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法律の改正や廃止を国民が自ら発議し自ら決める~イニシアティブ制度による政治参加を(下)

刑法改正、同性婚、原発……各国の「民主制実践」の取り組み

今井 一 ジャーナリスト・[国民投票/住民投票]情報室事務局長

 「イニシアティブ制度による政治参加を(下)」では、スイスやイタリアなど、「国民発議・国民拒否」といった制度を整え、これを活用している諸外国の実施事例や発議に必要な要件など基本的なルールについて紹介する。

 (上)で説明した通り、「国民発議」は、憲法や法律の制定・改廃、国際条約の批准・廃棄などについて、国民の発議権を認めるもので、賛否を問う国民投票を実施するのが一般的だが、EUの「欧州市民 イニシアティブ」やフィンランドの「アジェンダ イニシアティブ」のように、市民が発議した事柄を国民投票にかけず、議会が審議して採否を決める場合もある。

 「国民拒否」は、厳密にいうと”initiative”ではなく”popular veto”あるいは”veto referendum”と呼ばれるもので、スイスの制度においては”referendum”の一つとして分類されている。

 いずれにせよ、政府および議会の行なった行政や立法について、主権者・国民の側がそれを撤回、廃止すべしという請求をするのが一般的だ。規定の連署を添えて請求すれば、自動的にあるいは政府や議会が請求を拒んだ場合に、賛否を問う国民投票が行われる。

 制度の細かな内容を解説してあとで事例を紹介するのが定石だが、ここでは読者の皆さんに興味を持って読み進んでもらえるよう、先にさまざまな事例紹介を行い、制度内容はその紹介の中で触れることにする。

400件超の実施事例があるスイス

 スイスでは「禁酒」「連邦軍廃止」「戦闘機購入撤回」「ベーシックインカム導入」などさまざまな問題をテーマとして、これまでに国レベルだけで400件を超す国民発議や国民拒否が行われており、自治体での請求・発議を加えると総数は万単位となる。

 その夥しい事例の中で、ここでは性犯罪の被害者家族が行なった「刑法改正」を求める国民発議について紹介したい。

 性犯罪については日本でも深刻な問題となっており、先日も上川陽子法相が、性犯罪を処罰する対象範囲を拡大するか否かについて法制審議会に諮問し、被害者の救済につながる法制度の見直しについて言及している。こうした法改正を望む性犯罪の被害者は少なくないが、日本では改正案を自身で国会に提案・発議することはできず、議員や政府に強く訴えるしかない。

 だが、スイスでは市民が自ら法律の改正案を作って18カ月以内に10万筆以上の賛同署名を獲得すれば、国民発議が成立する。そのイニシアティブに挑戦したある性被害者の家族の事例を紹介する。

 アニタさんはサンクト・ガレン州にあるブッフスという町で娘さんと共に暮らしている。その娘さんが、刑務所から釈放された直後の性犯罪者に襲われ、強姦されたあと首を絞められ殺されかけた。この事件は1996年の2月に起き、娘さんは当時13歳。5日後に捕まった犯人は4年前にも同様の罪を犯していた。

 スイスではその後もこうした再犯事件が後を絶たず、4年後、アニタさんは娘とも相談したうえで、刑務所内にいる性犯罪者が容易に釈放されないよう刑法を改める国民発議を行うことを決意し、姉ドリスの協力を得て賛同者を募った。

国民発議を行なった被害女性の母・アニタさん(左)とその姉のドリスさん。手にしているのは、娘が襲われた事件現場の写真を載せた自作のリーフレット=筆者撮影拡大国民発議を行なった被害女性の母・アニタさん(左)とその姉のドリスさん。手にしているのは、娘が襲われた事件現場の写真を載せた自作のリーフレット=筆者撮影
ほとんどの有権者は事前の郵便投票を使い、投票所に足を運ぶ人はわずか。投開票日の正午には締め切りとなる。チューリヒ市内の投票所で=筆者撮影拡大ほとんどの有権者は事前の郵便投票を使い、投票所に足を運ぶ人はわずか。投開票日の正午には締め切りとなる。チューリヒ市内の投票所で=筆者撮影

 アニタさんは自ら発議団体の長となり、自宅に電話やFAX、パソコンを据えて署名収集運動を始めたものの、政党や労働組合など大きな組織の支援をまったく受けていないので、人的にも資金的にもとても貧しく、10万筆(有権者の約2%)以上の署名を集めるのは困難を極めた。

 「発議団体のスタッフは私や姉を入れて5人だけ。署名簿の印刷にかかる費用を捻出しようと家族でロウソクを売り歩いたりもしました」と語るアニタさんに、刑法を改めようと考えたのはなぜなのか訊いてみた。

 「大勢の子供が私の娘のように性犯罪の犠牲になっています。被害者家族同士の交流を重ねるうちに、私たちは現行の法律に欠陥があると考えました。犯罪者は捕まった後、年に一度、医師の鑑定を受け『改心し矯正した』と判定されると刑期途中で釈放されるのですが、娘を襲った男を含め釈放された人間が犯罪を繰り返す事例が増えています。私たちは『治癒不可能な極めて危険な性的暴力的犯罪者については刑期途中で釈放せず拘禁し続け、必要なら終身刑とする』よう求めたのです」

 1年半にわたり苦労して署名を集め発議にたどり着いたものの、発議後は人権擁護団体から猛烈な抗議が届くし、専門家による論調も刑法改正に批判的。そして新聞の世論調査では「改正反対」が多数を占めた。アニタさん家族は意気消沈。だが、投票結果は意外なものになった。

 投票率 45.53% 賛成 56.19% 反対 43.81%

 アニタさん姉妹らが発議した刑法改正案は、スイス国民の賛同を得て可決・成立したのだ。

 この改正内容に関する意見はいろいろあるだろう。ただ、この事例では、カネも組織もない普通の市民が法律の改正発議ができるという制度の実効性を理解してほしい。

 ただただ議員や政府にお願いするしかない日本とは異なり、情熱を持ち時間と労力を費やせばここまでできることのすごさ。実効性を伴う市民の政治参加というのは、こうした制度が備わることによって保障されるのだ。

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筆者

今井 一

今井 一(いまい・はじめ) ジャーナリスト・[国民投票/住民投票]情報室事務局長

 1991年以降、ソ連、ロシア、スイス、フランス、イギリスなどで国民投票の取材を重ね、国内では新潟県巻町、名護市、徳島市など各地で実施された住民投票を精力的に取材。2006年~07年には、衆参各院の憲法調査特別委員会に参考人及び公述人として招致され、国民投票のあるべきルールについて陳述する。著書に『CZEŚĆ!(チェシチ)──うねるポーランドへ』(朝日新聞社)、『住民投票』(岩波書店)、『「憲法9条」国民投票』(集英社)、『国民投票の総て』、『住民投票の総て』(ともに[国民投票/住民投票]情報室)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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