「投票に行こう」の時代は終わった。「私たち」の政府を創る社会へ
2021年10月16日
10月14日、衆議院が解散された。この1カ月あまり、メディアは多くの時間を自民党の総裁選と組閣人事に割き、いったいどれほどの需要があるのかわからないが、総裁候補者の好物や受験の失敗歴までもご丁寧に紹介してきた。
対する野党については、統一候補の調整をめぐるドタバタが目に付く程度といったら言いすぎだろうか。メディアでは必ずしも十分には扱われていない野党共通政策や野党共闘を題材に、その意義と課題について考えてみたい。
9月8日、立憲民主党、日本共産党、社民党、れいわ新選組の4党は、野党共通政策に合意した。
この合意に際しては、安保法制をきっかけに結成された市民連合がとりまとめに尽力した経過があり、市民の側から各政党に対して提言という形で共通政策を提起したことも、政党と市民の関係を考えるうえでは意義深い。
合意された内容は、①憲法に基づく政治の回復、②科学的知見に基づく新型コロナウイルス対策の強化、③格差と貧困を是正する、④地球環境を守るエネルギー転換と地域分散型経済システムへの移行、⑤ジェンダー視点に基づいた自由で公平な社会の実現、⑥権力の私物化を許さず、公平で透明な行政を実現する、という6分野にわたっている(全文は、こちらから)。
抽象的な表現にとどまるものもあるが、安保法制の廃止、辺野古新基地建設の中止、消費税減税、原発のない脱炭素社会の追求、選択的夫婦別姓やLGBT平等法の成立、議員間男女同数化(パリテ)推進、森友・加計学園や桜を見る会などの真相究明など、この間の安倍・菅政権との差異化が図られており、目指そうとする方向性についても一定程度示されている。
とはいえ、全ての政策が網羅されているわけではない。
たとえば、原発に関していえば、福島原発事故によって生じた汚染水の海洋放出について反対するのかどうかは明らかではなく、本年3月に水戸地裁が避難計画の不備を理由に東海第二原発の運転差し止めを命じる判決を言い渡したが、避難計画を新規制基準に取り込むべきと考えているのかも明らかではない。
あるいは、沖縄に関していえば、辺野古新基地建設については中止とされたが、南西諸島での自衛隊配備については触れられておらず、米軍基地から生じているPFASの処理についても触れられてはいない。
防衛費についても、10年連続で過去最高を更新し続けているが、これを削減する方向で見直すのかも明確ではない。外国人労働者や入管、文化政策、歴史認識など、扱われていない分野も散見されるところではある。
しかし、足りないところを指摘し不十分だとするのは、今回の合意の意義を見誤ったものである。
むしろ、新自由主義やアベノミクスなどによって拡大した格差の是正や、権力の私物化とも称されてきた政権運営の透明化・健全化、家制度的な旧来の価値観からの解放や多様性など、重要な分野で政権与党との対抗軸を示したものと評価すべきである。
なにより、基本的人権や自由、民主主義、平等といった大原則とされるべき価値観――憲法観といってもいいだろう――について、近接した政党同士が協力し、明確に異なる政党との間での対立という構図は、何をめぐる選択なのかをより鮮明にしている。
さらに、9月30日には、立憲民主党と日本共産党が政権のありかたについて協議し、①総選挙で自公政権を倒し、新しい政治を実現する、②「新政権」において、野党共通政策を着実に推進するため協力し、日本共産党は、合意した政策を実現する範囲での限定的な閣外からの協力とする、③両党で候補者を一本化した選挙区について、小選挙区での勝利を目指すことで合意した。
政策の違いは違いとして尊重しつつ、一致する範囲で政策の実現を目指すという、連立政権や連合政権の実践は、一党一派のレベルを超えて、日本の民主主義にとっても重要な意義を有するものであり、将来において振り返った際、「一つの画期となった」と評価される合意ではないかと思う。
こうした反発は、立憲民主党や日本共産党にとっては織り込み済みだったのであろうか、立憲民主党は「連合に迷惑はかけない」と多くを語らず、日本共産党も強い反応は示していない。
そして、連合の反発に道理があるのかといえば、複数にわたる分野や政策で一致しているにもかかわらず、日本共産党を抜きにして政権交代を実現する現実的な展望をどう描くのかが全く不明であり、「政策をねじ込もうとする」という点も、政策が野党共闘の枠内のものであれば、誰が最初に言い出したのかはたいした問題ではないはずであって、ねじ込むといった表現には大人げない印象を覚える。
政権交代を目指すというのが野党共闘の一丁目一番地という現下の情勢をふまえたとき、連合の行動はそれを促進させる方向のものなのか大いに疑問である。
むしろ、日本共産党への偏見や反共意識が前時代的なものとなり、国会内外での日本共産党の活動がSNSなども通じて身近なものとなりつつある今日、市民の側が、日本共産党をパートナーとして政権のありかたを構想することについて、これを受容し、野党としての政権構想のスタンダードになるのかという点は大変注目されるところである。
当面、立憲民主党が単独では与党になるだけの支持を集められないという状況が続くことを前提にすれば、日本共産党を加えた形での政権のありかたをどう構想し、深めていくのかというのは、野党共闘のありかたそのものにかかわる問題でもある。
そして、構想を深化させる際、そのカギを握るのは、各政党というよりは、市民の側の意思なのではないかと考えられる。
立憲民主党と日本共産党を中心とした野党共闘が政権与党の対抗軸になるという状況は、政権交代への現実的な道筋を開くものであり、そうした政権交代の可能性は、与党の政権運営に緊張感をもたらし、権力の私物化など一強政治がもたらす弊害を是正する契機となるものである。
この効果は、与党支持者にも及ぶものであるから、野党支持者だけかかわるものではなく、国民全体にとって有益なものといえる。政権交代がありうるという緊張関係が常態化する――このことによって生ずるメリットは小さくない。
具体的には、1つには、市民の側が、野党第一党である立憲民主党をどうコントロールできるかということだろう。
立憲民主党が、自党の伸長のみならず、野党全体の伸長に配慮し、共闘の発展の見地に立ち続けられるかは、市民によるチェックと批判なしには成り立たない。政権を担いうる政党として育てるという観点が、市民の側にはさらに必要だということになるだろう。
もう1つには、野党共闘に市民がよりコミットすべきだということである。
野党共通政策の合意に関しては、市民連合の尽力などがあったが、たとえば野党統一候補の調整や、選挙後の政党間での政策合意などについて、政党間の協議だけではなかなか見えづらい部分もあり、こうしたことが市民の側の不信を招くこともありうる。可能な限り可視化させ、市民連合にとどまらず、多くの市民や団体との定期的な協議が必要なのではなかろうか。野党共闘と市民の側の常設的なテーブルが求められているように思われる。
きたる総選挙(10月19日公示、31日投開票)では、安倍・菅政権を継承する岸田政権と、立憲民主党と日本共産党を中心とする野党共闘との一騎打ちというのが、基本的な構図となる。
その本質的な違いがどこに存するのか
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください