河野太郎氏、自民党総裁選「暗転」の舞台裏~麻生・河野2人の「太郎」の物語
「政治は引き算が大事」 麻生氏のダメージコントロールは奏功したのか?
曽我豪 朝日新聞編集委員(政治担当)
ふた昔前の2002年、河野太郎氏は父である洋平氏の生体肝移植のドナーとなった。同じ年に長男が生まれ、「一平」と命名した。
自民党発足時、党人派の雄として鳴らした祖父の河野一郎氏から並べると、河野家は「一郎、洋平、太郎、一平」と続くことになる。これを冷やかしたのが、同じ「太郎」という名前を持つ麻生太郎氏である。
「やっぱり、人の子だな。息子に親父の名前から平の一字をもらうなんて」
河野太郎氏は即座に否定してみせた。
「全然違いますよ。平は平でも(選挙地盤である)平塚の平です」

河野一郎氏(左)と河野洋平氏
河野家に漂う「隔世遺伝」
その話を聞いた時は、いつものへそまがりが出たかと思ったが、今となってみれば、「平」よりも「一」の方に意味があったと思わないでもない。「隔世遺伝」とでも言うか、太郎氏はリベラル志向が強かった父・洋平氏よりも、バリバリの保守政治家だった一郎氏の方に惹かれていたのではなかったか。
ともに外相をつとめた父と子だが、中韓両国への姿勢を見ても、融和的な「洋平」と強硬な「太郎」は明らかに違った。かたや「一郎」は筋金入りの強面の保守。なにしろ、経済優先主義に立つ吉田茂首相に反目し、改憲を掲げた鳩山一郎首相を担いで、「横紙破り」とまで評された人物だ。
女系天皇問題を巡る発言などで保守派から批判されたとはいえ、少なくとも今回の自民党総裁選で「太郎」が自己規定しようとしたものは明白だ。「皇室と日本語」を「日本の礎」に挙げて総裁選に立ったのは、明らかに「保守主義」者である。