刑法改正、同性婚、原発……各国の「民主制実践」の取り組み
2021年10月14日
「イニシアティブ制度による政治参加を(下)」では、スイスやイタリアなど、「国民発議・国民拒否」といった制度を整え、これを活用している諸外国の実施事例や発議に必要な要件など基本的なルールについて紹介する。
(上)で説明した通り、「国民発議」は、憲法や法律の制定・改廃、国際条約の批准・廃棄などについて、国民の発議権を認めるもので、賛否を問う国民投票を実施するのが一般的だが、EUの「欧州市民 イニシアティブ」やフィンランドの「アジェンダ イニシアティブ」のように、市民が発議した事柄を国民投票にかけず、議会が審議して採否を決める場合もある。
「国民拒否」は、厳密にいうと”initiative”ではなく”popular veto”あるいは”veto referendum”と呼ばれるもので、スイスの制度においては”referendum”の一つとして分類されている。
いずれにせよ、政府および議会の行なった行政や立法について、主権者・国民の側がそれを撤回、廃止すべしという請求をするのが一般的だ。規定の連署を添えて請求すれば、自動的にあるいは政府や議会が請求を拒んだ場合に、賛否を問う国民投票が行われる。
制度の細かな内容を解説してあとで事例を紹介するのが定石だが、ここでは読者の皆さんに興味を持って読み進んでもらえるよう、先にさまざまな事例紹介を行い、制度内容はその紹介の中で触れることにする。
スイスでは「禁酒」「連邦軍廃止」「戦闘機購入撤回」「ベーシックインカム導入」などさまざまな問題をテーマとして、これまでに国レベルだけで400件を超す国民発議や国民拒否が行われており、自治体での請求・発議を加えると総数は万単位となる。
その夥しい事例の中で、ここでは性犯罪の被害者家族が行なった「刑法改正」を求める国民発議について紹介したい。
性犯罪については日本でも深刻な問題となっており、先日も上川陽子法相が、性犯罪を処罰する対象範囲を拡大するか否かについて法制審議会に諮問し、被害者の救済につながる法制度の見直しについて言及している。こうした法改正を望む性犯罪の被害者は少なくないが、日本では改正案を自身で国会に提案・発議することはできず、議員や政府に強く訴えるしかない。
だが、スイスでは市民が自ら法律の改正案を作って18カ月以内に10万筆以上の賛同署名を獲得すれば、国民発議が成立する。そのイニシアティブに挑戦したある性被害者の家族の事例を紹介する。
アニタさんはサンクト・ガレン州にあるブッフスという町で娘さんと共に暮らしている。その娘さんが、刑務所から釈放された直後の性犯罪者に襲われ、強姦されたあと首を絞められ殺されかけた。この事件は1996年の2月に起き、娘さんは当時13歳。5日後に捕まった犯人は4年前にも同様の罪を犯していた。
スイスではその後もこうした再犯事件が後を絶たず、4年後、アニタさんは娘とも相談したうえで、刑務所内にいる性犯罪者が容易に釈放されないよう刑法を改める国民発議を行うことを決意し、姉ドリスの協力を得て賛同者を募った。
アニタさんは自ら発議団体の長となり、自宅に電話やFAX、パソコンを据えて署名収集運動を始めたものの、政党や労働組合など大きな組織の支援をまったく受けていないので、人的にも資金的にもとても貧しく、10万筆(有権者の約2%)以上の署名を集めるのは困難を極めた。
「発議団体のスタッフは私や姉を入れて5人だけ。署名簿の印刷にかかる費用を捻出しようと家族でロウソクを売り歩いたりもしました」と語るアニタさんに、刑法を改めようと考えたのはなぜなのか訊いてみた。
「大勢の子供が私の娘のように性犯罪の犠牲になっています。被害者家族同士の交流を重ねるうちに、私たちは現行の法律に欠陥があると考えました。犯罪者は捕まった後、年に一度、医師の鑑定を受け『改心し矯正した』と判定されると刑期途中で釈放されるのですが、娘を襲った男を含め釈放された人間が犯罪を繰り返す事例が増えています。私たちは『治癒不可能な極めて危険な性的暴力的犯罪者については刑期途中で釈放せず拘禁し続け、必要なら終身刑とする』よう求めたのです」
1年半にわたり苦労して署名を集め発議にたどり着いたものの、発議後は人権擁護団体から猛烈な抗議が届くし、専門家による論調も刑法改正に批判的。そして新聞の世論調査では「改正反対」が多数を占めた。アニタさん家族は意気消沈。だが、投票結果は意外なものになった。
投票率 45.53% 賛成 56.19% 反対 43.81%
アニタさん姉妹らが発議した刑法改正案は、スイス国民の賛同を得て可決・成立したのだ。
この改正内容に関する意見はいろいろあるだろう。ただ、この事例では、カネも組織もない普通の市民が法律の改正発議ができるという制度の実効性を理解してほしい。
ただただ議員や政府にお願いするしかない日本とは異なり、情熱を持ち時間と労力を費やせばここまでできることのすごさ。実効性を伴う市民の政治参加というのは、こうした制度が備わることによって保障されるのだ。
イタリアではカトリック教会の強い影響を受け、長らくの間、離婚が法的に認められることはなかった。だが、1960年代以降、離婚や人工妊娠中絶の合法化を切望する人々が急速に増え、フェミニズムのグループや社会、共産両党が動いた結果、国会は1970年12月に「婚姻解消の諸々の規律(離婚法)」を制定。離婚をなすための法制度を初めて導入した。また、その翌年には避妊薬ピルの使用が法的に認められ、1978年には「中絶」に関しても合法化された。
これに反発したのがカトリック教会やキリスト教民主党だった。彼らは離婚法を葬るべく、憲法75条※で認められている「法律廃止を求める権利」を行使。規定の50万筆を超す642,205筆の請求署名を集め、「離婚法を廃止するか否か」(つまり以前のように離婚を非合法とするか否か)を問う国民投票に持ち込んだ(1974年5月13日実施)。
※イタリア共和国憲法 第2節 法律の制定 第75条
50万人以上の有権者あるいは5つ以上の州議会が、法律あるいは法律の効力をもつ行為のすべてまたは一部の廃止を求める場合は、それを決めるために国民投票が実施されると規定し、イニシアティブの権利を認めている。ただし、第2項で「租税及び予算、大赦及び減刑、条約批准」に関する法律については廃止を請求できないとしている。
【投票結果】設問は「離婚法の廃止に賛成しますか?」
投票総数 33,023,179(投票率87.72%)
有効票 32,295,858
賛成票 13,157,558(40.74%)
反対票 19,138,300(59.26%)
教会の信徒に対する強烈な締め付けにもかかわらず「賛成票少数」となり、離婚が再び非合法とはならなかった。ただし、1970年の法律では離婚手続きが極めて煩雑で容易には離婚ができず、法的な手続きを済ませることなく新たなパートナーと暮らし始める人が多かった。それは形の上ではいわゆる不倫関係となり、問題を解決すべく2015年に離婚法が改正され、手続きが比較的容易になった。
イタリア政府は1985年までに原子力発電所を10地点で建設するなど、原子力開発に重点を置いた政策を打ち出したが、1986年のチェルノブイリ原発事故をきっかけに「建設不可」となり稼働可能な3基も運転を停止した。
そして、それに追い打ちをかけるように、環境保護グループが中心となり原発設置自治体への交付金を認める法律の廃止を求める運動を起こした。では、彼らはなぜ原発の建設や運転の禁止を求めずに、交付金の廃止などを求めたのか。
前述のとおり、イタリアの国民拒否の制度は、既存の法律の「廃止」を求めてその是非を国民投票かける制度になっている。なので、原発建設を禁じる法律の「制定」を求めることはできない。だが、交付金制度などを廃止すれば、自ずと新規の原発建設や稼働は事実上できなくなる。
こうした流れの中で、原発に関わる件が3つ。刑法、司法に関する件が一つずつ。計5つの問題について1987年11月8、9日の両日に国民投票が行われることになった。ここでは原発に関するものだけを紹介する。
➀ 原発立地候補自治体が一定期間に受け入れ見解を表明しない場合にはイタリア政府は地方自治体の承認がなくてもどこの地域にも原発を建設できる権限を定めた現行法を廃止することを望むか?
② 同様に、原発や火力発電所などを受け入れる基礎自治体や州にイタリア政府が交付金を供与するという現行法を廃止することを望むか?
③ イタリアが国外での原発建設に参加することを認める現行法を廃止することを望むか?
【投票結果】
投票率65.12%前後(案件によって投票率が異なる)
➀「現行法の廃止=政府の原発建設権限を認めない」
賛成80.57% 反対19.43%
②「現行法の廃止=立地先への交付金の供与を認めない」
賛成79.71% 反対20.29%
③「現行法の廃止=国外での原発建設を認めない」
賛成71.86% 反対28.14%
このように、いずれも賛成票が圧倒的多数となり、国民の「脱原発」の意思は、政府にエネルギー政策の転換を迫ることになった。
1987年のイニシアティブ成功により、イタリアの原子力計画は大幅に縮小されたものの、深刻なエネルギー不足に陥り、原発を稼働させているスイス、フランスなどから電力を買い入れることになる。そしてイタリアの電気料金は高騰。
こうした状況の中、政権を握ったシルヴィオ・ベルルスコーニは、「イタリアにおける原子力エネルギーの再活性化促進」を法制化するなど、明確に原発再開を宣言した。そして2009年には、原発立地先を確保するために、政府が自治体の同意を得なくても立地・建設・運転を決定でき、原発受け入れ自治体の市民は「補償」を受けられることを法制化した。つまり、1987年の国民投票で決まったことをすべてひっくり返そうと考えたのだ。
市民グループ「市民防衛運動」はこうした原発再開の動きに強く反発し、1987年同様、憲法75条で認められた法律廃止を請求する権利を再び行使。2010年5月1日から7月末日までに75万筆の署名を集めた。
その結果、憲法裁判所は2011年1月、「原発再開」のために国会が制定した複数の法律を廃止するか否かを問う国民投票を、6月中旬までに実施することを命じる判決を下した。
ところが、その決定の2カ月後に日本で起きた東京福島第1原発の事故により反原発の世論が急速に高まると、ベルルスコーニ政権は負ける可能性が高い国民投票の実施を延期し、確実に勝てる次の機会を探ろうとしていた。だが、イタリア最高裁は「原発再開をなすための諸法の廃止の是非を問う国民投票を、当初の予定通り6月12,13日に実施すべきだ」という判断を示した。
【投票結果】
投票率 54.79% (27,624,922票)
賛 成 94.05% (25,643,652票)
反 対 5.95% (1,622,090票)
結果は予想通り脱原発派の圧勝となった。これを受けてベルススコーニ首相は記者会見を開き「我々は原子力発電とサヨナラすることになった」と発言。彼の政権下で制定した原発再開をなすための諸法はすべて廃止となった。
イタリアでの国民拒否の3つの事例を紹介したが、おそらく、大方の読者は「原発」の事例については肯定的に受け止め、「離婚の非合法化」に関しては否定的にとらえたのではないだろうか。カトリック教会は国民拒否の制度を使って人権を損ねるような運動を起こしたと。信者でない人がそう考えるのはわかるが、だからといって保守派や教会にはこの制度を使わせるなとか、制度自体を否定するなんてことはやめてほしい。
東京都知事選挙で自分が支持する人物が勝つなら選挙で知事を選ぶことを認めるが、負ける可能性が高いのなら選挙そのものの実施を認めないという考えが間違っているのと同じで、国民拒否や国民発議という制度もあらゆる人が公平に活用できて当たり前なのだ。
同性婚については、同性婚を認める世界的な流れに危機感を覚えた反対陣営の人々が国民発議や国民拒否の制度を活用する事例がいくつもある。
例えば、
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