共産党アレルギーの正体は対米従属批判というタブーへの恐怖だ
2021年10月26日
今回の総選挙の画期が、野党候補の一本化(事実上の野党共闘)がかなりの程度実現したことにあることは言うまでもない。だが、ここまで来るまでには、本当に長い時間がかかった。
この共闘体制は、2012年の総選挙における民主党の惨敗=自民党の政権復帰の時点、否もっと前の、鳩山由紀夫政権が退陣したところから、その必然性が明らかになったものだったからだ。
鳩山政権にとって代わった菅直人政権、野田佳彦政権は、安倍晋三氏が言うのとは違う意味で「悪夢の民主党政権」となった。すなわち、3.11の衝撃を受けて打ち出された脱原発路線は、既得権益勢力の抵抗に遭って何とも中途半端なものへと骨抜きされた。米軍普天間基地の代替基地は辺野古沖へと差し戻された。そして、特別会計の問題など財政問題の根本には何ら手がつけられないまま、消費税の増税が決められた。つまり、2009年政権交代時のマニュフェストの実現は総じて放棄され、政治を国民の手に取り戻すという約束は反故にされたのである。
本来この時点で、政界は二分されねばならなかった。私は、特殊な対米従属を基盤として、自由主義と民主主義をきわめて外面的にのみ奉じ、安定と秩序の美名のもとに公正を無視して既得権益の不動の構造を死守する「体制」を「永続敗戦レジーム」と命名した(『永続敗戦論』,
2013年)。この権力構造は、福島第一原発の事故と沖縄米軍基地問題をめぐって矛盾を赤裸々に表面化させたのだった。ゆえに、政治勢力の二分、その根本的な争点は、この構造を維持するのか、それともこの構造を壊すのか――まさにこの点に見定められなければならず、そのためには政界の大再編も起こされなければならないことが、明瞭になった。
しかし、現実の政界の動きは蝸牛の歩みだった。旧民主党勢力のうち、ある者は同党を見限って飛び出し、またある者は「永続敗戦レジーム」あるいは「戦後の国体」(『国体論――菊と星条旗』、2018年)と私が名づけたものの内部に同化した。
こうして「体制」に対峙する勢力の結集は遅々として進まなかったが、大きなきっかけを与えたのは、2015年の集団的自衛権の行使容認という解釈改憲に基づく新安保法制であった。これに対する草の根的な反対運動が大きなうねりをつくり出すなか、「法治の破壊の阻止」「立憲主義の擁護」の一点で、旧民主党勢力(その一部)と日本共産党、旧社会党系勢力が共闘する機運が生まれた。
このことが伏線となって、小池百合子東京都知事と前原誠司民進党代表(当時)による、希望の党騒動が発生する(2017年)。あのとき、「排除」の基準となったのは、日米安保体制の強化と原発の問題だった。小池百合子氏は、この二点で「永続敗戦レジーム」の(もちろんその中核には自民党がある)前提と政治理念を一致させるよう旧民主党政治家たちに要求したのである。つまりは、小池氏が領導した希望の党の運動は、旧民主党勢力を第二自民党へと純化することを狙ったものであり、政権交代を事実上不可能(それが生じても本質的には何も変わらなくなる)とし、その限界をさらしている「体制」をさらに永続化しようとするものであった。
ここにおいて、「排除」された政治家たちが枝野幸男氏を中心として立憲民主党を結成する。「体制」批判勢力は、自らを確固たる勢力として自己確立することに手間取っているうちに、「体制」の側から「排除」を仕掛けられ、ついに起ち上がることになったのである。
以上のように経過をたどってみると、立憲民主党を中核とする「体制」批判勢力の結集に日本共産党が参加することは不可避的な流れであったと理解できるだろう。共産党は、「体制」に対する最も断固たる批判者であり、結集の実現とそれへの参加に強い意欲を示していたのだから。
しかしながら、立憲民主党の結党以降も、野党共闘の陣形構築の速度は上がらなかった。2019年の参院選では旧民主党勢力が立憲民主党と国民民主党というかたちで並び立つ状況を解消できず、他の野党との候補者・選挙区調整も2016年の参院選や2017年の衆院選に比べれば前進したものの、それでもまだ中途半端に終わり、自公政権の勝利を許した。
立憲民主党が国民民主党の大部分を事実上吸収するかたちで旧民主党勢力の再結集が実現したのは、ようやく2020年9月15日のことであり、遅くとも2021年秋には確実に行なわれることがわかっていた衆議院総選挙における野党間の共通政策合意がなされたのは、今年の9月8日のことである。衆議院の解散風が吹くたびに、野党陣営はつねに「準備不足だ」と目されていた。まるで永久に続く8月31日を生きる小学生のように。
この体たらくは何ゆえなのか。結局のところ、問題になり続けてきたのは、「共産党問題」にほかならない。旧民主党勢力が日本共産党と組めるか否か、である。長島昭久氏ら、共産党との共闘に強硬に反対してきた政治家はこの間に野党陣営から離脱した。それでもなお、立憲民主党は共闘を本格化させるか否かの決断を先送りし続けた。その直接的な原因は、連合(日本労働組合総連合会)の反対だったのであり、今回の選挙戦にすでに突入したいまでも、連合は共闘に反対している。
日本政治の動静や歴史に詳しい人でも詳しくない人でも、なぜ共産党と連携することに一部の旧民主党関係者や連合が執拗に反対するのか、彼らの共産党への忌避感は何ゆえなのか、素朴に「わからない」という疑問を持っているであろう。
連合の内外でしばしば援用されるのは、連合のスローガンにある「左右両方の全体主義に反対する」というイデオロギーについての文言だ。「左の全体主義」とはスターリン主義的なものを指し、「右の全体主義」とはファシズム・ナチズム的なものを指すのであろう。
2012年の第二次安倍政権成立以降、日本社会は目に見えて右傾化した。いま急浮上してきているツイッター・アカウントのDappiについての疑惑は、こうした右傾化を自民党政権が抑制しようとしなかったどころではなく、それに依拠し、主導・煽動してきたことのあらためての裏づけとなる公算が大きい。この間に、ネット空間を中心として、どれほどのレイシズムの発露、デマの嵐が巻き起こってきたか、指摘するまでもない。要するに、この10年の間に、「モッブの支配」(ハンナ・アーレント)、「右の全体主義」の脅威は現実的となった。
他方、「左の全体主義」とは何か。連合幹部の言動から推測するに、それは「スターリン主義的な日本共産党」を指しているようだ。ということは、旧民主党勢力が共産党と選挙協力を行ない、自公政権を下野させ、共産党が何らかのかたちで協力する政権をつくったならば、強制収容所や罪なき人々の粛清といった恐怖政治が始まるに違いない、と連合幹部は考えているのだろうか。だとすれば正気を疑うほかない。
すでに十分現実的になった右からの脅威を無視放置する一方で、およそ現実的とは思えない左からの脅威を口実として、「体制」を打倒しうる勢力の結集を妨害し続けることに連合は腐心してきた。
イデオロギーよりも、もっと卑近な人間的感情の次元の問題だとする説もある。すなわち、連合ならびにその前身たる同盟と総評は、共産党系の全労連と長年のライバル関係にあり、数々の対立を経験してきた。積み重なった感情的軋轢があるために、いまさら手を組むなど到底考えられないというのである。
この説が正しいのだとすれば、視野の狭さと人間的矮小性と無責任に驚くほかない。ある世代が持った感情的しこりを後生大事に抱え続けることによって後続世代の未来を奪うことについて、何らの痛痒をも感じないとすれば、指導者たる資格は到底ないだろう。過去を乗り越えるために和解が必要であるならば、なぜ和解のための努力をしないのか。
経済的利害の対立が根底にある、という説も唱えられている。その際、中核にあるのは原発の問題であり、今次の総選挙の野党共闘に国民民主党がとうとう加わらなかったのも、同党が速やかな脱原発という公約に同意できなかったからにほかならない。連合内では民間企業の労組が強力であり、電力会社の組合(電力総連)も強い影響力を持つ。彼らは電力会社の原発継続の路線を支持しているが、それは脱原発によって雇用が失われることを恐れているからだ、というのである。
この説もその奇妙さにおいて、イデオロギー説および感情説と選ぶところがない。というのも、再生可能エネルギーも無人で生み出されるわけではない。脱原発=代替エネルギーの拡大は、新たな雇用を間違いなく生む。だが、脱原発が電力労働者の雇用を完全に奪ってしまうことなどあり得ないにもかかわらず、連合は脱原発政策には乗れないと今回あらためて宣言したのである。
このように見てくると、立憲民主党をいまも拘束している「反共主義」の内実は、曖昧模糊としており、世上挙げられている理由の説得力は強いものではない。
だが、納得のゆく答えは、意外なところから与えられた。
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