会で所信表明演説を行った。拙稿〈菅首相と枝野代表が国会で示した国家方針を比較する〉で解説したとおり、就任直後の所信表明演説は「国家方針を示す」ものとなる。
一方、立憲民主党の枝野幸男代表は、10月11日に代表質問を行った。野党第一党の党首による代表質問も、質問という形式を取りつつ、就任直後の場合は「国家方針を示す」演説となる。枝野代表は、昨年10月に新しい立憲民主党の代表として選出され、同月の国会で「国家方針を示す」演説を行った。本来であれば、枝野代表は既に国家方針を示しており、今回の演説は、文字どおりの質問を行っても構わないところであったが、国家方針に基づく具体的な政策を示すことに重点が置かれていた。
つまり、岸田演説は「自民党を中心とする与党ブロックの国家方針」を示し、枝野演説は「立憲民主党を中心とする野党ブロックの国家方針」を示すものとなった。10月31日に投開票が予定されている総選挙を前に、有権者に二つの国家方針の選択肢が示されたわけである。(以下、岸田演説は「朝日新聞」10月9日付朝刊、枝野演説は立憲民主党ホームページから引用した)
岸田首相は、目指す社会ビジョンとして「新しい資本主義」を掲げた。「私が目指すのは、新しい資本主義です。我が国の未来を切り拓くための新しい経済社会のビジョンを示していきます」と述べている。
この「新しい資本主義」は「成長と分配の好循環」と「コロナ後の新しい社会の開拓」を「コンセプト」にし、「成長戦略」と「分配戦略」を「車の両輪」にして実現するという。具体的に読み解いていこう。
まず「成長と分配の好循環」とは「分配なくして次の成長なし」との意味である。「成長の果実を、しっかりと分配することで、初めて次の成長が実現」するという考え方に基づき、「成長も、分配も」の二兎を実現するため「あらゆる政策を総動員」すると述べている。
ポイントは「分配なくして成長なし」でなく、「次の成長なし」と「次の」という言葉が入っていることである。まず、経済を「成長」させ、その「果実」が生まれたら、「しっかりと分配」し、「次の成長」が実現するという意味である。
それでは、分配の前、起点となる「成長」をどうやって実現するのか。それがなければ、分配もないというのが、岸田首相の論理である。
岸田首相は、起点の「成長」をアベノミクスの継承によって実現すると述べている。「最大の目標であるデフレからの脱却を成し遂げます。そして、大胆な金融政策、機動的な財政政策、成長戦略の推進に努めます」と述べてから、「その上で、私が目指すのは、新しい資本主義の実現です」と述べている。つまり「アベノミクス継承による経済成長」→「分配戦略」→「成長戦略」という順番が、岸田首相のいう「成長と分配の好循環」であり、「分配なくして次の成長なし」ということである。
アベノミクス継承による「成長」の次となる「分配戦略」は、労働分配率の向上、子育て支援の強化、ケア労働者の賃金上昇、分配機能を担う財政の単年度主義の弊害是正の4つからなる。具体的には、企業の情報開示の充実、下請取引への監督強化、賃上げ企業への税制支援、大学学費の「出世払い」化、公的価格評価検討委員会の設置等の政策を実施する。一方、財政単年度主義の弊害是正については、具体策を示していない。
「成長戦略」は、科学技術政策の強化、地方のデジタル化の促進、国内生産機能の強化、社会保障の充実の4つからなる。具体的には、研究大学を形成するための10兆円規模のファンド創設、企業の研究開発を促す税制、クリーンエネルギー戦略の策定、地方でのデジタルインフラの整備を進める「デジタル田園都市国家構想」の推進、サプライチェーンの国内化の促進、働き方に中立的な社会保障や全世代型社会保障制度の構築等である。
一方で、岸田首相のいう「新しい資本主義」がどのようなビジョンなのか、説明はない。「我々が子供の頃夢見た、わくわくする未来社会を創ろう」ではないかと呼びかけ、「新しい資本主義実現会議」を設置し、「ビジョンの具体化を進め」ると述べている。
要するに、これから「新しい資本主義」というビジョンを検討すると表明したのである。行先を指し示すことなく、アベノミクス継承等の移動手段だけ明示し、「早く行きたければ一人で進め。遠くまで行きたければ、みんなで進め」と結んでいる。岸田首相は、どこへ向かおうとしているのか。
安倍・菅政権における自民党は「経済的価値を最大化するため、個人重視・支え合い社会を定める憲法を改正し、国家重視・自己責任社会を名実ともに追求する」方針を掲げていた。この点の解説については『論座』拙稿〈「現在の延長線上にある未来」か「もう一つの未来」か――総選挙の最大争点は国家方針の選択だ〉をご覧いただきたい。
岸田首相の国会演説からは、以上のとおり、自民党政権がこれまでの国家方針を転換したのかどうか、直接的に読み取れない。「新しい資本主義」「成長と分配の好循環」「分配なくして次の成長なし」等の新しいスローガンは並べられているが、少なくともその行先、すなわちビジョンについてはこれから検討するとして、明示していないからだ。
ただ、岸田首相が経済成長の実現に強い意志を有していることは、演説から読み取れる。「分配」は「次の成長」を目的として行うのであり、人々の生活を支えることが目的ではない。人々の生活を支えることが手段で、経済成長が目的というのが、岸田首相の考え方である。そのことは、演説の最後で「デジタル、グリーン、人工知能、量子、バイオ、宇宙、新しい時代の種が芽吹き始めています。この萌芽を大きな木に育て、経済を成長させ、その果実を国民全員で享受していく、明るい未来を築こうではありませんか」と呼びかけていることからも明らかである。
よって、岸田首相が少なくとも「経済的価値」の「最大化」を重視していることは明らかといえよう。「新しい資本主義」を実現する「両輪」の「分配戦略」と「成長戦略」は、そのために行うと読み解くことができる。
安倍・菅政権が採用してきた「新自由主義」についても、岸田首相は弊害を指摘しつつ、前政権までの経済政策の課題を示すことなく、アベノミクスを継承するとしている。岸田首相は「新自由主義的な政策については、富めるものと、富まざるものとの深刻な分断を生んだ、といった弊害が指摘されています」と述べつつも、一般論にとどまり、日本の状況を指摘しているわけではない。もし、岸田首相が安倍・菅政権の経済政策に大きな課題があると認識しているならば、それを示した上で、アベノミクスの転換を示すはずだが、そうした認識は示されていない。
新自由主義とは、あらゆる人があらゆる機会を捉えて自己の利益を徹底的に追求することで、富の総量が拡大するという思想で、そのために国家権力を用いることも容認される。そのため、中国のように権威主義的な体制と新自由主義は両立しうるし、特定の企業等が国家と結びついて特殊な利益を得ることとも両立しうる。新自由主義についての専門的な分析は、デヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義―その歴史的展開と現在』(作品社)を参照されたい。
そのため、新自由主義を転換するならば、加計学園問題や菅首相長男の問題、デジタル庁の接待問題等は、真っ先に解明すべき問題となる。これらは、特定の企業等が国家と結びついて特殊な利益を確保しようとした典型的な問題だからだ。これらを見逃すことは「あらゆる人があらゆる機会を捉えて自己の利益を徹底的に追求する」ことを容認するに等しい。すなわち、新自由主義を認めていることになる。
一方、「国家」と「個人」については、どちらを重視するのか、演説から読み取ることは難しい。「多様性が尊重される社会を目指します」という言葉からは、個人重視のように思えるが、同様の言葉は2019年10月4日の安倍首相の演説にも存在する。国家重視の姿勢が明白な安倍首相でも「新しい時代の日本に求められるのは、多様性であります」と演説していたことを踏まえれば、首相演説の定型的な言葉ともいえる。一方、岸田首相は「国民の皆さんとの丁寧な対話を大切」にすると述べながら、多数の沖縄県民が強く反対する米軍辺野古新基地について「移設工事を進めます」と述べ、国家重視の姿勢を示している。また、安倍・菅政権と同じく、憲法改正についての議論を国会に求めている。
そして、岸田演説の全体を見ると、安倍・菅首相によって使われてきた「改革」と「規制緩和」という新自由主義的なキーワードを外して、新たなキーワードを散りばめてはあるものの、政策方針について特段の変更が見られない。経済政策でアベノミクスを継承すると明言していることに加え、外交政策においても政策変更はない。「科学技術立国の実現」をうたっても、日本学術会議の任命問題を解決し、アカデミズムとの関係を改善する姿勢はない。
要するに、岸田演説からは、自民党政権の国家方針を転換する兆しは読み解けない。新自由主義的なキーワードの代わりに、耳目を集めそうな新しいキーワードが並んでいるが、その中身は従来の安倍・菅政権の方針の範囲内にとどまっている。
国家方針転換への秘めたる決意があると仮定して、最大限に行間を読み解いても、せいぜい55年体制時の自民党の国家方針に回帰すると解釈するのが精一杯である。かつての自民党政権の国家方針は「非経済的価値に配慮しつつ、経済的価値を拡大するため、個人重視・支え合い社会をタテマエ(憲法)として残しつつ、国家重視・自己責任社会をホンネ(政策)として追求する」ものであった。岸田首相がそれを目指すならば、一つの考え方ではあろう。
けれども、岸田首相が任命した麻生太郎副総裁、甘利明幹事長、高市早苗政務調査会長という自民党最高幹部体制と合わせて考えれば、それはないだろう。彼ら・彼女らは、安倍・菅政権の国家方針を中心になって推進してきた。そのことと、中身の乏しい新たなキーワードを合わせて考えれば、岸田演説が安倍・菅政権からの国家方針の転換を示しているとは認識しがたい。
枝野代表は、昨年10月の国会演説に引き続き、公助を優先し、支え合いを重視する国家方針に転換すると再び示した。枝野代表は「競争ばかりをあおり、「自己責任」を強調しすぎた、これまでの政治」「誰も取り残されない社会をつくる」「命と暮らしを最優先する政治へ。イザというときに頼りなる政治へ。そして支え合い、分かち合う社会へ」と述べた。
経済政策については「分配なくして成長なし」と、先に「分配」することを明確にした。枝野演説は「公的な支え合いの強化によって将来の不安を小さくし、格差を縮小して貧困を減らすことで、消費の拡大による経済成長を実現」するとしている。
つまり、岸田首相の「先に経済成長」という方針と、枝野代表の「先に分配」という方針が、真っ向から対立するかたちになった。実際、
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