中国脅威論のいま必要なのは冷静な議論~日中国交正常化に尽力した大平正芳氏に学ぶ
2021年10月20日
衆院選が10月19日、公示された。岸田文雄政権が発足して1カ月もたたないうちの、あわただしい選挙だ。
日本では国政選挙であっても、外交が争点になることは稀だ。だが、隣国中国の異形ともいえる強大国化が日本人の心理を揺さぶり、脅威論は広まり続ける。あってはならない「台湾有事」がしきりに語られる今だからこそ、今回の選挙戦では、与野党ともに中国にどう向き合うかを冷静に論じてほしい。そして、それは台湾との関係の描き方を探ることにもなる。
岸田政権の発足に伴い、新聞各紙はいつものように内外の識者談話を掲載した。私が注目したのは、10月5日付け日本経済新聞朝刊に載った旧知の廉徳瑰・上海外国語大学教授の「バランスとれた対中政策に期待」だ。談話の一部を引用する。
岸田氏は日中国交正常化を実現した大平正芳外相(当時)が率いた宏池会の流れをくむ。福田達夫自民党総務会長も日中関係に深く関わった祖父と父をもつ。要所にこうした人材を起用し、日中関係がこれ以上悪くなる可能性は小さい。
中国の識者が外国メディアの取材を受けて発言する場合、共産党の考えから離れることはできない。ふつうは事前に党委員会や職場の取材許可が必要だ。だが、私の知る限り、廉氏は取材依頼に即答できる学者だ。当局から信頼されているからだろう。
とはいえ、その公式発言は党の路線を逸脱するものではない。だから、「日中関係がこれ以上悪くなる可能性は小さい」という見方は、個人的見解にとどまらず党内ではかなり共有されていると思う。
日中関係の「井戸を掘った」人物を中国人は評価する。中国報道に携わってきた私が中国側から聞いてきた評価のなかで、大平氏は関係正常化当時の田中角栄首相と並ぶ、あるいは上回る日中関係の貢献者だ。それは、外相時代に国交正常化と台湾断交、首相になって訪中と華国鋒首相の来日を実現させたのが主な原因だ。なかでも台湾問題に対する一貫した態度は評価されている。
中国が日本との関係正常化で重視したのは、日本の戦争責任に関わる歴史認識と台湾問題だった。戦争責任は当然のことだが、台湾は日本が日清戦争勝利で獲得、統治した歴史的経緯があるだけに、中国側としては1ミリも譲ることは難しい問題だった。
日本は、中国共産党との内戦に敗れて台湾に逃れた中国国民党率いる中華民国と外交関係を結んでいた。中国大陸侵略の反省から1949年建国の中華人民共和国との国交を望む声はあったが、冷戦下、米国の庇護にある日本は台湾と外交関係を維持せざるを得なかった。
ところが、中華人民共和国に対する国際的な承認が広がり、北京が「敵の敵は味方」と、モスクワと鋭く対立していたワシントンに接近したことが、東京を動かした。1971年に中国が国連に席を得て、台湾が脱退。ニクソン米大統領が翌年に中国訪問。日本が中国との関係を正常化する外部環境が急速に整ったのだった。
中華民国が中国を代表するという立場を譲らない蒋介石の台湾は、もちろん日中接近に反対した。また、日本国内には戦勝国だった中華民国が日本に対する賠償を放棄したことに恩義を感じる勢力は根強く、共産主義中国への嫌悪感も少なくなかった。このような状況下で田中首相、大平外相は日中正常化に挑んだが、台湾問題の処理は主に大平氏が担った。
大平氏は日中戦争時に官僚として中国大陸に駐在した経験がある。日中正常化交渉の中国側通訳を務めた知人の話では、大平氏は「戦争が中国国民にとって何を意味したか、私にわからないはずがない」などと、中国側要人に率直に語ったこともある。
大平氏は中国との交渉のために、1972年9月25日に田中首相らと中国に向かう。出発まで日中正常化に反対する勢力からの批判が絶えず、安全確保のため大平外相は前日から羽田空港近くのホテルに宿泊するなど、大平氏が「命がけ」で交渉に臨んだことをうかがわせる証言がいくつか残る。
交渉経過は省くが、72年9月29日に北京で署名・発表された「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」(日中共同声明)には、台湾問題について次のように記されている。
中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。
大平氏は記者会見で、「日中関係正常化の結果として、日華平和条約はその存在意義を失い、同条約は終了したと認められるというのが日本政府の見解である」話し、台湾との断交を宣言した。
そんな大平氏に対して、交渉相手の周恩来首相は「誠実で嘘を言わない、言葉使いはあまりうまくないが、内秀で博学である。誠心誠意田中を補佐し、大平あっての田中であり、大平あっての中日国交回復である」(『日本人の中の周恩来』)と語ったという。
大平氏は『私の履歴書』(日本経済新聞社)で、「私はまず、戦後におけるサンフランシスコ平和条約の締結に比肩するこの重大な外交案件が、平穏裡に処理されたことを喜ぶものである。また日中共同声明によって敷設された軌道の上に、その後の両国の関係が、これまた平穏裡にかつ着実に進展していることをうれしく思っている」と振り返っている。
大平氏の業績は、日中正常化に向けた内外の環境が急速に整ったことが背景にある。しかし、大平氏に近かった中国大使経験者は「政治の中枢にいる人が明確なビジョンがなければ、いくら内外情勢が動いても成り立たない」と指摘する。まったく同感だ。
日中共同声明の後も、日中間では三つの重要文書が交わされている。
一つ目は、1978年8月12日署名の「日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約」(日中平和友好条約)だ。その第一条は、「1 両締約国は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に、両国間の恒久的な平和友好関係を発展させるものとする。2 両締約国は、前記の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し及び武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する」と平和構築を誓った。
二つ目は、1998年11月26日発表の「平和と発展のための友好協力パートナーシップの構築に関する日中共同宣言」(日中共同宣言)。「日中共同声明及び日中平和友好条約の諸原則を遵守することを改めて表明し、上記の文書は今後とも両国関係の最も重要な基礎であることを確認した」としたうえで、歴史認識については、「双方は、過去を直視し歴史を正しく認識することが、日中関係を発展させる重要な基礎であると考える。日本側は、1972年の日中共同声明及び1995年8月15日の内閣総理大臣談話を遵守し、過去の一時期の中国への侵略によって中国国民に多大な災難と損害を与えた責任を痛感し、これに対し深い反省を表明した。中国側は、日本側が歴史の教訓に学び、平和発展の道を堅持することを希望する」とした。
また、台湾問題については、「日本側は、日本が日中共同声明の中で表明した台湾問題に関する立場を引き続き遵守し、改めて中国は一つであるとの認識を表明する。日本は、引き続き台湾と民間及び地域的な往来を維持する」と明記した。
三つ目は、直近の2008年5月7日署名の「『戦略的互恵関係』の包括的推進に関する日中共同声明」(日中共同声明)。日中共同声明を含めたそれまでの三つ文書について、「日中関係を安定的に発展させ、未来を切り開く政治的基礎であることを改めて表明し、三つの文書の諸原則を引き続き遵守することを確認した」とし、台湾問題については、「日本側は、日中共同声明において表明した立場を引き続き堅持する旨改めて表明した」としている。
この声明では様々な協力がうたわれたが、「共に努力して、東シナ海を平和・協力・友好の海とする」というくだりが印象に残った。尖閣諸島をめぐる日中の対立に嫌な疲れ方をしてきた当時の私は、勤務していた北京でこの声明を知った。心底、「そういう海になれば」と思ったのを覚えている。
以上の四つの文書を、中国側は首脳会談などで必ずといっていいほど持ち出してくる。
岸田首相は就任から間もない10月8日、習近平国家主席と電話会談した。首相は会談後、記者団に次のように述べている。
「両国間の懸案を率直に提起いたしました。その上で、こうした問題も含めて今後、対話を重ねていきたい旨、伝えました。また、習主席との間で北朝鮮を含め様々な共通の諸課題について協力していくことで一致いたしました。そして、こうした考えに立って私から国交正常化50周年に当たる来年を契機に建設的かつ安定的な日中関係を共に構築していかなければならない旨述べました」。
「日中両国の間には、隣国であるがゆえに様々な問題もありますが、主張すべきは当然しっかりと主張しながら本日の会談も踏まえ、今後とも習主席と率直に議論していきたいと考えています」。
そこに四つの文書についての言及はないが、中国国営新華社通信によれば、習氏は「四つの政治文書で確立した原則の遵守」や「歴史や台湾などの敏感な問題の適切な処理」を強調している。
中国の軍事増強や台湾に対する威嚇などを見るにつけ、四つの文書を逆に突き付けたい気になる。
一方、自民党総裁選に立候補した岸田、河野太郎、高市早苗、野田聖子の4氏が、いずれも台湾の環太平洋経済連携協定(TPP)への加盟申請を支援や歓迎する考えを示すなど、日台関係は発展を続けている。日中の上記の歴史を踏まえれば、中国は見過ごせないところだ。
しかし、台湾は日本と断交した1972年とはまったく違う存在となった。国民党独裁で戒厳令を敷かれ、住民を苛烈に弾圧されていたかつての状況から、徐々に民主化が進み、1996年には総統直接選挙も実現。平和的な政権交代を経て、台湾の民主主義は今や中国以外の多くの国から賞賛されている。そんな台湾が強面の中国より人気を集めても不思議ではない。
だからこそ、コロナ禍のなかでも台湾の世界保健機関(WHO)年次総会への参加について、日米などは支持した。しかし、中国の「台湾の真の目的は、独立にある。断固反対する」という強い立場もあって実現しなかった。
こんな中国の頑なな態度には、正直うんざりする。確かに、歴史を振り返れば、中国に台湾問題での妥協を求めても望み薄だろう。とはいえ、台湾を植民地支配した日本としては、民主主義台湾の住民を蔑ろにするわけにはいかない。
台湾問題を解決するのは極めて難しい。日中交渉で大平氏が「命がけ」で出し尽くした以上の知恵と力が必要だろう。「台湾有事」は決してあってはならない。防衛的な備えが必要なのは当然だが、同時に外交を尽くすべきであることも言うまでもない。
日中関係を思うとき、私がいつも読み返すのは、首相になった大平氏が1979年12月7日、訪問先の北京でおこなった講演、「新世紀をめざす日中関係――深さと広がりを求めて」だ。
この講演は、中国で初めてテレビ、ラジオで全国中継された歴史的なものだった。その中から改革開放に向かう中国人に向けた話の一部を紹介する。
「由来・国と国との関係において最も大切なものは、国民の心と心の間に結ばれた強固な信頼であります。この信頼を裏打ちするものは、何よりも相互の国民の間の理解でなければなりません」
「しかしながら、相手を知る努力は,決して容易な業ではないのであります。日中両国は一衣帯水にして2000年の歴史的、文化的つながりがありますが、このことのみをもつて、両国民が充分な努力なくして理解しあえると安易に考えることは極めて危険なことではないかと思います。ものの考え方、人間の生き方、物事に対する対処の仕方に日本人と中国人の間には明らかに大きな違いがあるやに見受けられます。我々はこのことをしつかり認識しておかなければなりません。体制も違い流儀も異る日中両国の間においては、尚更このような自覚的努力が厳しく求められるのであります。このことを忘れ、一時的なムードや情緒的な親近感、更には、経済上の利害、打算のみの上に日中関係の諸局面を築きあげようとするならば、それは所詮砂上の楼閣に似たはかなく、ぜい弱なものに終るでありましよう」
来年は大平氏が命をかけた日中正常化から50年となる。大平氏の言葉を胸に刻み、「ムードや情緒」に流されず、中国そして台湾との関係を探りたい。
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