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河野太郎氏、自民党総裁選「暗転」の舞台裏~麻生・河野2人の「太郎」の物語

「政治は引き算が大事」 麻生氏のダメージコントロールは奏功したのか?

曽我豪 朝日新聞編集委員(政治担当)

河野洋平氏と行動を共にした麻生太郎氏

 それにしても、麻生氏と河野氏、2人の「太郎」の因縁は深い。とりわけ、総裁選を巡る歴史の符合は不思議なほどだ。

 麻生氏が若手から中堅にさしかかる頃、自民党の派閥「宏池会」で行動を共にしたのは河野洋平氏だった。池田勇人・元首相が創設し、保守リベラルの伝統を持つ派閥で、当時は宮沢喜一元首相が率いていた。

 麻生、河野両氏の関係は、まさに「吉田の孫が河野一郎の息子を担ぐ」という因縁だった。当時、派閥の主流だった加藤紘一氏への対抗心が、二人を結び付けたのか。1993年に自民党の政権下野後、「河野総裁」を実現させたものの、首相の座を目前に再選を賭けた総裁選で、河野氏は不出馬に追い込まれる。

 その後、2人は宏池会を割って河野グループを結成する。そして、20年前の2001年春、今回と二重写しになる総裁選に直面した。

2001年総裁選に麻生氏が立候補したワケ

 夏の参院選が迫るなか、内閣支持率が急落した森喜朗首相が総裁選不出馬を表明。新総裁を選ぶことに。最大派閥の橋本派が橋本龍太郎氏の返り咲きを狙い、各派の糾合を図ったが、それを批判して小泉純一郎氏が立ち、乱戦となる。政党支持率は自民党が民主党の倍あった。

 この状況をどう見るか。なお離反せぬ自民党の支持層は、首相交代による局面転換を望んでいよう。それなら、旧態依然とした派閥政治は選挙現場の期待を裏切るものでしかない。

 13人しかいない派閥の領袖でもない麻生氏が、河野洋平氏を差し置いて20人の推薦人を集めて立ったのは、そうした状況認識があったからに他ならない。事実、「小泉旋風」で総裁選を制した小泉首相は夏の参院選で圧勝し、党の危機を救う。総裁選で史上最低の31票だった麻生氏も、党政調会長となり首相候補の地歩を固めた。

河野太郎氏の立候補を巡る麻生氏の状況認識

拡大衆院解散後、国会内を歩く自民党の麻生太郎副総裁=2021年10月14日

 その時の体験が、菅義偉前首相の不出馬表明により乱戦模様となった今回の総裁選で麻生氏の脳裏に浮かばなかったはずがない。しかも、派内の立場は20年前の河野洋平氏に重なり、党全体では当時の橋本派など権力派閥の側に近い。

 従って、河野太郎氏の立候補の是非を含めて、麻生氏の状況認識はこうなった。

 派閥の引き締めで意中の候補を勝たせても、それは1年前の菅首相誕生の再現に過ぎない。世代交代の芽すら派閥が摘むのなら、党の支持層の失望、離反は避けられない。それが衆院選敗北と政権交代に直結すれば、自らが副総理・財務相として参画した安倍晋三、菅両首相による約9年間の政権が全否定される。今回の最悪手は、派閥が前面に立つ総裁選だーー。

 総裁選を巡り、二階俊博幹事長を交代させるだけで、菅首相の「無投票再選」を全面支援しようと思うほど、麻生氏の危機感は薄くはなかった。

 だからこそ、菅氏が不出馬を表明し、河野太郎氏が出馬を巡り相談して来た際、麻生氏は「立つ時は自分一人で決めるべきだ」と告げた。河野氏が石破茂氏との共闘に当初悩んだ時には、「政治は足し算だけでなく、引き算が大事だ」と、目先の票集めが及ぼす悪影響を指摘したと聞く。派閥の若手議員らに意見を聴いた際も、特定候補への支持を求める代わりに、「自民党の支持率がなお堅調なことだけは頭に入れておいてほしい」と頼んだという。

 これら三つの言葉に麻生氏がこめた、もう一人の「太郎」に継ごうとした状況認識は、明らかだろう。

拡大自民党総裁選への立候補を表明する河野太郎行政改革相=2021年9月10日、国会内

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筆者

曽我豪

曽我豪(そが・たけし) 朝日新聞編集委員(政治担当)

1962年生まれ。三重県出身。1985年、東大法卒、朝日新聞入社。熊本支局、西部本社社会部を経て89年政治部。総理番、平河ク・梶山幹事長番、野党ク・民社党担当、文部、建設・国土、労働省など担当。94年、週刊朝日。 オウム事件、阪神大震災、など。テリー伊藤氏の架空政治小説を担当(後に「永田町風雲録」として出版)。97年、政治部 金融国会で「政策新人類」を造語。2000年、月刊誌「論座」副編集長。01年 政治部 小泉政権誕生に遭遇。05年、政治部デスク。07年、編集局編集委員(政治担当)。11年、政治部長。14年、編集委員(政治担当)。15年 東大客員教授

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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